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第1話

「……なぁ、輝」 「んー?」  ソファーに座っている俺の脚の間のラグ上でポテチをつまみながらテレビ見ている高坂輝(こうさかひかる)からは気の抜けた返事しか返ってこない。  これから告げることの重大さを考えると、テレビは消した方が良い気もする。 「あー……俺達さぁ……」 「そろそろ一緒になる?」 「へあ?」  心して告げようとした二段階上の台詞を投げられて、変な声が出た。  くるりと振り返り、見上げてくる輝の目は相も変わらずまん丸で、唇はポテチの油でてらてらと光っているし、というか、その大袋全部食ったのか、カロリーやべぇな、夕飯は温野菜メインにしてやろうとか考えてしまう辺り、最早色々と手遅れなのだろう。 「こた?」 「あ、や、ごめん。なんか脳が処理しきれてない」 「こたもおれと一緒になろうって、言おうとしたんじゃないの?」  男、一宮光太郎(いちみやこうたろう)、本日二度目のフリーズである。 「う、ん。そう、だけど」 「ん。じゃあ良いじゃん。番(つがい)ましょー」 「いや、いやいやいや。輝、ちょっと待って。え、良いの?」  ずるりとソファーから降り、輝の座るラグの上に正座すると、流石に察してくれたのか輝は左手に抱えていたポテチ袋とポテチを食べるのに使っていた割り箸をテーブルに置いてくれた。 「え。だっておれ、こた以外好きな奴いないし、横にいるならこたが良いし」  お前は違うのかよ、と膨れる輝はやはり文句なしに可愛い。というか、αの俺とβの輝じゃ、番というよりも同性婚になるのか? 「……ていうか、俺ら、そもそも付き合ってないよな?」  純粋な疑問をぶつけると、輝はことりと首を傾げてみせた。 「付き合うっていう定義にもよるんじゃん?」 「ラブラブちゅっちゅな意味で」 「ははは!ねーな!こたとちゅっちゅしたことねーもん!」 「だろ?!だから、俺は」 「あぁ、お付き合いしましょー的な?」 「的な!」 「うんうん、いいよー」 「いいの!?」 「え、逆になんで断られると思った?」 「男同士だし」 「このご時世にそれ言っちゃう?古の台詞じゃん」  この世の中には、6つの性がある。男女のα型、β型、Ω型だ。  一般的に優れた遺伝子とされるα、平々凡々なβ、繁殖能力に特化したΩ。  一昔前にはそれらの個体の特性による格差や差別もあったらしいが医療技術の向上等により、そういった差別、侮蔑的発言も聞かなくなって久しい。  そんなことは百も承知だ。だが、しかし。 「輝、お前、女の子好きだろ?」 「うん?こたのが好きよ?」 「それは……ありがとう」 「ふふっ、なんか照れるね」  俺は、ずっと輝を見てたから、知っている。輝は明るくて面白くて愛嬌があって皆に好かれてて。彼女だって多くはないけど、長く付き合ってた娘が何人か居た筈だ。それなのに、俺なんかと付き合うメリットなんて皆無だろう。 「なんかまだ納得いかないって感じ?」 「だって、俺と付き合うの、輝にメリットないし……」 「ええー、一番好きな奴と一番長く一緒に居たいってのは理由になんない?」 「……それ、は」  理由には、なる。けど。  「信じ、られない」  俯いてぼそりと呟いた俺の台詞は、思いの外低く響いて、自分でも驚いた。 「そっかぁ」  珍しく、うーん、と何かを考えている輝に、俺はどうするべきか悩みあぐねていた。 「ねー、こた。じゃあさ……とりあえず、お試しで付き合ってみない?おれ今フリーだし。それで無理だって思ったら友達に戻ろ?」  駄目?と、でっかい目をうるうるさせて、ついでに唇もてらてらさせて言われたら、俺は。 「わかっ、た。よろしくお願いします」 「お願いされます」  より深く頭を下げ、そして顔を上げた瞬間にぷちゅりと柔らかな唇が俺のそれに触れた。  輝とのはじめてのキスは、コンソメのパンチが効いていた。  付き合う、と言っても俺達の関係が早々に変わる事はなかった。  元々輝は、週の半分は俺の部屋に泊まりに来ていたし、恋人(仮)になってからというもの、毎日隣にいる輝に緊張と戸惑いでどうにかなりそうな以外は。 「ねーねーこたー」 「なに?」  