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『所詮オメガはアルファの寄生虫なんですから』 『我社にお前みたいなアルファを色仕掛けで誘うオメガなんぞいらん!』 『あんな人が玲司さんの番だなんて。きっとヒートで玲司さんを惑わしたに違いないんじゃないかしら』 『これだから淫乱オメガは』 『アルファ上流階級の香月家にはオメガなんぞ不要だ! 桔梗、お前は私の子ではない!』  アルファは世界を統べる王で、ベータは王に仕える家臣。じゃあ、オメガは……? 「──っ!」  意識が一気に膨れ上がり、弾けた途端、桔梗はビクリと全身を震わせて目を覚ます。  見た事あるようで、見慣れない場所。ここは…… 「桔梗君?」 「っ!」  頭上から聞こえた声に、またも体が激しく震える。しかし、部屋を包むハーブの香りに気付くと、ささくれ立っていた気持ちが少しだけ落ち着き、そろりと視線を声がした方へと向ける事ができた。  大人が四人寝ても十分余裕のあるベッドの真ん中で、桔梗は玲司の膝を枕に眠っていた。 「ここは先ほどとは違う部屋です。あちらには余計な虫が入ってきましてね。更にセキュリティの高い部屋に変えて戴いたんです」  桔梗の心の内を読んだように、玲司がそう説明をする。労わるように髪を撫でる優しい指の温もりに、桔梗は「そうですか」と小さく呟いていた。  無音の部屋に桔梗の髪の流れる音と、身じろぐ度に奏でるシーツの音が揺蕩う。玲司の匂いがすぐ近くにある心地よさに、トロンと目を閉じかけていたその時。 「玲司兄さん。桔梗さん起きた?」 「っ、あ……」 「あぁ、凛。少しそこで待っててください」  扉の向こうから聞こえた声に、桔梗の体は再び緊張状態に陥る。玲司は桔梗の髪を梳きながら、何度も「大丈夫ですよ」と落ち着くまで宥めてくれていた。 「一応、体を綺麗にした時に外傷は確認しましたけど、一度凛に診察してもらいましょうね。本当は藤田さんを呼びたかったのですが、あれでも医師の資格を持ってますから」 「え、でも……」  寒川の子供は三人。総一朗も玲司もアルファで、あれだけの美貌を持ち、更に医師の資格があるとなると、彼もアルファなのだろう。今は玲司以外のアルファに触れられるのが怖い。  桔梗は玲司のズボンを皺になる程掴み、イヤイヤと首を振って抵抗する。 「大丈夫、桔梗君。あまり表沙汰にはなっていませんが、凛はオメガですから」  クスリと苦笑する声と共に聞こえた玲司の言葉に、桔梗はその動きを止めたのだった。 「まだ吐き気が続いてるって事はない?」 「……はい」  そうなると、他のアルファが噛み跡に触れた事による拒絶反応かなぁ、と桔梗が差し出した体温計に視線を落として凛が呟く。 「玲司兄さん、桔梗さんは挿入されてないんだよね?」  凛はアルコールを染みこませたカット綿で体温計を拭い、ケースへと戻しながらの問いに、桔梗は怯えから体を戦慄かせる。  凛、と嗜める玲司だったが、問いかけた凛の表情は至って真面目で、軽い気持ちでの言葉ではないと気づき、小さく頷き口を開く。 「ええ。犯人が桔梗君に馬乗りになっていたおかげというべきか。寸手の所で救助したので、多少の打ち身や擦り傷はありましたけど、桔梗君は綺麗なままです」  きっと最後の言葉は桔梗へと向けた言葉なのだろう。リーダー格の男がうなじに触れた拒絶反応で嘔吐し、意識をなくしてしまったせいで、気がついてから玲司に聞きたくて聞けなかった言葉が桔梗に安堵をもたらす。  汚されなかった。まだ自分は玲司に愛される資格がある。  じわりと浮かんだ涙を隠すように、桔梗は玲司の腰に腕を回して抱きついた。  きっと、玲司はこれまでと変わりなく桔梗を愛してくれるとは思う。だが、未来の事は誰にも分からない。もし、何かのきっかけで、今回の事が起爆剤になったとしたら、確実に二人の関係はあっという間に崩壊するかもしれない。そうなったら桔梗はまた一人ぼっちになってしまう。 「……玲司兄さん。僕、玲司兄さんが淹れたコーヒーが飲みたいな」 「え? 何ですか、唐突に」 「いいからいいから。