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まさかの恋

椎名志信(しいなしのぶ)はムカついていた。 職場の**保育園にTVの撮影が入ると言う連絡があったのは一週間前。 子供達の元気な様子を取材したいという話だった。バラエティ番組の中に組み込むという。 その企画自体には何らムカつかなかったのだが、取材する芸能人が最悪だった。 阿久津志貴(あくつしき)。ここ最近売れ始めた若手俳優だ。年齢は志信と同じくらい。25歳くらいだろうか。 テレビでの印象は『年齢の割には落ち着いた俳優』演技も上手く、バラエティーもソツなくこなす。 阿久津は、目尻の『泣き黒子』が印象に残るイケメン。流行に敏感な女子高生たちからの人気がうなぎ登りだ。 そして何故椎名がムカついているのか。答えは単純なものだった。 『前の恋人が大好きな俳優だったから』 「しのせんせえ、怖いお顔になってるう」 椎名を見ていた顔がよほど怖かったのか、隣にいた園児が泣きそうな声で話してきた。 それまでの顔がいっぺんに緩くなる。膝を曲げて、園児と同じ目線にして答える。 「あきちゃん、ごめんねえ。ちょっと目が痛くてさー」 「痛いの痛いの、飛んでいけ〜〜」 椎名の頭をさすりながらそう言う園児にカワイイなあ、と蕩けるほどの笑顔になる。 すっかりご機嫌になった園児は友達のところへ駆けていく。 そう、椎名は大の子供好きだ。 あまりにデレデレするものだから、園長に注意されたことさえある。保育士という職業は天性だと椎名は思っている。 「ちょっと」 不意に上から声がして振り向くと、間近に阿久津が立っていた。その顔はテレビで見るより少し疲れている。 「…何ですか」 立ち上がっていきなりの戦闘モードに入る椎名。 「トイレ、どこ。」 そんなん、他の保育士に聞けばいいだろ、と毒づきながら辺りを見渡すと、女性の保育士はみんな遠巻きに見つめているだけで近寄ろうともしない。 …まあ、女性に聞きにくいか。 そう思いながら無言でトイレまで案内することにした。 「あんた、さっきから俺を睨んでなかった?」 テレビで見るよりも幾分、ぶっきらぼうに話す阿久津に、前方を歩いていた椎名は舌打ちをする。 「別に、睨んでないっすよ。こう言う目つきなんです」 振り返ると阿久津と目が合う。評判の泣き黒子が目の前にあった。 「ふん」 椎名の態度が気に食わなかったのだろう、阿久津はそれから黙った。 「…阿久津くん、遅いなあ」 ADが時計を見ながらそわそわしている。椎名が阿久津をトイレに案内してもう30分は経っている。 他のスタッフもざわついてきた。その様子を見ていた椎名がふと、さっきの阿久津の顔が青かったような気がしたのを思い出す。 (そんな顔色なのかもしれないしな) 自分が心配したところで何になるよ、とスタッフから目をそらした時。 「椎名くん、悪いんだけど様子見てきてあげて!」 年配の園長がそう言ってきた。 何で、と言いかけた椎名に園児たちの顔が見えた。 そして一人の園児がこう言った。 「しのせんせえ、あのお兄ちゃんさっき、お顔真っ白だったよ」 (だからって、何で俺が) ブツブツ言いながらトイレへ向かう椎名。阿久津も具合が悪いなら、周りに言っとけよと呟く。 「阿久津さん、大丈夫っすかー」 完全に心配していない声を個室に向けても返事がない。 「阿久津さーーーん」 何度か呼んでみるものの、返事がない。 (…まさか、本当に倒れてる?) 「阿久津さん、開けますよ!」 この個室の鍵が緩いのを椎名は知っていたので思い切り、ドアに体をぶつけて無理やり開けた。 阿久津は、個室の中で頭を抱えていた。どうやら腹痛ではないらしくて… 「何だ、あんたか」 「何だじゃないっすよ、みんな待ってますよ。早くしてくんないと園児たちのお迎えの時間もあるんでね」 「…そうだな」 阿久津は立ち上げるがすぐに体が崩れ落ちる。危うく床に倒れそうになったところを、椎名が抱きとめる。 思ったよりも華奢な身体を椎名が支えた。 「っと…!大丈夫か?」 「すまない、多分貧血なんだと思う」 「貧血って、女子じゃあるまいし…」 そう言いながら阿久津の顔を見ると、白い。尋常でなく白いのだ。 「あんた化粧してる?」 「…してないけど」 「その顔色、異常だよ。