勝手にシャワーを浴び、俺のスウェットの上下を着込んで髪の毛から雫を垂らしている輝は、今日も定位置に座っている。  肩に掛かっている、少し湿ったタオルを輝の頭に乗せわしわしと髪を拭う。 「ふふ、ありがと。明日さ、デートしよっか」 「デート……」  デートとは、恋仲の者共が嗜む、あれか。 「おれがこたをエスコートしてやるから、楽しみにしとけよ!」 「お、う」  くるりと振り向いて見上げてきた双眸はやっぱり綺麗で。  俺は恥ずかしさの余り、顔を逸らして立ち上がった。 「ちゃんと、髪乾かせよ。俺もシャワー浴びてくる」 「なんだよー、いつもはドライヤーまでしてくれるじゃん」 「そのくらい、自分でやれって」  俺は逃げるようにバスルームに駆け込んだ。  これ以上輝に触ってたら、マジでヤバイ。なにって、ナニが。  こんなんでデートとか……出来る気がしない。  勢い良く脱ぎ捨てた服を洗濯機に放ると、とにかく熱い湯を浴びた。  翌日。  いつも布団を敷いて寝てる位置に、既に輝の姿はなく、俺は、焦げ臭い匂いに布団を跳ね退けて飛び起きた。 「ひ、輝、なに、火事!?」 「こたぁ……ごめん……なんか、食パン焼こうとしたら、下に敷く紙、燃えたぁ……」  半泣きの輝に駆け寄り、なかなかの惨状に細い息が漏れた。 「紙……って、わざわざクッキングシート敷いてパン焼いたのか?」 「その方が、トースター汚れないかと思って……」 「あー……なるほどね」  クッキングシートに火が移り、慌ててトレーごとひっくり返したようで、ピザトーストらしき物と、黒焦げのクッキングシートに、同じく煤まみれの鍋つかみが水浸しでシンクの中に鎮座していた。 「輝」  びくりと肩を震わせた輝の手を取る。 「火傷は?してない?」 「……濡らした鍋つかみで掴んだから、平気」 「ナイス判断」  ぎゅっと拳を握っていた両手を開かせ、指先まで眺めてみたが、どうやら本当に火傷はしていないようで安心した。 「トースターの使い方、教えてなくてごめんな。お前んち、焼き上がったら飛び出てくるやつだもんな」 「なんで、こたが謝んの……おれが、ばかだから……」 「輝は馬鹿じゃないよ。知らなかっただけだろ。それに、朝飯作ってくれようとしただけで十分」  幾分か低い位置にある輝の頭を撫で、背を押してソファーへと座らせる。 「あとは俺がやるから、輝は休憩な」 「休憩って、おれ、片付けくらい……」 「あー……うん。でも、今日はいいや。今度また作って?」  そうお願いすると、輝は渋々といった感じで頷いてくれた。シンクに向き直り、もったいないとは思いつつも、もはや食べられる代物では無くなった水でふやけきったピザトーストをクッキングシートと一緒に生ゴミの袋に突っ込み、びしょびしょの鍋つかみは軽く洗剤で洗って絞り、そのまま洗濯機へと入れた。  輝はソファーに体育座りしてべっこりと凹んでいる。  俺はとりあえずマグカップ二つに牛乳を入れてレンジにかけ、件のトースター掃除は後日に回すことに決めて、食パンはフライパンで焼くことにした。 「ひかるー、朝飯適当で良い?どうせ昼はどっかで食うだろ?」 「……うん」 「凹んでんなぁ。俺別に怒ってないぞ?」 「……わかってる。でも」 「あー、もういいって。その変わり、デートコースは任せるからさ。格好良くエスコート頼むな」  からりと告げれば、輝は神妙な顔をして頷いた。  チンッ、とレンジが鳴ってマグカップを取り出す。  温まった牛乳にチューブの蜂蜜を絞る。  輝はこの甘いホットミルクが好きだ。  くるくると混ぜて輝の座っているソファー向かいのテーブルにことりと置いてやる。 「それ飲んで落ち着けって」 「……ありがと」  こうやってちゃんとありがとうとごめんなさいが出来るのは、輝の美点だと思う。 「飯はあと5分待ってなー」  手早くスクランブルエッグとキュウリのホットサンドを作り、斜めにカットして皿に乗せた。 「はい。半分こ」  ちびちびとホットミルクを飲んでいた皿を差し出せば、ありがとうと言って、輝は幾分か小さな方を手に取った。  ざくっ、と音がする。  輝が口をつけたのを見て俺もホットサンドにかぶりついた。  ざくっ、ざくっ。ぽり、ぽり、ぽり。 