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とある魔術師の独善

 鼻をくすぐる鉄さびの臭いに、リード・タルタニアは羽織ったコートの襟を立てた。 「だから、ここは貴方様が来るような場所ではないと申し上げました」  不機嫌な調子を隠そうともしない執事のディランに、リードは「もちろん、来たくはなかったさ」と、舌打ちで返した。  成人したばかりの若造に言われるまでもなく、ここがどういった場所であるか、リードはよく知っていた。  俗に言う、奴隷市。  表向きには美術品の競売場としているが、会員制の扉を開けた途端、秩序ある世界はなりをひそめる。  競売に掛けられている奴隷は、外界で様々な汚れ仕事に従事しているβ種ではなく、政府によって管理されているはずのΩ種だ。  Ω種といっても、生粋のΩが競売に掛けられる事例はめったにない。  競売の舞台に上がる奴隷のほとんどは、αに性的倒錯を与えるΩの性質をもつだけの複製品ばかりだ。  短命で、生殖能力もない。魔術の力によって生み出された人造人間たち。  違法Ωは、この世のものとは思えないほどの甘美な快楽をαにもたらすためだけに生み出された歴史を持つ。αに対するΩの総数が、あまりにも少なかったためだ。  性的娯楽のための玩具として作り出された違法Ωは、αを堕落させる麻薬として政府に認定され、作成と所持を禁止された。  馬鹿みたいな話だと笑えるのは、戦争をし尽くして争いは何も生み出さないのだと、手痛い教訓を得たからだ。  違法Ωに入れ込み、性的倒錯で身を滅ぼしたαは数知れず。ときには、人であって人でない存在を巡って殺し合いさえ起こった。  くだらない歴史だ。  リードが身を寄せる帝国も、周辺諸国と同様に違法Ωの作成と所持を禁じ、生粋のΩを統括管理している。  皇族、ないし高級貴族でなければ生粋のΩに触れる機会は永遠とないだろう。真っ当な人生を、歩んでいるならば。 「危ない遊びは、控えて頂きたいものですね」 「心外だ。控えているだろう? 顔と身分が良いだけの伴侶を得て、魔術は超一流。皇族との親交も厚い。おおよそ、αとしては真っ当で素晴らしい功績だ」  ディランは振り返らないが、きっと面白い顔をしているに違いない。  先代の執事である父親とは、似ても似つかない真面目な性格をしているディランをからかうのは、とても面白い。 「それに、遊ぶために来たわけではない。お前だって、知っているだろう?」  競りの怒声を遠くに聞きながら、リードは競売場の地下へと降りてゆく。迷いのない足取りは軽く、野原を散歩しているようでもある。 「だからこそ、ですよ」  忠告めいたディランの返事に、リードは「問題無い。俺は天才だ」と返す。何を言われても、引き返すつもりはなかった。  何を言ったところで無駄と分かったディランは余計な会話を切り上げ、階段を降りきると、薄暗い道を足早になって進んだ。  競売場は、リードが出品した生粋のΩを巡り白熱しているようだ。  とても美しいΩなので、値段はまれに見る高額をたたき出すだろう。客だけではなく、競売場の職員も、彼のあでやかな美貌に釘付けになっているにちがいない。 「おもったとおり、出払っているようだな」  先だって、競売場に潜入していたディランが見つけ出した秘密の通路はガランとしていて、人の気配はまるでなかった。 「彼をお使いにならなくとも、良かったのでは? ここを注視する者などおりませんでしょうに」  臆病者め、と言われているように感じるが、リードは無視して案内を続けるよう顎をしゃくってみせた。  薄暗く、牢獄を思わせる殺風景な空間は、競売場で売れ残った商品を置いておく場所だ。  違法Ωであっても、全てが円満に主人を得られるわけではない。所持がバレたら身を滅ぼしかねない商品を、適当に買い上げる馬鹿はそうそういないというわけだ。  競売場の人間は、この場所を処分場と呼んでいるようだ。  