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第37話 始まったばかり
「ユウキ〜! こっちだよ!」
約束の駅を出ると、一台の黒い車の前でエリスが元気に手を振っていた。冬の寒さは本格的になっている。白いコートにマフラーを巻いたエリスは、長い金髪や薄い色素、それにすらりと細い体など色々と相まって、まるでロシア人モデルのようにも見えた。
勇気は車にあまり興味が無いから、車種が何かはよくわからなかったが、なんだか高そうな気がする。勇気はいつも通り、その辺の安い店で買ったパーカーにデニム、スニーカーという出で立ちだったから少々恥ずかしく感じた。しかし「ユウキ! 早く!」とエリスに腕を掴まれて、あっという間に後部座席へ連れ込まれた。
運転席には透夜の姿が有る。ブランドものなんだろうな、と思う、なんだか個性的な柄の服を着ていた。
「トウヤ君、オテラサンまで、どれぐらい?」
「30分くらいだと思いますよ、エリス君」
「わかった!」
エリスは嬉しそうに「楽しみだね」と勇気を見て微笑んだ。尻尾が付いていたらきっとブンブン振っている事だろう。そんなエリスの姿に、勇気も自然と笑顔になったし、透夜も心なしか楽しそうな様子だった。
今日は土曜日で、3人は友達らしくみんなで初詣に行く事になっていた。
初詣。1月はとっくに終わっているのだが、エリスに言わせれば、その年に初めて行くなら初詣だろうとのことだ。まあ、エリスがそれでいいならそれでいい、と思う。大願成就の縁起の良いお寺を調べ出したのは透夜で、少しアクセスが悪いから車を出してくれると言った。
透夜さん免許持ってたんですね、と言うと、エリス君の移動を手伝ってあげたいですからね、と返事。そんなところまでエリス最優先なのだ。こ、こじらせてるぅ……、と勇気はまたちょっと引いた。
辿り着いたのはそれなりに山の中の、広い駐車場だった。ここは大きな寺らしい。というのも、寺自体は山頂に在って、ここからでは隠れていて見えない。参道は山を登る階段しかなくて、3人は車を残し、長い長い階段を登ることとなった。日本人は足腰が強い、なんていうのは幻想でしかなくて、エリスは初詣そんなに嬉しいのか、最後まで元気に登っていた。透夜は死にそうな顔をしていた。
山頂の寺は良く言えば趣が有り、悪く言えば随分古そうだった。縁起はいいらしいので、参拝の作法に則ってお詣りをする。エリスは透夜や勇気の動きを真似をしながら、楽しそうな顔をしていた。
寺で拝み、大願と言っても特には思いつかなかった勇気は、これからもみんなが幸せでありますように、となんともぼんやりした願いをかける。きっと透夜はエリスのことを願っただろう。エリスはどうだろうか。チラッと彼を見ると真剣な表情で拝んでいた。
参拝が終わって、お守りなどが売ってあるのを見ていると、「ユウキ」とエリスが声をかける。
「おみくじ」
「おみくじ? 興味有る?」
「ママン、楽しい、言ってた」
エリスがそう言うと、唐突に「井之上勇気ぃ!」と透夜が荒ぶり始めた。なんだなんだと振り返ると、「僕とおみくじで勝負だ!」と彼は意気揚々とおみくじの機械に小銭を突っ込む。
「おみくじに勝負とか有ります?!」
「おみくじバトル! 私も、やる!」
「ほら、エリスが変な知識を得たじゃないですか!」
エリスも嬉しそうに参戦してきたから、勇気もおみくじを買うことになった。機械から出てきたおみくじをビリビリ開いて、中を確認する。
「俺は、吉ですね」
「吉! 微妙だな、井之上勇気にぴったりじゃないか!」
透夜が笑うので、透夜さんは? と覗きみれば、そこには小吉と書いてあった。
「そんな事言って、大差はないじゃないですか! っていうか小吉と吉ってどっちが強いんですかね……?」
「おいしい、と、ちょっとおいしい、だと、ちょっとおいしいのほうが、残念な感じ、するから、小さいのほうが、弱い?」
「そんなことはないよ、エリス君! 小吉は吉の上さ、つまり僕の勝ち!」
わーははは、と透夜は嬉しそうに笑っている。しょうもない争いだ。勇気も、ははは……と力無く笑っていると。
