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9:後悔

 つつがなくパーティは終わりを迎え、桔梗は玲司たちと一緒に寒川の一員として、出席してくれたお客様を見送る。  秋槻と三兎たちとは再会を約束し、桔梗が玲司に新作のデザートをリクエストしたのを、渋々と引き受けてくれて、それが珍光景に見えたのか、秋槻が最後の最後まで笑って帰っていった。  他の『四神』や付き添いのオメガたちとも和やかに会話をし、桔梗の体には心地良い疲れが全身を満たしていた。 「はー、やっと帰ったわ。玲司、お腹空いたから、何か軽く作って」  鮮やかな薔薇色のイブニングドレスを着た薔子は、髪をまとめていた飾りを外しながら、首をコキコキと鳴らして玲司に命令してくる。 「軽くって……あれだけ散々飲み食いしておいて、まだ食べるんですか? 太ります……った」  義母と言えども女性に向かって禁句を告げた玲司は、薔子が振りかぶった白い手が軽く後ろに流していた頭をバシンと叩き、苦悶で眉を歪めていた。 「デリカシーない男は嫌われるわよ、玲司。ねー、桔梗君もあんまり食べてなかったから、お腹空いたでしょ? お義母さんと一緒に美味しいものでも食べましょうか?」 「え? え?」  突然水を向けられ戸惑う桔梗。 「香織さーん、残った料理を適当に私の部屋に持ってきてもらえるー?」 「ええ、分かりました。何かアルコール類もご用意しますか?」 「うーん、確かにちょっと飲みすぎたから、あっつい紅茶を用意してもらえるかしら」  サクサクと薔子は香織に段取りを伝え、がっしりと桔梗の腕を掴むと、それは女性にあるまじき大股で歩き出す。薔薇色のロングドレスはタイトなデザインで、太もものきわどい部分までスリットが入ってるせいで、彼女が脚を大きく開くたびに白い大腿がスリットから姿を見せる。  扇情的にも拘らず、桔梗は突然連れ出される驚きで、彼女の状態に気づかないまま、二階の一番奥にある、二部屋続きの居間側へと押し込まれたのだった。  別邸というには遊びが全くないシンプルかつ機能的な執務机に、応接用のソファとテーブルは外観と同じアンティークで、飴色のテーブルと深緑色のゴブラン織りがその部屋にあるのがしっくりとくる。 「さあ、座ってちょうだい」  薔子は桔梗をソファへと勧めてきた為、そろりと腰を下ろすと、適度な反発感がやさしく包み込んでくる。ともすればバランスを崩しそうになるも、沢山置かれたクッションが体を受け止めてくれた。  どぎまぎしているのを気づいたのか、薔子はクスリと笑みを零して、桔梗と相対するように座る。  ほどなくして、ワゴンを押して入室してきた香織に、 「玲司はどうしてる?」  それはもう、いたずらが成功した子供のような、弾けそうな笑顔で尋ねていた。 「玲司さんでしたら、総一朗さんと凛さんがお相手していますわ。というか、お二人に監視されながら夜食をお作りになっていますよ」 「結局作ってるんじゃない。香織さん、チャンスがあったら、こっちにも持ってきてくれる? できればさっぱり食べれるもので」  あの玲司を女性二人は掌で転がすように、悪巧みを話している中、桔梗はどうすればいいのか、二人の間で視線をさまよわせる。  それではお待ちくださいね、と言い残し香織が去っていくと、テーブルの上には余り物と呼ぶには瑞々しい野菜を挟んだサンドウィッチや、温もりが伝わってきそうなスコーンにクロテッドクリームと黒すぐりとコンポートのようなベリーのジャム、ケーキは数種をカットしたものをスタンドに綺麗に飾り付けられ、紅茶は保温機に乗せられ、シュガーポットとミルクピッチャー、淡いピンク色の薔薇ジャムが添えられ、更には差し湯のポットもワゴンに添えられていたのだった。  基本的に別邸では香織ひとりが家政を行っていると聞いてはいたが、ここまで凄いと感動すら覚える。 