売れ残った違法Ωたちは、競売場の人間の性処理のために短い寿命を終えるまで牢獄に閉じ込められているらしい。 「なかなか、不快な場所だな」  いくつか前を横切った独房にはディランの説明のとおり、鎖で繋がれた違法Ωが寝台の上で縮こまっていた。 「お気持ちは分かりますが、いくらタルタニア様であろうと競売場に口をお出しになるのは得策とは思えません」 「皇族が裏で絡んでいる場所に喧嘩を売る馬鹿な真似などするものか。それに、お前が思っているほど、俺は善人ではないよ」 「違法Ωに憐れみを感じているお人が、なにを仰いますか」  黙れ、黙れとリードはディランに手を振る。  慰み者にされるだけだと分かっていながら、何もするつもりのない人間の何処が善良か。 「タルタニア様。こちらの、独房でございます」 「わかった。ディラン、お前は邪魔が入らないように上手くやってくれ」  ざっくりとした命令に、ディランは律儀に「かしこまりました」と頭を垂れて闇の中に消えた。 「さて、祭りが終わらないうちに、さっさと目的を達してしまわないとね」  独房には施錠がされているが、高位の魔術師であるリードにはあってないようなものだ。易々と解錠し、中に踏みいる。 「ようやく、見つけたよ」  ろくに視界の利かない、洞穴のような独房に灯りを生み出す。  目当ての人物は、両手両足を拘束されたまま簡素なベッドの上に転がされていた。酷い垢の臭いにリードは顔をしかめ、両手を垢の塊のような男へと翳し、呪文を口ずさむ。  程なく、室内を照らす灯りとは別の光が男を包んで消えると、かび臭かった独房は無臭になり、垢の臭いも消え去った。 「伸び放題の髪の毛ばかりは、どうしようもない。むさ苦しい髭も整えてしまいたいが、あいにくと不器用でね。あとあと、ディランに頼むとしよう」 「……魔術師が、どうしてここに?」  長い軟禁生活を強いられていたわりには筋力だけで体を起こし、男は白いものが混じった黒髪の合間から、鮮やかな赤い目でリードを睨み上げた。 「政府の、追っ手か?」  若干のおびえを見せる男に、リードはゆっくりと首を振る。 「政府の魔術研究所なんかに、貴方は渡さないよ。しかし、希代の魔術師トロンが愛し、魔術の全てを注いだ傑作のはずのあなたが、どうして競売場の地下で、低俗なβどもを相手に男娼をしているのか?」  好奇と侮蔑に口元を歪めながら、リードは己よりも二回りほど年齢のある男の頬へ手を伸ばした。 「魔術師トロンのΩ、サルジュ。今から、お前はこのリード・タルタニアの番とする」 「馬鹿か、貴様は。ぼくは、すでにトロンと番になっている。だいぶ昔に彼は死んだが……番の契約は、今もまだ残っている」  顔に似合わず、健気なものだ。  競売場の地下で股を広げていたのは、寂しさと発情の熱を、誤魔化すためであるのかもしれない。 「かつての主人が死んで、自暴自棄にでもなっていたか? 男娼の真似事で、心は癒されたかい? 俺からすれば、くだらない。全部がくだらないから、白紙にしてやった」  リードは己の首筋を、とんとんと叩いてみせた。  サルジュは訝しがりながらも拘束された両腕を窮屈そうに持ち上げ、首筋をさすったとたん、青白い肌を怒りに赤く染めた。 「綺麗さっぱり、所有の印がなくなっているだろう? もう、貴方は誰のものでもない」  靴音を鳴らして歩み寄る。  明確な脅えを見せる、サルジュの枯れた顔。  リードは気分を良くして、硬いベッドにサルジュを押し倒した。魔術で殺菌してあるとはいえ、場末の売春宿よりもずっとみすぼらしい場所で体を重ねるなんて趣味ではないが、興奮を抑えられなかった。 「やめろ、ぼくはトロンの番なんだ」 「あなたの中に残されたものは、トロンの莫大な魔力と魔術の知識だけ。愛も思い出も、全て俺が消し去った。わかるだろう、サルジュ。番をもたないΩの体の餓えが」  身じろぐサルジュを力尽くで押さえつけ、閉じようとする股を強引に差し込んだ膝でわり開く。  