「オー、見て、私、この漢字読める、大きい! 私が、勝ち!」
エリスが嬉しそうに大凶を見せてきたものだから、勇気と透夜は二人して顔を見合わせて、笑いあった。確かに、エリスの勝ちではあった。
「オー! ユウキ、あれ、なに?」
おみくじを境内の木に括り付けて。帰り道で、エリスは屋台に気付いた。たこ焼き、りんご飴、たい焼き……といった、よく見る屋台がいくつか出ていた。
「ジャパニーズフリーマーケット」
勇気がそう言ったが、横で透夜がニヤニヤしていたから、恐らく英語は全く合っていないのだろう。
「みてくる!」
エリスは子供のように屋台にかけて行って、興味深そうに売り物を見ている。そんな背中を見ながら微笑ましく思っていると、ふいに透夜が「井之上勇気」と呟いた。
「エリス君が急に日本に戻ると言い出して聞かなかったのは、たぶん貴様のせいだろう」
「……まあ、そうですね……すいません」
「謝ることはない。どのみち、エリス君の気持ちは固まっていたから、遅いか早いかの違いだけだった」
エリスは、透夜の部下になった。日本のサラリーマンを経験して、末端を知ってから経営なりなんなり、やることを選びたい。それがエリスの考えだ。それを選ぶことができる時点で、勇気とエリスとでは住む世界が違うのだとは思う。それでも、エリスが精一杯歩み寄ろうとしてくれているのだから、こちらこらも歩み寄りたい。それが勇気の考えだ。
「井之上勇気、誇れ。貴様はエリス君にあの笑顔を与えた。エリス君を変えたのは確かに貴様であって、他の誰でもない。そしてこの僕も、エリス君と貴様に変えてもらったと思っている。見たまえ、あの天使のような美しい人を」
エリスは嬉しそうに微笑んで、屋台の主から商品の入った袋を受け取っている。何か買ったらしい。
「あれほど美しい天才が、我々のような凡人を見下すでなく、ただ愛して微笑んでくれる。それこそ天使だ。我々はエリス君の愛に応えなければならない、そう感じる。井之上勇気、貴様はエリス君に求められているんだ。色々考える時も有るだろうが、エリス君にとって貴様はかけがえの無い存在だろう。そしてエリス君は天使のような人ではあるが、天使ではなく人だ。人にはできることと、できないことがある。大凶の凶が読めないように。我々は、助け合い、支え合わなければ、完璧にも近付けない。つまり。つまりだ」
貴様は必要だ、井之上勇気。
透夜の言葉に、勇気は一瞬ポカンとして、それから苦笑した。
「ユウキ! トウヤ君!」
助けて〜、と言いながら、エリスが山のような荷物を持って駆けてくる。なんでも、屋台の主が人懐こい外国人を面白がって、みんな沢山のおまけをしてくれたらしい。勇気は慌ててそれを受け取ってやった。
その日は日が暮れるまで観光をして過ごした。勇気とエリスの庶民的な食事デートとは違い、日本のありふれた光景を探しに行く旅は、それはそれで楽しかったし、透夜の車が無ければ実現しなかっただろう。夕暮れの海岸を走る。灯台の見える岬の前で車を停めて、夕日が沈んでいくのをみんなで眺めた。
勇気は橙色の太陽と夜空が混ざり合うその不思議な色合いの世界に佇む、嬉しそうなエリスの横顔を見ながら、両親のことを思い出した。
人は助け合うもの、支え合うもの。
透夜の言っていた事は、恐らく事実だ。ふさわしいとか、そういう問題では無い。愛しいと思うか、守りたいと、助けたいと思い合えるか。相手の幸せを願えるか。それが一番大切なのだ。
「また、3人で、遊ぼうね」
エリスが微笑む。その言葉に、勇気も「うん」と素直に頷いた。こんな時間がずっと続けばいい。エリスも、だいぶこじらせている透夜も、幸せになれたらいい。それは本当に思う事だ。
日が沈んで、辺りが暗くなると、そろそろ帰ろう、と透夜が言って、先に車に戻った。後を追っていると、「ユウキ」とエリスが声をかける。「ん、」と振り返ると、エリスが小さな声で言った。
「明日、デート、しよ」
その微笑みが、ただのデートだけを指していないような気がして、勇気は照れながら頷いた。
彼らの関係は、まだ始まったばかりだ。
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