「……こたぁ」 「んん?」 「おれ、これ、好き」 「そっか、よかった」  へらりと笑って、くちの端にケチャップをつけている輝をみて、やっぱり次も俺が早起きして朝飯を作ってやろうと決めた。  洗い物は俺がする、と言う輝に甘えて少量のそれらは任せて洗面所へと向かう。洗顔と歯磨きをしていると洗い物を終えた輝が、おしゃれして!と服を一揃い持ってきてくれた。輝コーディネートのそれらに袖を通すと、満足そうに頷いていたので、ありがとうと言って形の良い頭を撫でた。 「で、どこ連れてってくれんの?」 「んふふー、ヒミツー」  何か策があるらしく、にこにこと笑う 輝は、やっぱりきらきらしていた。  デートなんだから、とアパートを出た途端に手を繋がれ、街中では珍しくもない光景だと分かっていても、俺とじゃ輝が可哀想に思えて素直に喜べない。 「なんだよ、おれと手ぇ繋ぐの嫌なわけ?」 「嫌な訳ないだろ。緊張してんの」  半分は本当だ。 「それなら許す」 「はは、許された」  心なしか輝の耳が赤い気がする。可愛い。  手を引かれるままに電車に乗り、原宿駅に着いて歩みを進めれば、信じられない程の長蛇の列の最後尾へと並ばされた。 「……輝、ここ、何屋さん?」 「パンケーキ屋さん」 「おお、俺はじめてだ」 「おれ二回目ー。前に来たときすげぇ旨かったからこたにも食べて欲しくて」 「そっか。ありがと」  前に誰と来たの?と、喉まで出掛かって必死に飲み込んだ。  輝に悪気はない。そんなこと、わかってる。  そこそこの時間並んで店に入ると、とにかく胸焼けしそうな甘い香りが襲ってきた。正直、匂いだけで胃が凭れそうだ。 「っはぁー、めっちゃ良い匂いー」  輝はご満悦の様子で、なによりだと思う。  席に案内され、メニューを開いて固まった。 「こた、どれにする?おれ、別々のにしてシェアしたい」 「あー……じゃあ輝は甘いのにして?俺はしょっぱい系にしようかな。この生クリームの山に俺、勝てる気しないから」 「え、こたって甘いの駄目だっけ?」 「駄目じゃないよ。でもあんま量は食えないから」 「……ごめん。プリンとかよく食べてるから好きなんだと思ってた」 「や、だから好きだって。こういう店、テレビで見てるばっかだったから新鮮で面白いよ」  輝は、うー、と唸ってまた難しい顔になった。 「輝、俺、このチョコ生クリームタワーのやつ一口食べたいからこれにして?しょっぱいのは……お、生ハムとレタスの旨そう」  チョコも生ハムも輝の好物だ。  まだぐるぐるしてる輝を他所に、俺は店員を呼んだ。  結果、パンケーキ屋はかなり楽しめた。  輝があーんしてくれたチョコ生クリームと苺のパンケーキも、生ハムとレタスのパンケーキも文句なく旨かった。  頑なにおれが払うと言ってきかない輝に奢ってもらい、改めて連れてきてくれてありがとうと礼を言うと、微妙な顔で謝られた。  なんとなく、噛み合わないなぁと苦笑しつつ、エスコートされるがまま、複数のショップブランドの入った建物に向かった。  男二人で行くのには少々ファンシー過ぎるこの店も、輝にとっては以前彼女と来て楽しかった場所なのだろう。  ありえないサングラスをかけてみたり、何に合わせれば良いか分からない柄のストールを巻いてみたり、デコラティブなアクセサリーをつけてみたり。それらで遊び、くるくると表情の変わる輝を見ているのは、とても楽しかった。  日も陰り始め、夕飯はどうしようかと訊ねると、近くに夜景の綺麗なレストランがあると言われ……これだけは、どうにも我慢出来ずに口を開いた。 「あー……ごめん、俺ちょっと疲れたっぽい。早めに帰りたいんだけど……夕飯食うの、俺のうちでじゃ駄目?」 「え、いい……けど、こた、フレンチ嫌い?」 「んん、フレンチは別に嫌いとかじゃないんだけどさ。肉でも買って、輝と二人でおうち焼き肉したいなーって」  輝の元カノの気配に胸の内がぐるぐるして、上手く笑えない。 「……こたが、そう言うなら」  ぎゅっと強く握られた左手が、ほんの少し痛かった。  俺は本当に、心も器も小さな男だ。  最寄り駅に着き、近くの激安スーパーで大量の肉と適量の野菜を買い、ここでも輝が全額出すと言ってきかず、仕方なく頷いた。  