気休め程度の薄布は、若いαの雄の臭いを受けて興奮し出す場所を隠せない。 「いやだ、やめろ……やめて……」 拒絶の言葉は虚しく、勃起したペニスに軽く触れただけで快感の証がとろりと零れ落ちた。 「さすが、トロンのΩ。……上物だ。トロンの魔術で上手くやり過ごしてきたようだが、もう、無駄だ。俺を拒絶しようとも、貴方を番にしたがるΩが群がってくるだろう。β相手ならばまだ理性を保てるだろうが……Ωが相手では、同じようにはいくまいよ」 「ひっ、ぃ……やだ。ぼくは、トロンの番」 「随分と、絆されている。αにとってΩは快楽装置であり、魔術装置でしかないだろうに」  違う。ぶるぶると首を振るサルジュの頬を両手で挟み込んで、リードは深くくちづけを落とした。  愛おしいわけではない。  番の契約を強制的に解除したとはいえ、サルジュの体内にはトロンの魔力がいまだに留まり、快楽に溺れぬよう理性を留まらせている。  純潔のΩが重宝される理由は、二つある。  ひとつは、違法Ωと同じく、麻薬のような快楽を与えること。  もうひとつは、αの中でもさらに特別な、魔術師とよばれる者たちがもつ魔力を増幅させる装置となること。  唇を重ねて、さらにリードは確信した。  早世した魔術師トロンは、己の研究の成果のほとんどをサルジュの中に残している。魔力は肉体に、知識は脳に。 「俺が、貴方の全てを支配してあげますよ」  声が出なくなるほど深く口づけを交わし、顔を上げれば、サルジュは抑えきれない快感に赤い目を濡らし、頬を濡らしていた。 「政府の魔術研究機関よりも、ずっとマシだと思うべきだ。奴らは貴方をばらばらに解体してでも、トロンの秘術を盗み出そうとするだろう。でも、俺は違う。一緒にされては、心外だ」  膝で、サルジュの勃起したペニスを刺激しながら、リードはにんまりと微笑んでみせた。  Ωの精臭に誘われ、剥きだしになる牙を見たサルジュが短い悲鳴を上げた。  拘束されたままの四肢を身じろがせ、逃げようと試みる憐れな姿も愛おしく思えてきて、リードは声を上げて笑った。 「そう、俺は違う。貴方が望むのなら、溺れるほどの愛を与えてあげよう」  今すぐに、体内をめちゃくちゃに犯したい衝動を抑え、リードはサルジュの首筋に顔を埋めた。  せり出した牙を柔肌に突き立て魔力を注げば、サルジュの体が強ばり、びくびくと震えて絶頂を迎えた。 「あっ……ぁ、あ」 「あぁ、素晴らしい。生粋のΩを番にする瞬間は、何よりも素晴らしい瞬間だ」  嫌悪感に強ばっていたサルジュの顔がにわかに解け、無防備なほどに緩んでゆく。  番となったαにΩは、服従しなければならない。心も体も、なにもかもを主人に捧げる生き物だ。 「おいで、サルジュ」  リードは震えるサルジュの太股を撫でながら、拘束具を外してゆく。 「貴方が、飢えていると分かるよ。欲しいのだろう?」  なすがまま、一糸まとわぬ姿になったサルジュの肉体は淡く色付き、発情を示したΩがもつ独特の甘い匂いを放っている。  若くない、成熟した肉体がリードの食指を刺激していた。 「いや、いやだ」  ぐずぐずとしゃくり上げるサルジュだが、体はもうすでにリードを受け入れていた。足は誘うように大きく広げ、あらわになった秘部は快楽がもたらす粘液を滲み出させていた。 「このような場所で寝るのは趣味ではないんだけどね、俺も生粋のαだ。我慢が効かない」  苦しかった前を寛げ、リードは本能に突き動かされるままサルジュに覆い被さった。  特別美しくもなく、若くもない。  利害だけが魅力としか言えない相手と思っていたが、いざ番になると何よりも愛おしく思えてくるから、不思議なものだ。  扉の外で控えているディランに逃走の全てを託し、リードはサルジュの腰を掴み、ぱっくりと開いた秘部に己の雄を埋めていった。                 

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