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第3話 オトモダチ
エリスの辿々しい日本語で説明された、二週間前の出来事はこうだ。
その日、各種企業が合同で行った食事会に、エリスも参加していた。食事会の閉会が近くなった頃、エリスは少し外の空気を吸いたくなったらしい。一人で会場の外に出て、プラプラと夜道を散歩し、慣れない日本の街並を楽しんでいるうちに、しっかり迷子になった。
スラム街(エリスはそう言っていたが、日本にはそんな所は無いので、まあ歓楽街にでも迷い込んだのかもしれない)に入ってしまい、マフィアに(これもそうそう居ないだろうから、客引きか何かだろうか?)捕まって、何を言われているのかわからず困っていた。
そこへ現れたのが白馬のプリンスだ(勇気はここで思わず噴き出してしまった)。現れた男はマフィアに立ち向かい、エリスを助け出してくれた。
彼は丁寧に名刺を渡しながら勇気と名乗り、何処から来たのか、帰る場所はわかるか聞いてきた。そして滞在する予定のホテルまで案内してもらった。エリスはこの親切な日本人に大変感動して、お礼に一杯飲んで欲しいと部屋に置いてあるワインを勧めた。勇気は喜んで部屋に来たので、二人で飲んだという。
そうして二人で色んな話をした(これについてエリスは詳しくは話してくれなかった)。そのうち、勇気は「可愛い」とエリスを口説き始め、「キスしたい」と言われたのでエリスは了承した(了承するほうもどうかしていると思う)。そして勇気がしてきたキスは友情を表すものではなかった。
ハリウッド映画のような情熱的なディープキスを何度も重ねて、勇気は「俺のお嫁さんになってほしい」と囁いた(この辺りから話を聞いていた勇気は頭を抱えて蹲っていた)。
ハイ……と頷いて、私、オヨメサンになる、と返事をしたりしているうちに、勇気はみるみる青ざめて、トイレに駆け込んで行った。そこから虹のように飲食物を吐き出し(エリスの感性はよくわからない)、勇気は「家に帰る」とヨレヨレ部屋を出て行った。
心配だったのでタクシーをフロントに頼んで、勇気に「次はいつ会える?」と尋ねた。それに対して「また連絡する」と勇気は笑った。それが、エリスの見た最後の勇気の姿だった。
そして、勇気からの連絡が来ないまま、今日に至る、ということらしい。
「私、パパンに、ユウキにまた会いたい、って言った。そうしたら、パパン、名刺を頼りに、調べてくれた、でも、ちょっとクレイジーだから、やりすぎた。ごめんね? ユウキ」
「あ、……いや、うん……はい……」
勇気は事実を受け入れるのに必死だ。酔った勢いで金持ちの御曹司を口説いてディープキスをし、嫁になれって言った? 信じられない。頭を抱えるしかない。
昔から酒には弱かったが、別に周りから酒を止めるようには言われなかったし、記憶を無くしていたが、特に失態を犯していなかったのだろうと思っていた。ところが、今回のことが全て事実なら、これは大変な事件だ。
勇気は元はヤンチャな性格である。ヤンチャといえば可愛いものだが、要はバイクをブイブイ言わせ髪を逆立てバットを振り回し殴り合っていたような人種だった。高校受験を期に、金髪は黒くなり、言葉は小綺麗になり、ピアスは抜いて伊達眼鏡をかけた。俺は僕に、そして私に。今の勇気は「社会人用に作られた」勇気の姿である。
酒を飲んだせいでその仮面がばりっばりに剥がれてしまったのかもしれない。勇気は額に手を当てて、青ざめていた。
「ユウキ? 大丈夫?」
「あ、ああ……大丈夫です、えっと……エルさん」
「エル、でいいよ」
「……え、エル……その……本当に申し訳ないんだけど……」
その日のことは、酔っていて覚えていないし、間違いだったことを認めます、本当にごめんなさい……。そう呟くと、エリスは本当に悲しそうな顔をした。
「間違い?」
「その……」
「私とは、アソビだったの?」
「そ、そんな日本語は知ってるんだ……。ち、違うんですよ、そんなつもりじゃ、とにかく、俺は酔ってて正体を無くしてて……」
