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2-1 嘘
「深澄、どこへ行くの?」
出かける前、玄関で母親に呼び止められた。
「ちょっと遊びに」
「だからどこへ行くの」
「友達とノリで決める分かんない」
「どこなのか決まったらメールして」
「移動するから意味ないよ」
「じゃあ移動するときに……」
「いちいち連絡できないよ。じゃあ、行ってきます」
無視して行こうとしたけど。
「18:00には帰るから」
母親は、前にも増して口うるさくなった。
テストの点が悪かったことを何度も言われて、問題が悪かったのだとニュースまで見せたけど、不服なようだった。
遊びに出かけるのが悪いみたいな感じになって、最初は友達の名前を全員言っていたけれど、それもだんだん嫌になってきた。
もちろん、あきと出かけることなんか言えるわけもないから、嘘をつくかごまかすしかない。
聞かれれば聞かれるほど嘘が重なるわけで、好き好んで嘘なんかつきたくないから、放っておいて欲しい。
何も言われなければ、むやみに嘘をつく必要もなくなるのだから。
あきが見たいという博物館への道中、電車の窓から見える住宅街をぼんやりと見下ろしていた。
「ねえ、あき」
「なあに?」
「仕方ない嘘って、あるよね」
チラッと目線を上げると、小首をかしげつつ、微笑んで同意してくれた。
「あるね。人は、ずっと正しくなんて生きられないもの」
「俺たちって……」
言いかけた俺の頬を、人差し指でつんとつついた。
「それは言わないで?」
困ったように笑うあき。大嘘まみれの俺たち。
何度かふたりで出かけてみて、分かったことがある。
俺たちは、公共の場で少しくらい触れ合っていても、なんとも思われないらしい。
あきの表情が優しいのと、俺が明らかに子供だから、たぶん仲の良い兄弟か何かに見えているのだと思う。
おばあちゃんが微笑ましそうに見ているなんてことも、何度かあった。
さすがに手を繋いだりするのは無理だけど、頭をなでられるくらいなら何ともないので、移動中なんかは、こんな感じで……
「僕たちのは、悪い嘘じゃないもの」
ゆっくりと、つむじから前髪に向けて、あったかい手でなでてくれたりする。
「母親がさ、うるさいんだ。どこに出かけるのかって。聞かれなければ嘘つくこともないのに、あえて嘘つくように脅迫されてる気分になる」
「脅迫なわけないでしょ。深澄のことが心配なんだから」
あきはそう言って、申し訳なさそうに笑った。
なんだかんだ言ってあきも、こういう関係になっていることに、罪悪感はあるのかもしれない。
いや、あるに決まってる。
責任感の強い三船先生が、職務より自分の気持ちを優先させているのだから。
俺はこういうときに甘えるしかないから、子供だなと思う。
話を変えるべく、スマホを取り出した。
「きょう行くの、どんなやつなの? 調べたけどよく分かんなかった」
デートの行き先は、俺が行ってみたい都会のスポットだったり、あきが見たい展示だったり映画だったり。
友達とでは絶対に行かない場所、選ばない作品。
変に俺に合わせたりしないで、あきの好きなものを見せてくれるのが、シンプルにうれしかった。
「イギリスの大きな博物館から貸してもらった作品を中心に、国内からも集めたものを、テーマ別に並べた展示だよ」
「難しいかな?」
「ちょっと難しいかもしれないけど、深澄なら分かる。それに、たぶんわくわくする」
勉強しか取り柄がなかった俺は、覚えることは簡単だったけど、それが自分にとってどうなるのかとかは、あまり考えていなかった。
一応、大学で学びたい分野や目標はあるけど、それ以外の勉強は『やれば選択肢が広がる』くらいのぼんやりした考えでしかなくて、学んだことの内容自体には、ちっとも関心がなかった。
学んだことがわくわくに繋がるなんて、考えもしなかったし。
「あきはさ、昔から勉強好きだった?」
「うーん。そうだね、好きかな」
「成績良かった?」
「そこそこには。って、何の質問?」
こちらをのぞき込み、目を細めて笑う。
「だって、何でも知ってるから。やっぱり頭いいからせんせ……」
と言いかけて、口をつぐんだ。
ごめんと思って目だけであきの顔を見ると、電車の揺れに乗じて、俺の腕を引き寄せた。
顔があきの肩にくっつく。
「深澄は何も考えないでいいから。ただ僕のことを好きでいてくれたら、あとは何でもいい。僕がどうにかするし、ごまかすのも僕の方がうまいよ。大人だからね、建前なんていくらでも言える」
ぐいっと顔を押し付けてから、離れた。
「俺、大好きだよ」
「そう、それでいいの。うれしい」
電車が目的地に着いた。
展示はあきの言ったとおり、難しくて、でもわくわくした。
難しかったからわくわくした、と言った方が近いかもしれない。
知らないことが分かるってこんなに楽しいのかってことを初めて知ったし、学校で習ったことがある話が出てくると、それはそれでうれしかった。
小声で話しかけると、たまに褒めて、頭をなでてくれる。
あきが腰を折ってじっと見ているものは、文学的なものもあれば、全然関係ない植物のスケッチだったり、とりとめがないように思った。
でもあき曰く、「僕の好きなものは全部、結局1つの螺旋 みたいに繋がってる」らしい。
たっぷり1時間半見て、外へ出た。
電源を切っていたスマホを見ると、母親から電話が来ていた。
メッセージを見ると、『どこにいるの?』と書かれている。
「もうやだ」
うんざりしながら、手のひらを差し出す。
「チケット貸してくれる?」
「ん? どうぞ」
下半分がもぎとられたチケットを2枚重ねて、博物館の建物を入れて、写真を撮る。
[友達に付き合って、博物館に来ました。小論文のテーマにするそうです。服屋見て帰ります]
理由まで言い訳がましく書いたのは、家を出るときに『ノリで』と言ってしまったから。
ノリで友達と博物館に行くことはまずない。
何か工作してると逆に怪しまれると思ったから、尋問される前に、理由と次の行き先を書いてしまった。
結局、『移動するときは連絡しろ』という親の言いつけを守った形になる。
「大丈夫?」
「うん、もう終わった」
1枚を返して、自分の分はかばんにしまった。
純粋に思い出のつもりだけど、母親の尋問をパスする証拠みたいになりそうで、すごく嫌だ。
「あーあ。あきだーいすき」
憂さ晴らしするように、間抜けな声で言ってみた。
「え?」
突然の告白に、半笑いでこちらを見てくる。
「ほんとだよ。あき大好き」
今度はしっかり言うと、あきはにっこり笑った。
「深澄の目って、少し茶色くて、くりっとしてて、僕のこと見てるときは少しキラキラしてる」
あきが親指で、俺の目の下をすっとなでた。
「キラキラは僕にしか見えてないはずだけど」
「じゃあ俺があきのことちゃんと好きなの、ちゃんと伝わってる?」
「うん。伝わってる」
早く卒業したいな、と思った。
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