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極道とウサギの甘いその後4-11

 『SILENT BLUE』では残業というのは基本的にないため、営業時間の終わる頃には迎えの車が下に来ている。  忙しい中迎えに来てもらっているのに待たせてはいけないからと、退勤後はできるだけ早くビルを出るようにしていた。  照明の控えめになったエントランスを出ると、いつも通り、車寄せに無駄に威圧感を放つ松平組の黒いセダンが止まっている。  運転席に挨拶をしながら後部座席のドアを開けた湊は、そこに座っている人物を見て驚いた。 「……竜次郎」 「……………………おう」  竜次郎が迎えの車に乗って来ることは皆無ではないが、最近では比較的珍しい。  表の店が閉まり始める頃に、地下の玄人向けの裏賭場が開くという。  日付の変わる頃というのは、松平組にとって何かとトラブルの起こりやすい忙しい時間帯なのだ。  大丈夫なのだろうかという心配はあるが、昨日の朝以降まともに話をしていないので、少しでも早く竜次郎に会えたことはとても嬉しい。  だが、素直に喜んだのも束の間、走り出した車内の空気はやけに重いものだった。  腕組みをしたままずっと黙っている竜次郎の様子をちらりと窺うと、なんだかとても難しそうな顔をしている。  いつもはすぐに抱き寄せられて、運転席が気になるほどに色々触られたりするというのに。  もしかして、朝から何も告げずに出かけてしまったので怒っているのだろうか?と、湊は不安な気持ちになってきた。  今まで、竜次郎が湊に対して本気で怒ったことはない。  駄目なところは言われれば直すつもりではいるが、許してもらえなかったらどうしたらいいのだろう。  竜次郎のそばにいられなくなることを考えると背筋が冷たくなる。  とにかくまずは謝るべきだと決意を固めたが、先に口を開いたのは竜次郎だった。 「その……悪かったな」 「え?」  何故か先に謝られてしまった。  驚いて目を瞬かせていると、竜次郎はぼそぼそと絞り出すような声で続ける。 「俺が全面的に悪かった。……だが、俺にもまだ至らねえところが色々あるが、少し長い目で……」 「?」  竜次郎は何を謝っているのだろうか? 「あの……竜次郎、怒ってるんじゃないの?」  つんと袖を引いて問いかけると、竜次郎は片眉を跳ね上げる。 「ああ?怒ってんのはお前だろ」 「「???」」  会話が噛み合わず、二人で首を傾げた。 「俺、怒ってないよ?」 「いや、怒ってんだろ。今日は連絡しても一言の返事もねえし……」 「えっ?……あ、」  慌ててバッグの中からぱっとスマホを取り出すと、確かに竜次郎からの着信が並んでいる。  鹿島と顔を合わせてから今に至るまで、その存在を思い出さなかった。  開店前に一度ロッカーに着替えに寄っているのに、スマホを確認することを思い出さなかったのは、既に仕事モードになっていたせいだろう。  元々、それほど頻繁に着信や通知をチェックする方ではないが、竜次郎のことをまるっと忘れていたなんて、『SILENT BLUE』の関係者の癒し力の高さのせいだ……ということにしておきたい。 「ごめん……スマホ、ロッカーに入れっぱなしで朝から一度も見なかった……」 「は?」  ・ ・ ・ ・ ・ 。  眉を下げて謝ると、たっぷり間があって、竜次郎は止めていたらしい息を長く吐き出した。 「~~~びびらせんなよ。すっげー怒ってんのかと思って生きた心地がしなかっただろ」 「ご、ごめん」 「じゃあ、仕事で早出ってのはマジだったのか」 「え?あ、あー……」  流石に苦しい言い訳だったので、竜次郎にも見抜かれていたようだ。  竜次郎が心配してくれていたというのに、湊は世界最美味(当社比)の肉じゃがに舌鼓を打ち、スタッフ用とはいえ最高級素材のソファで惰眠を貪って、優しい人たちに囲まれて幸せな時間を過ごしていたのか。  なんだかもう申し訳ない気持ちしかない。  せめて肉じゃがを持ち帰れればよかったのだが、もちろん久世と鈴鹿が完食していた。  湊が濁したので、竜次郎が「やはり」と表情を硬くする。 「湊」 「……ごめん。仕事ではなかった。その、ちょっと花嫁修業を……」 「叔父貴のこと気にしてんのか?お前は別にそのままでいいんだぞ」  料理を習ったのは成り行きだったのだが、『花嫁修業』をなんとなくいいように解釈してくれたので、それに乗ることにする。 「レパートリーが増えた方が竜次郎も嬉しいでしょ?今度作るからね」  湊が料理を覚えたいと思うのは、九割以上竜次郎に喜んでもらいたいからだ。  だから、嘘はついていない。  怒っていないということでほっとしたらしい竜次郎からはそれ以上突っ込まれず、湊は胸を撫で下ろしながらも内心は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

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