原宿を出てからというもの、輝の口数が目に見えて減っている。  ……うまくいかないな。  一つ溜め息を吐くと、隣にある薄い肩がびくりと跳ねた。  それでも、この半日、隣で歩いている時は繋いだ手を解く事はしなかった。  過去に嫉妬こそすれ、輝の事はただただ好きなのだと、改めて実感した。    部屋のドアの前で繋いだ手を解いて鍵を開け、いつもの様に適当に靴を揃えて食材の入った袋をキッチンに置いた所で気が付く。 「あれ、ひかるー?」 「お、おれ、やっぱ帰る!」  玄関口でそう言われ、慌てて玄関に取って返すと、俯いている輝がいた。 「俺がレストラン行くの嫌だって言ったの、怒ってる?」 「怒ってんのは、こたじゃん!」  キッと顔を上げた輝の目には、今にも溢れそうな雫が光っていた。 「お、れ、今日、こたとデートしてみて、わかった。こたは、おれの事なんか好きじゃない」 「ちょっと待って。なんでそうなんの」 「だって!こた、ずっと変な顔してた!」 「……顔は生まれつきだから、今更変とか言われても……」 「馬鹿!こたの顔はカッコイイよ!」 「今変な顔って言ったじゃん……」 「揚げ足取るなばかっ!」  ボロッと、輝の両目から涙が溢れた。 「お、おれ、馬鹿だから、朝から火事起こすし、ずっと、一緒にいて、甘いの、いっぱい食べらんないの、知らなかったし、他の店でも、なんか、変な顔するし」  『変な顔』というのは、俺が輝と輝の元カノの事を考えていた時の顔だろう。 「こた、は、優しいから、おれ、がこたのこと好きって言ったから、付き合ってくれただけなんだろ?!」 「なんでそうなんの……」 「だって、だって……!」  ボロボロと涙を溢す輝は、見ていて胸が苦しい。  そして輝は、消え入りそうな声で言った。 「……おれ、こたに、好きって言われてないもん」 「え、言っただろ?」 「言ってない!パンケーキ好き、とかは言ってたけど、おれは、一回も言われた事ない!」  言われて、思い返してみる。輝に出会って15年余り。友達でいる事に必死で、壊したくなくて、毎日毎日想っていても、口に出してはいなかった。  告白だって、実質、輝からされたようなものだ。 「……ごめん」  俺が謝ると、輝はまたボロボロと 涙を溢した。  ああ、違う。勘違いさせた。 「輝、今のごめんは、違う。ちゃんと言ってなくてごめんってこと。俺は、輝が好きだよ。ほんとに、引くぐらい前から……輝だけしか好きじゃない」 「おれだって、こたが一番なのに、信じらんないって、言った!」 「だって、お前、ずっと彼女居ただろ。みんなそこそこ続いてた」 「だって、みんな、こたの話聞いてくれた!そしたら、こた君いいね、優しいねって、言うから!」 「それ、なんか関係あんの?」 「おれが、別れたら、こたのこと盗られるもん!こた、優しいし、αだし、いちばん、一番かっこいいから、おれの、なのに、でも、おれ、βだし、Ωの子とかに盗られたら、絶対やだから、みんなと、別れないように、ずっと、頑張って……」 「輝……」 「ばかだって、言いたいんだろ!」  ひぃん、と変な声をあげて泣きはじめた輝を、誰が馬鹿だなどと思うのか。  愛しくて可愛くて堪らない。 「輝、俺、今日のデート中、やっぱり輝が好きだなって思ったよ。ああいう賑やかなとこ、元カノといっぱい行ったんだろうなぁって思ったら、すげぇ嫉妬した」  ひんひんとしゃくり上げる輝が握り締めている袋を受け取り、そっと床に置いて抱き締める。  ああ、輝ってこんなに細かったんだな。 「俺は、輝の事が大好きだよ。出会った時からだから……もう、15年くらい、ずっと」 「うぅー!」 「いっぱい嫉妬もすると思うけど、出来るだけカッコつけるからさ。お試しじゃなくて、俺の事、彼氏にしてくれる?」  輝はじゅるじゅると鼻水をすすりながら、うんうんと頷いてくれた。  泣いてる輝をずっと抱き締めてるのも苦しいだろうと思い、少しだけ体を離すと、それすら許さないと言ったようにぶつかるようにキスをされた。  二度目の輝の唇は、やっぱり少ししょっぱかった。 END

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