「ショウタイを無くして?」
「あー、あー……えーと、つまり、俺じゃなかった、わかる? お酒のせいで、俺が俺じゃなかった……」
なんとか伝えようと身振り手振りも交えて話す。エリスは不安げな、悲しげな顔をして、ユウキを見る。まるで震える仔犬のような、なんとも憐みを感じる表情をしていた。
「私とは、終わり?」
「そ、そうは言ってないんだけど、なんていうか、お嫁さんとかは一旦忘れて……」
「私を、オヨメサンに、してくれないの?」
「な、なりたいんですか、逆に」
「なりたいよ?」
「え、えー……」
即答されて、勇気は困ってしまった。この世間知らずな外国人は、いたく勇気を気に入ってしまったようだ。これは困った……と髪を掻く。どうにかして関係をニュートラルに戻さなければいけないが、なかなかこの仔犬を傷付けないように断るのは難しそうだ。
「あー、あー……あ! そう、そうだ、順序、順序ってもんがありますよ、エル」
「順序?」
「いきなりオヨメサンは行き過ぎ! お友達から始めましょう。わかる? フレンド。ユーアンドアイ、フレンズ、オーケー?」
英語はよくわからない。適当になんとかしようと言ってみると、エリスはやや不服そうな顔をしていたが、「オトモダチ」と復唱してくれた。
「そう! お友達から、お付き合い、恋人、お嫁さん。順序!」
「オトモダチから、オヨメサン」
「飛んでる飛んでる。まあいいや、つまり、そういうこと! これから俺と……私と、エルは、お友達。オーケー?」
「……」
エリスは少しの間考えていたが、やがて「オーケー」と微笑んだ。それに安心して、勇気は思わず笑った。
「オーケー! よかった!」
「じゃあ、新しいオトモダチ、カンパイ、しよ?」
「うん、うんいいよ、カンパイ、カンパイ!」
ワイングラスを寄せられて、勇気は喜んでグラスを当て、上等の赤ワインを飲み干した。
そして気が付くと、裸でベッドに入っていた。隣には、同じく裸のエリスが横たわっている。
勇気は青褪めた。
どうして、どうしてこんな事に。
全身から冷たい汗が噴き出る。隣に転がったエリスは真っ裸でスヤスヤ眠っていた。白人らしい透けるような白い肌には、所々真新しいキスマークが付けられている。
恐る恐る勇気も自分の体を見ると、身に覚えのないキスマークが付いている。断じて虫刺されではないだろう。こんな状況で他に女性を呼んだとも思えない。
つまり、つまり、つまり。
勇気は頭を抱えて震えていた。
順序が有ると言ったのは自分だ。友達から始めようと説得して、ワインで乾杯したまでは覚えている。そこから何が有ったら、こうなる。考えなくてもわかるが、わかりたくなかった。
「んん、ん……」
ぐずるような声を出して、エリスが目を覚ました。ひっ、と勇気は僅かに息を呑んで、彼を見る。彼は、勇気の顔を見ると、僅かに顔を赤らめた。
「ユウキ……」
「や、やめてくれ、何も言わないでくれ……」
「ユウキ……すごく……violence……」
「やめて!」
バイオレンス、と言う割に顔を赤らめているから、満更でも無かったんだろう。聞きたくなかった。酔った勢いで男と寝る時に自分がどうなるかなんて。
「やめて……間違いなんだよ……これは間違い……なんで……どうして……」
「ユウキ、また、覚えて、ないの?」
「うう、すいません、すいません、どうして、なんで……」
泣きたくなってきた。勇気が嘆いていると、エリスがそっと勇気の体に触れてくる。その手は白くて、優しい。
「ユウキ」
「うう……」
「私、ユウキの、オヨメサン……」
「違う、違うの! ごめんね! 本当に違うの! お友達から! お友達からなの!」
「オトモダチ?」
「そう、お友達!」
エリスはしばらく黙ってから、「bed buddy」と呟いた。たぶんセックスフレンドの事だと理解して、勇気は「それも違うの!」と声を荒げなければならなかった。
そうして、勇気とエリスの奇妙な関係は始まってしまった。
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