「さあ、冷める前にいただきましょう」  パン、と手を叩いて促してくるのを、桔梗は皿を手に取って、サーブ役を買って出た。 「あら。桔梗君は食べないの?」 「はい。普段もそんなに食べない方なので」 「そういえば、ずっと体調を崩してたんだっけ? 藤田から聞いたわ」  桔梗の前にはスコーンをひとつ乗せた皿。反対にサンドウィッチの皿とほんわりと温かいスコーンにはベリーのジャムとクリームがこんもりと盛られたものが置かれてある。ケーキは最後に取っておくそうだ。 「藤田先生には、玲司さんと出会った当初からお世話になりっぱなしで……。いつも良くしてくれて、おかげでここまで元気になれたんですけどね」  そう、寒川家の専属医師である藤田は、発情した桔梗と玲司が交じった時ですら、先んじて桔梗の体調を気遣ってくれた。それから記憶のない番契約のせいで悩んでいた時も、医療とは関係ないのに相談にも乗ってくれたのだ。  彼がいなければ、桔梗と玲司は今こうして夫夫という関係になっていなかったかもしれない。 「そういえば、今日は藤田先生も花楓さんもいませんでしたね」  ふと思い出して尋ねてみた。  総一朗の相談役として仕えている、藤田の番の楓も来ていると思ったのだが、姿が見えなかったのだ。 「あー、あの二人はね、そもそも招待してないの。花楓は上級オメガの家系の子だけど、藤田はそもそも一般アルファだしね。今日の集まりは上級アルファの集い。参加資格があるのは、上級アルファ家系と、その伴侶のみ。一応、私の兄が総理なんてけったいな仕事をしているから、家の敷地には大勢のSPや警備員がいたけどね」  言われて、パーティが終わりがけに近づいた頃、三兎と話していたら玲司と三兎の番の秋槻が迎えに来て会場に戻った際、薔子から彼女の兄を紹介されたのである。  六十を過ぎたというのに若々しいアルファの男性は、テレビで見るよりも迫力がありながらも、親しみのある笑みを浮かべ桔梗を迎えてくれた。  本心はどうか分からないけども、少なくとも桔梗を排除する雰囲気ではなかったので、ホッとしたのである。 「一応、パーティ会場にも敷地にも真紀がいないって報告を受けてるから、その点は安心してもいいわよ」  唐突に明るい声から冷淡なものへと変わり、桔梗の全身がビクリと震える。  きっと、桔梗をここに連れ込んだ主題はこの件についてなのだろう。 「……本当、あの子にも困ったものだわ。ベータっていうのは置いておいても、元々自尊心の高い子で、無駄に目立ちたがり。うちの総合病院でも隠れてオメガや気の弱いベータの子をいじめてたって報告を受けてるの。まあ、そっちはこっちの事情だから、問題はあんまりないんだけど、玲司の方は、ね」 「つまりは、まだ諦める様子はない、と?」 「察しが良い子は好きよ」  ふふ、と艶然と微笑む薔子は、少しだけ冷めたスコーンを半分に割って、ジャムとクリームをたっぷり乗せるとバクリと口に放り込む。  あのこってりスコーンをひと口で食べるとか、健啖家すぎる。 「香織の手前、解雇しないって言ったけども、正直、もうそこのライン超えちゃってるのよね。あの子には年明けに懲戒解雇を宣告して、本来なら払う必要もないけどちゃんと退職金も出すし、本人が望めばそれなりの再就職先を紹介するけど。ただ、寒川とは一切関係のない個人病院の管理栄養士だから、うちとは給料は雲泥の差だけどね」  それだけの事をしたんだから仕方ないでしょ、とスコーンを咀嚼しながら頷いている。あれだけ大きい口で食べておいて、会話は明瞭とは、一体どんな技術なのだろう。 「本人は納得するでしょうか」 「しないでしょ。そもそも細い繋がりの糸を断ち切られ、家にも近づくなって言われて黙ってる子じゃないわよ、あの性悪は」  ずばりと毒を吐いた薔子に、桔梗はどんな表情をしたらいいのか曖昧な所で固まる。 「最初は飼い殺す程度で様子を見ようと思ったんだけどね、廊下での桔梗君への態度を見るに、あの子玲司に随分執着してる。