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正しい冷やし方

 理人(まさと)さんは、夏が苦手だ。  なぜなら、暑いから。  そして、冬も苦手だ。  なぜなら―― 「ささささささぶい!」  半泣きの声が、15分前と一音たりとも違わない台詞を紡ぎ出した。細い身体をますます縮こませ、理人さんが全身をがくがくと震わせている。情けなく歪んだアーモンド・アイの見つめる先では、話題のイケメンゴリラがのんびりと毛繕いしていた。 「でもほら、おかげですっきすきじゃないですか」 「そりゃそうだろ。こんな日にわざわざ来るなんて奇行としか思えない」 「ひどいなあ。待ちに待った動物園デートなのに」 「あ、いや、その、デ、デート自体が嫌だって言ってるわけじゃなくてっ……」 「はい、知ってます」 「……こんのやろ」  可愛すぎる悪態を無視して手を取ると、手袋に包まれているにも関わらず理人さんの指先はすっかり冷え込んでいた。薄いニット越しに絡めた手をそのままポケットに突っ込むと、温かい空間を捕まえようかとするように強く握り込まれる。彼の頰が赤いのは、きっと寒さだけのせいじゃない。 「次、なに見ますか?」 「やだ。なにも見ない。俺は帰る」 「もう、しょうがないなあ。ちょっと待ってて」 「え、あ、佐藤くん!」  五分後――。 「お待たせしました」  ほかほかと湯気を立てる小さな紙袋に、理人さんの視線が釘付けになった。 「なにこれ?」 「大判焼きです。あそこで売ってるのが見えたから」 「あったかい……」 「焼きたてだって。冷めないうちにベンチで食べましょう」 「うん!」  途端に元気になったと思ったら、理人さんが小走りに駆け出す。その後ろ姿を追いかけながら、愛おしいと素直に思った。 「ひゃう!」 「え、なに?」 「おしりちべたい……!」  鼻にかかった声が、また泣き言を言う。つい我慢できなくて噴き出すと、理人さんがじとーっと睨んできた。肩をすくめながら腰を下ろした野ざらしのベンチは、たしかに冷たい。 「いただきます!」  なんとなく檻の中の動物たちに申し訳なく思いつつ、袋を開ける。すると立ちのぼる蒸気と一緒に、香ばしいにおいが飛び出してきた。胃が動き出し、なかったはずの〝別腹〟を作り出す。理人さんも同じなのか、アーモンド・アイをキラキラさせながらかぶりついた。 「あっちっ!」 「大丈夫ですか?」 「舌、火傷した……!」 「急いで食べるから」 「らってさめちゃらおいひるらいらろ?」 「なに言ってるのかさっぱり分かりません」  理人さんは、首を仰け反らせ必死に舌を差し伸ばしていた。どうやら、冬の空気に冷やしてもらうつもりらしい。赤く火照った舌先を、白い綿になった吐息が包み込んでいる。  あ、まずい。  そう思った時には、理人さんの無意識の行動に勝手に煽られた煩悩が信号を送り出していた。抗えずに動いた身体が、理人さんに覆いかぶさる。 「んむ!?」  脆い舌先を、冷えた唇で挟み込んだ。絡まってしまいそうなほど近い距離で、理人さんのまつ毛がバサバサ揺れる。現れては消え、消えては現れていた自分の姿が素早く遠ざかった。 「な、なにすんだよ!」 「冷やしてあげたんじゃないですか」 「さも当然のように言うな!普通は耳だろ!」 「じゃあ、俺の耳舐めますか?」 「ば、ばか!」 「そうですね。俺は理人さんバカですから」  茹で蟹のようにかっかした顔が俯き、ぽこぽこと生まれた小さな綿菓子が、ばか……、とそれはそれはかわいらしい音になった。ふよふよと漂うもやの名残を自分の吐息で打ち消し、ちょうどいい温かさになった大判焼きを頬張る。すると、右半身がふと重くなった。 「理人さん?」 「寒い……けど、悪くない」  薄い唇が綺麗な孤を描き、やがてもごもごと動き出す。遠くの方で、名前も知らない猿の鳴き声が聞こえた。  fin

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