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第1話 漆黒の男

 黒髪を靡かせバイクに跨がり猛スピードで夜の住宅街を走り抜ける男。アコースティックギターを背負った俺は、その後ろで振り落とされないように、男の腰に必死にしがみついていた。 「どこに行くんだッ!」  俺の問いは爆音に掻き消されたか、もしくは男の意図的な無視によってただの独り言になった。  行く先が天国であるとは全く思えないが、地獄であったとしてもついていくしかない。今ここで抵抗したとしても、アスファルトの上に全身を叩きつけられて二人して御陀仏。十六の誕生日を迎えたばかりで、訳も分からないまま死にたくはない。  その前にバイクに乗ったのがそもそもの間違いだろうと言われてしまえばその通りなのだが、だからと言って乗らないという選択肢も俺には無かった。黒ずくめの一回り以上大きな体躯の男に力で抗えなかった。俺は敗北したのだから、最早従うしかない。  学校への通い慣れた道のはずが、ここにはもう来ることはないのだろうという予感めいたものがあって、今はもう遠い場所のようだった。しかし、感傷に浸るようなこともなく、そうなのだろうと冷淡なほどに思うばかりだ。  ──なぜ、俺が。  運命という言葉では片付けられない、わだかまり。それだけが、喉に引っ掛かった小骨のように留まっている。  「石油王の息子と結婚したい」と馬鹿げた妄想をした何も知らなかった数分前の俺を、嘲笑し、少し羨ましく思い返した。  日が落ちても明るい街を俺は一人ギターを背負って、自宅に向かって歩いていた。 「……何か良いことねえかなあ」  ぼんやりと視線を上げた先に、大通りの巨大モニターが目に飛び込んできた。昨日から話題になっていた、アラビアの石油大国の王子が来日しているというニュースが流れている。  この道を数時間前に通った時は、こんなに憂鬱な気分じゃなかったのに。そう思うと、溜め息が零れる。  数十分前のことだ。今のバンドの形になって初めてスタジオを借りて練習することになって、前日から興奮して眠れなかったぐらいに楽しみにしていた。SNSでロックバンドをやりたい人を探して――俺がボーカルとリズムギターを担当するので、リードギター、ベース、ドラムをできるやつ集めた――、スタジオで初顔合わせをしたのだが、他のメンバーは俺の風貌を見て驚いたり、にやついたりしていた。まずその時点で止せばよかったのだと思う。  逆立てた金の髪、有名バンドのロックTシャツにライダースジャケットを羽織り、穴空きのジーパンという俺にとってはスタンダードなスタイルだった。しかし、他のメンバーは服のタイプから俺とかなりずれていて、いわゆるロキノン系と呼ばれる類いのジャパニーズ・ロックを彷彿とさせる風貌だ。 「初めまして、ボーカルギターの黄太だ。宜しくな」  皆とりあえずといった様子で俺と握手をする。受付を終えてスタジオに入り、俺がひとまずコピーしたいと思っているアメリカのロックバンドの曲をやることになったのだが、メンバーのうちギターとベースがどう考えてもほぼ素人で、ベースは曲のノリについてこれていない。 「なんだよ、このヘタクソ! やる気あんのかよッ!」  余りの酷さにブチ切れた俺は、演奏を途中で止めて叫んだ。静まり返るなか、俺の顔を見てにやついていたドラムの男が鼻で笑って立ち上がる。 「何勘違いしてるのか知らないけど、こんなのお遊びじゃん。下手でもなんとなく形になればいいっしょ。適当に誤魔化してやってけばさ」 「んだと? ロック舐めてんのかッ!」  掴み掛かろうとする俺をギターとベースのやつが二人がかりで止める。 「何熱くなってんの? お前そのかっこの通りだっせえな。つか、今時こんな古くさいバンドのコピーとか有り得ねえだろ。やる気出る方が可笑しいっつの」  半笑いで言うドラムに、俺は二人を無理矢理払い除けて、思いきり顔面目掛けて拳を振り上げた。男の顔が引き攣り、守るように腕で顔を守る。数秒前まで振り下ろしかけていた拳を、奥歯を噛み締めぐっと堪えて止めた。 「す、すぐ暴力に訴えるとか頭可笑しいだろ……! こんなクソ野郎とやれるかよ……!」  ドラムのやつが荷物をまとめて部屋から飛び出していくと、他の二人も追い掛けるように慌てて出ていった。一人部屋に取り残されて、俺は大きく溜め息を吐き、肩を落として部屋を片付け、スタジオを後にした。  大通りに差し掛かり、ふと曲がり角の店のぴかぴかに磨かれたショーウィンドウに映る自分の顔を見る。