あ、玲司はずっと真紀に対しては塩対応だったのよ? その点については、私だけでなく総一朗も凛も保障するからね。そもそもあの子の容姿って玲司の好みのタイプじゃないし。……それにしても、病的に執着なんてして、あの子玲司がそういったの大嫌いって知らなかったのかしら……」 「え? ……それってどういう……」 「玲司が私の養子というのは知ってると思うけども、総一朗と凛とは半分しか血が繋がっていないの」  それまでの闊達自在な態度が一変し、沈痛な面持ちで口からこぼれた薔子の言葉は、きっと玲司がひた隠したかったとおぼしき内容だった。 「玲司はね、運命の番に翻弄された子供なの」 「……え」 「さっき半分だけ血が繋がってるって言ったでしょ? あの子は私の夫と私の親友が運命の番で、当時既に私と結婚をして総一朗がいたんだけど、それでも二人は互いに引きあい玲司を成した。私の親友はね、オメガでは上級家格だったんだけど、玲司を身ごもった時に縁を切られ、私が悲しむからと番になったにも拘らず夫から離れ、ひとりで玲司を産んだ」 「……」 「一応、季節の折に密かに手紙は貰ってたんだけど、一切居場所を知らせず、お嬢様だった親友は苦労して玲司を育てたまでは良かったんだけど……」  薔子は話を区切り、冷めたお茶で舌を湿らせる。遠くに馳せた視線は、過去の記憶を反芻しているのだろうか。 「桔梗君はオメガだから分かるわよね。運命の番が離れたらどうなるか」  向けられた質問に、桔梗は小さく頷く。  普通、アルファとオメガが番になった場合は、番の解除もしくは一定の距離や時間、離れると、オメガだけが定期的に訪れる発情に身を焦がし、薬もほとんど効果がなく、ただただ番の熱を求めて、苦しみ続ける。この場合はオメガだけが一方的に苦しむ羽目になる反面、運命の番はオメガだけでなく、アルファにも変化がある。  運命というのは摂理すらも想像を絶する地獄、そう言ったのは誰だったか。  オメガは発情期ごとに番を求めて熱と淫欲に支配され、どれだけ自分で慰めても冷める事のない熱に体も心も壊れていく。生きながらにして地獄の業火にあぶられているような人生。  そしてアルファも同じく、運命に触れられず、燻り続ける熱に翻弄され、番以外の人間を抱いても射精すらできず、熱と思いばかりが体内をうずまき続け、中には発狂する者もいるという。  だからこそ、アルファもオメガも運命に憧れながらも、畏怖を抱いているのだ。  そして、運命を見つけると、番を監禁せんばかりに囲い、逃げ出さないように縛り続ける。  ふと、まるで玲司がやってる事だと気づくが、桔梗は玲司が囲うことに嫌悪もなく、ただひたすらに守られている安堵感でいっぱいとなるのだ。  むしろ執着が強いのは玲司の方で、その彼が執着されるのを嫌がるという事実を知って驚いた位だ。 「最初は季節ごとに私への謝罪から始まり、玲司の様子を伝える事が綴られた手紙が来てたの。だけど、一年、二年と経つ内に、季節ごとが半年ごとになり、年一回になり、そしてとうとう来なくなった」  組んでいた脚を組み直し、膝の上で頬杖をつく、スリットから真っ白な大腿が覗いているが、桔梗の意識は玲司の過去でいっぱいになっており、緊張した空気が部屋を包み込んでいた。 「丁度その頃、夫も番の親友がいなくなって、心身共に壊れていったんだけど、看病の最中、独自で親友の行方を捜す事にしたの。正直、夫の様子を見て、本気で捜索を決めたんだけど」 「それはどうしてですか?」  薔子なら親友を捜すことなんて造作もないこと。それがなぜ、ずっと親友を放置していたのか。 「運命の番が離れた時の話は、データや文献として知ってはいたの。だけど、実際目の当たりにしたのが夫と親友で、日々弱っていく夫を見てたらね、元々丈夫じゃない彼女はどうなっているんだろうって。もう気が気じゃなかったわ」  おかげで見つけるまでに時間がかかったんだけどね、と苦笑する義母に、桔梗の胸もズキリと痛み走った。 