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 周りから向けられる視線には気づかないふりをして、ゆっくりと足を進める。  ざわざわと波紋が広がっていき、自分の周りにちょっとした円が出来ているが素知らぬ振りだ。  緩やかに波打つ黒髪はハーフアップに、トレードマークだった赤ブチメガネは鞄の中でお留守番だ。モデル顔負けの長い睫毛、垂れがちな瞳の脇に存在を主張する泣きほくろが色気を醸し出している。  肌の白さも相まって、幸薄そうな美人にしか見えなかった。 「あ――風璃さぁん! おはよーございまーす!」  玄関からさほど遠くない階段を今にも登ろうとしている風紀委員長を見つけ、笑顔一杯で声をかけた紅葉に神原はきょとんとした後、驚愕に目を見開いた。 「紅葉君っ!?」 「一週間ぶりですねぇ」 「え、ちょ、……こう、え、紅葉君?」 「そうですけどお? どーしたんですかぁ、吃っちゃって?」  恐る恐る尋ねた神原に笑みを深める。  よかった、気付いてくれた。にへら、と笑った紅葉に周りが沸いた。 「白乃瀬様!? な、なんで黒髪……!!」 「ハッ……! 隊長に連絡を!!」  正しく阿鼻叫喚地獄絵図。  混乱が混乱を呼び、奇声だか嬌声だか良く分からない悲鳴が上がる。黒髪の会計様を近くで見ようと生徒達が詰め寄ってくる。 「風紀室行くよ」  波のように押し寄せる生徒を一瞥して、有無を言わさず紅葉の手を取った。言わずもがな、悲鳴が大きくなる。  腕を引かれるまま着いていく。前を行く神原はいつもの飄々とした笑みではなく、眉を寄せて難しそうな顔をしていた。 「……なんで黒くしたの?」 「うちのばあ様が金パやめなさいーって」 「ふぅん? じゃあ何、好きな人ができたとか、そんなんじゃないんだよネ?」  思いもしない言葉に目を丸くする。  好きな人、と神原から想像のつかない言葉に首を傾げた。 「紅葉君は、思わせぶりだよね」  どことなくトゲトゲした言葉に二の句が継げない。  振り向いてくれない神原に寂しさを感じた。 「思わせぶり、って? どーゆーこと?」 「ほら、その喋り方だって」 「……?」 「甘ったるいけどサラサラした声で、自分に気があるんじゃ、って思わせといて掴みどころのない声。こっちを見つめる瞳は蜂蜜みたいに相手を捉えて離さないのに、いざ捕まえようとすれば遠退く。ねぇ、俺がさ、どんだけヤキモキしてるかわかる?」  ギシリ、と掴まれた腕の骨が音を立てる。  切実な叫びだった。この人がそんなことを思っていたなんて知らなかった。否、感じさせなかったのだろう。  思わせぶりな態度だなんて、したつもりない。  いつもなら適当な言葉がついて出るのに、なんだか胸が苦しくて、喋れなかった。  フィルター越しの色褪せた視界にはだいぶ慣れた。淡い色の世界にたまに悲しくなる。神原は、色褪せた世界の向こう側にいた。 「初めはただのお節介だったのにね。目も離せないくらい大切になっちゃうなんて驚きだよ」  角を曲がれば風紀室のところで足を止めた神原はゆっくりと振り返る。  色素の薄い赤い瞳は不思議に揺らいでいた。 「――好きだ」  なんてことない、日常会話のように神原は告げた。  色気もムードもなく、つい我慢できずに神原は自嘲的に笑む。 「僕は、その」  真っ直ぐすぎる瞳に言葉を失った。 「いいよ、返事はしなくて。紅葉君が恋愛ごと避けてるの知ってるし」  苦笑混じりに言われ、ぎこちない笑顔を浮かべた。頬は引き攣り、見るに堪えない微笑は会計親衛隊が目にしたら発狂だろう。  朝の登校時間で、尚且つ人通りの少ない特別棟でよかったと心底思う。  ――愛なんて知らない、恋なんて碌でもない。  紅葉の両親は恋愛結婚だった。物心つく頃には母は亡くなっていたし、父は行方不明だ。一族全体を巻き込んだ山あり谷ありの末の大恋愛だったらしい。  正しく純愛。美しいだろう。たとえ、兄と妹の禁断の愛だとしても。 「返事はしなくていいから、ちょっとは俺のこと意識してくれると嬉しいなぁ」  なんて答えたらいいのか、言葉に詰まり不器用な笑顔を浮かべる。  ジャラリと手首を彩るアクセサリーが音を立て、呆然とする紅葉を包み込んだ。 「か、風璃さん?」  爽やかな香りが鼻先をつつく。押しのければすぐに解ける弱い力の抱擁は縋るようで、気持ちを表しているようだった。 「俺は紅葉君が好きだよ。これだけは忘れないで。覚えていてね」  名残惜しげにギュウッと抱きしめて、神原は足早に立ち去ってしまう。  追いかけようと一歩足を踏み出すが、それ以上進むことはできなかった。追いかけて、なんて言葉をかける?  胸の中にモヤモヤが広がった。  好きだなんて、この学園に来てから言われ慣れてしまったのに、神原の告白は熱いモノが込められていた。

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