玲司兄さんは三人分のコーヒーを淹れてくるの、はい!」  まさに唐突というか、傍若無人というべきか、凛はいきなり飲み物の要求を玲司にし、手を振って追い払う仕草を見せる。 「別に玲司兄さんの言葉を信じないって訳じゃないんだけど、それなりに診断しておかないと、藤田先生が怖いんだよね。あの人、笑いながら無茶ぶりしてくるんだもん」  だから、と強制的に玲司を追い出そうとする凛を、玲司は深い溜息を吐いて、そっと桔梗の頭を撫で。 「すみませんが、ここで待っていてもらえますか? 不安なら、扉は開けておきますよ」 「……呼んだら、すぐに来てくれますか?」 「ええ、勿論。隣のリビングにキッチンがありますので、声が聞こえたら駆けつけますから」  覗き込みながら話してくるのを、桔梗は子供のようにコクリと頷く。  玲司はベッドから降りると、桔梗の背中にクッションと枕を敷き詰め、体に負担がないようにしてくれ、凛に無理はさせないように、と言い置いて部屋を出て行った。  桔梗は消えていく玲司の背中を切なげな眼差しで見送る。これまで数多の人が自分に背中を向けて居なくなっていったが、こんなにも胸が締め付けられる気持ちになった事はなかった。 (今からこんな気持ちになるとは。何かあって離れる事になったら、俺は耐えられるのだろうか……)  重苦しい溜息が漏れる。  きっとこんな事を口にしようものなら、玲司は確実に怒って、散々己の愛を桔梗の体に刻みつけて、妊娠させてしまいそうだ。反対に、見知らぬアルファに襲われてしまった桔梗を、過去に傷と持つ玲司が果たして今までどおり愛してくれるのか、胸の内は不安に塗りつぶされてしまう。 「桔梗さん」  始まりは色々あったけど、桔梗はちゃんと玲司を人として好きだ。  威嚇フェロモンで人を威圧した時には、この人はアルファなのだと認識したが、普段はとても穏やかで、彼の店『La maison』のように一緒にいるだけで心地良い人。 「桔梗さーん、聞いてるー?」  家族よりも他人よりも、桔梗の奥深くまで入り込んできた人。  奥ふかく…… 「……っ!」 「桔梗さん?」  脳裏に、自分が玲司に抱かれた時の光景がよみがえり、その生々しさに頭を抱えて悶え暴れたいのを懸命に抑える。一体、自分は何を考えているのだ、と内心で叱責していた。 (だけど、玲司さんとシてる記憶が浮かんでも、全然嫌悪感とかなかった。むしろ……)  ふわりと自分の体温が上昇していくのに気付く。  心臓はドキドキと早くなっていき、喉が凄く渇くのを感じる。  遠くで、ガチャン、と陶器が割れる音がして、バタバタと慌てて駆け込んでくる音と共に、ハーブの清涼な香りが濃くなっていく。 「桔梗君! もしかして、発情期に……っ!?」 「玲司さん……俺……」  番の持つ唯一の匂いを抱き締められ強く感じる。脳がくらりと酔い、秘蕾からトロリと蜜が溢れ出す。今すぐにでも玲司に奥まで貫かれたい。だが…… 「今日は我慢してね、二人共」  欲望に濡れた目で互い見つめ合っていると、淡々とした声が空気を裂く。 「桔梗さんはほぼ無傷とはいえ、心まではどうなってるか分からないし、一晩は絶対安静にしてる事。ちょっと強めの抑制剤を処方するから、二人共飲んで。あと、今晩は寝室も別にしてね。ここ、インペリアルスイートでしょ。他にも寝室と浴室があるだろうから、一晩我慢して、明日僕が許可したら好きなだけいちゃつけばいいと思うよ」  矢継ぎ早に凛は言って、無骨な鞄から薬袋を二つナイトテーブルに置く。そこにはアルファ抑制剤とオメガ抑制剤と記載されていた。 「玲司兄さんから、桔梗さん発情(ヒート)周期は聞いてたから、そろそろだとは思ってるけど、今回のショックで誘導された可能性もあるから、今晩は薬を服用して様子を見てくれる? 問題ないようなら、好きなだけセックスしても構わないから」  明け透けな凛の言葉に玲司は渋面を作り、桔梗は真っ赤にした顔を玲司の胸に押し付ける。頭上から咎める玲司の声が聞こえたが凛の反応はなく、代わりに扉の締まる音が部屋の中に響いた。

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