「ま、それはそれとして。うちの調査部は優秀でね、苦労の末親友を見つけることはできたわ……既に死んでたけど」 「……っ」 「私が訪ねたのは春も終わり頃。彼女が死んで数ヶ月が経過していて、玲司は当時五歳。そんな子が使い方も分からない銀行通帳と印鑑を握り締めたまま、ガリガリにやせ細っていても誰かに助けを求める術も知らず、ただただ親友の遺体に寄り添って眠っていたわ」  衝撃的な内容に息を詰めるどころか止まってしまった。  壊れたオメガの母の遺体と数ヶ月生活をしてきた幼い頃の玲司。彼はどんな気持ちでその時間を過ごしてきたのか。薔子が発見しなかったら、そのまま後を追うように母の元へと行ったのだろうか。  そう、想像した途端、桔梗は恐怖で全身に悪寒が駆け巡る。 「当然、玲司は保護してうちの病院に入院をさせた。極度の栄養失調に、外と殆ど関わらせなかったせいで知能指数がかなり低くて、五歳だったのに片言でしか話せなかったの」  当初は知的障害も視野に入れて、外部から小児精神に精通した医師を派遣して診察を受けたそうだが、ただ単に外の刺激がないせいで遅れていたとの事で、薔子は玲司の負担にならないよう、彼の個室に少しずつ彼に教育を施す人間を入れていったという。  流石はアルファというべきか。枯渇していた彼の脳は与えられたら与えた分だけの知識を吸収し、ほどなく普通に会話をする事ができたようだ。  ただ…… 「これも運命の番って言うべきか不思議なんだけど、親友の死亡時期が夫の死亡時期と殆ど差がないの。おかげで夫の死後の手続きや処理に追われててね、親友を発見するのが少し遅れたの。……こればっかりは後悔しかないわ。もっと速くに玲司を保護していたら、もう少し何らかの対応ができていたんじゃないかって」  薔子は頬杖をついていた手で顔の半分を覆い、桔梗から表情を隠す。  まだ彼女は後悔に苛まれているのだ。  もっと早く彼女と玲司を発見したかったと。  もっと早く連絡が途切れがちになった時点で保護すれば良かったと。  もっと早く薔子が結婚前に彼女と夫を会わせてあげればと。  たらればを今更言ってもどうにもならないのは、きっと彼女も理解している。  それでも言葉にせずにはいられなかったのだろう。 「大丈夫ですよ、薔子さん。玲司さんはあなたを少なくとも嫌ってません。彼が本当にあなたや義兄弟を嫌っていたら、そもそもこの場に俺がいる事はないでしょうし、番契約の時に藤田さんや総一朗さんを呼ぶ事はしなかったと思います。ただ感情表現をするのが苦手な不器用な人なんですよ、玲司さんって」  桔梗は番の姿を胸の中に浮かべ、ふわりと微笑む。  客商売をしているから、一見すると人あたりも良く、物腰も柔らかくて、誰もを受け入れるように見えるけども、本当はとても警戒心が強く、人間不信な部分もあるし、反面、懐に入れたら執着心は半端ないし、やたらと桔梗を囲ってくるけど。世間ではヤンデレ体質だとは思うものの、決して桔梗が嫌がる事はしてこない為、病み具合が心地良いとさえ感じる事が多々ある。  自分もたいがい病み属性だな、と内心で苦笑しつつ。 「本当に嫌だったら、俺がここを訪ねたいと言ったとしても、連れてくる事はなかったでしょう。幾ら俺が鍋ものが好きだとしても、それを家族で食べるといったことをしないと思いますよ。ね、玲司さんは皆さんを嫌ってなんかいません」  ゆっくりと立ち上がり薔子の傍に座ると、そっと薔薇色のドレスをきつく握り締める手の上に自分のそれを重ねる。 「薔子さんも気付いてますよね。玲司さん、なんだかんだ言っても、薔子さんの要望に応えてくれてますから。ね? 玲司さん」  桔梗は顔を上げ、きっちりと閉まった扉へと声をかける。すぐにかすかな軋む音が響き姿を現したのは最愛の番で、彼の手にはまだ湯気の立つスープ皿がふたつ乗せられていた。

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