持病でもあんの」 「さあ。病院行く暇もない」 その言い方に、椎名はカチンときた。 「あんだ、そんなんで園児たちと触れ合うなんてやめてくれよ。園児たちになんかあったらどうすんだよ」 白い顔の阿久津は椎名を睨む。 「プロなんだったらちゃんとしたほうがいいんじゃねえの」 「…具合悪いのに、容赦ないな」 「分かってて病院に行かねえ奴は大っ嫌いなんだよ」 ぐいと阿久津の手を取り、個室から身体を支えながら椎名はトイレを後にする。 ふらふらと阿久津の身体は椎名に寄りかかったまま。 「いやー、保育士さんのおかげです!!」 後日。阿久津のマネージャーが椎名の元を尋ねてきた。 あの後、椎名は阿久津を連れて事情をスタッフに話した。ADを始めスタッフたちが慌てふためきながらも取材は中止、後日に撮り直しとなったのだ。 阿久津は極度の疲労による貧血。しばらく安静にすれば大丈夫だと医者に言われたらしい。 来週には復帰して、すぐここの撮影に入る。そうマネージャーは言いながら丁寧に菓子折りまで持ってきた。 「いや僕はそんな、大したことしてないし…」 「あいつ少しぶっきらぼうですから何かと誤解されるんですけど、かなり感謝してるんですよ」 人懐っこい笑顔のマネージャーは笑いながらそう言う。 「同い年くらいの友人もいないし、よかったら友達になってやってください」 ははは、と笑うマネージャー。呑気なもんだな、と椎名は呆れた。 それから撮り直しの日がきた。 「あ〜〜こないだのお兄ちゃんだ!今日は白くないね!!」 思いっきり指摘されて、阿久津が苦笑いする。ふと、隣にいた椎名に気付き、近寄ってきた。 「この前は、ありがとう」 それだけ言うとカメラの方へと行ってしまう。 (なんだよそれだけかよ) かなり感謝してる割には、そっけない。やっぱゲーノージンなんてこんなもんか。 それでも前回より顔色のいい阿久津をみるとホッとした。初めに見たときよりも少し笑顔が柔らかく見える。 よく見ればいい顔をしている。女子高生たちが触る理由も今なら分かる気がした。 それでも… (俺の好みじゃないけどな) 椎名の元恋人は、男性だ。 撮影も無事に終わり、ロケハンの撤収作業が始まる。 ちょうどその頃にはもう園児たちもお迎えが完了していた。 「いやあ、お世話になりました!」 ADが何度も頭を下げて園長が恐縮している。1度きりの撮影が2度になったことをずっと詫びていた。 「いいんですのよ、なかなかできない体験ですし」 ニコニコしながら園長が答えていた。 二人のやりとりを見ながらさて、帰るかな…と駐車場に向かうとそこには阿久津がいてタバコを吸っていた。 「…あ」 阿久津は椎名に気がつくと持っていたタバコを携帯灰皿で消して近寄ってきた。 椎名にとって一番「やばい」のがタバコだ。 一番「グッとくる」仕草が喫煙なのだ。 「こないだは、ありがとう。さっき、時間なかったからあまり言えなくて」 おずおずとそう言う阿久津。以前の上から目線な口調は何処へやら。 「助かった」 少しはにかんだ笑顔に、椎名はクラっとした。 ヤバいヤバい。これは、ヤバい。 相手は芸能人だぞ! 「あの…聞いたかもしれないけどさ、俺あんまり友達いなくてさ。せっかくだからってマネージャーが」 小さな紙をポケットから取り出し、椎名に渡す。 携帯の番号だ。 「よかったらさ、話し相手になってよ」 完全に、やられた。 呆然と立ったままの椎名に、阿久津は不思議そうに見る。 「あ、ああ…えっと、じゃあ連絡する…」 そう言うだけで精一杯の椎名に阿久津がニカッと笑う。おそらくこれが本当の笑顔なんだろう。 テレビで見るよりも、幼く見えた。 「ありがとう」 それじゃあ、とロケバスに乗り込む阿久津の背中を椎名はじっとみつめた。 マジかよ。マジかよ、俺。 動悸が止まらない。 芸能人で、男同士で、相手はノンケで。 叶うわけのない恋に落ちてしまった自分を恨む。 それでも、携帯番号は手の内にある。 もしかしたら天変地異が起きて恋人になれるかもしれない。 (まあ、それもまた面白いか) うっかり始まったら恋を味わってみれば、満腹になれるかもしれない。 少しだけ浮かれながら愛車に向かって踵を返した。 【了】

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