金色の髪も、金に近い彩度の高い茶の眼も、生まれつきだ。  「みんなとちがう」と物心がついた頃から言われ、奇異なものを見るような目を向けられた。両親が黒髪の一般的な日本人だから、余計に変な噂が立った。血が繋がらない家族だとか、俺は孤児院から引き取られたんだとか、色々と。  俺が言われるうちは我慢できたが、母さんの不貞を疑うような酷い中傷をぶつけられた時に初めて人をぶん殴った。  母さんから説明されたのは、どうやら隔世遺伝らしいということだった。母方の祖父に当たる人の父親が外国人だったらしい。祖父母は早逝しているため、母さんはあまり詳しいことは知らないというが、自分の腹を痛めて生んだことは確かだから、と話してくれた。その目に嘘はなかったし、俺は両親にとんでもなく甘やかされているので、愛情を疑うことは少しもなかった。  喧嘩を吹っ掛けられたり、殴りつける度に、段々と周囲から孤立したりしたけれど、そうして見た目で損ばかりしていると思うのだけは嫌だった。  だからだろうか。自分の見た目に合わせるように洋楽を聴くようになって、ファッションも変わっていった。そんな不純な動機で入った洋楽の世界だったが、八十年代のハードロックバンドに出会った瞬間魅了され、今やすっかり洋ロック漬けの毎日になった。  小さい頃から両親に歌が上手いと言われていたこともあり、自然と俺はロックバンドのボーカルとしてスターになることを夢見ることになった。十歳の誕生日にエレキギターを買ってもらい毎日練習し、そうして今年高校生になって、バンドを始めたいと思ったのだ。それが、このざまだ。  初めての大きな挫折に、今まで人を遠ざけてきた人生を悔やんだ。誰かと何かをするということは、とても難しいことなのだと痛感する。特に俺のように中傷を「すぐ暴力に訴え」て解決する道しか選んで来なかった人間には。  大型スクリーンにはまだ石油王の息子のニュースが映し出されている。普通に渋谷のスクランブル交差点を歩いたり、スカイツリーに行ったり浅草観光をしたりしたそうだ。インタビューを受けている女性が「王子に求婚されたら絶対結婚する」と妄想を爆発させている。 「男の俺だって石油王の息子とだったら結婚するわ」  とんでもない贅沢を約束された生活が手に入るなら、男役も女役もこなしてみせる。差別的な目で見られてきたこともあって、その辺の偏見は無い方だと思うし。ただ、目付きが悪く今までモテた試しがないから、好かれる見た目でも無いと思うので、そんなことは万が一にも無いのだが。  夢みたいなことを少しでも考えた自分を鼻で笑い、大通りから脇に入った薄暗い道を歩き始めた。ここは数年前にひったくりがあったこともあり、夜は人通りが少ないが、この見た目で襲われる気もしないし何より自宅への最短ルートなので、普段から気にせず通っている。 「痛ッ……!」  唐突に刺すような痛みが背中に走り、痛んだ辺りを擦った。特に傷ができた形跡もない。虫に刺されたとしたら気持ち悪いなとジャンプしたり身体を揺すったりする。  と、向かいから走ってくる車のライトが眩しく目を細めた。随分と大きな車なようで――よく見るとリムジンのようだ――、俺の正面でゆっくりと止まる。  一方通行で歩道がない細い道なので、白線の内側に寄って行き過ぎるのを待とうとした。が、ドアが開き、中から白い布を頭に被った髭面の男が降りてきて、後部座席のドアを開ける。  出てきたのは、一人の長身の青年だった。絹だろうか、先の男とは明らかに違う光沢のある白い布を被り、ゆったりとした一枚布でできた、所々金糸で刺繍してある服を着ていた。  そしてその男の顔は数メートル遠くから見てもわかるほど美しい造形をしていた。街灯に照らされ白い肌と焔のように赤い長髪が白い布から覗く。アラビア風の服装をしているが、白人ということもあるのだなと思う。  その時、石油大国の王子が来日しているというニュースを思い出した。白いリムジンと使用人の居る金持ちそうなアラビア風の若い男。まさか、な。  男と目が合った。透き通った青い瞳をしている。じろじろ見過ぎたと思い、視線を外したが、いやしかし、王子がどういう風貌をしているのか、ちゃんとニュースで見たことはなかった気がする。石油王の息子が赤い髪で青い眼の白人だったとしても可笑しくはない。  何か気配を感じて視線を向けると、さっきの赤い髪の青年が俺の正面に立っていた。近くで見ても、やはり美しい顔で、相手が男だと分かっても見惚れるほどだった。  男は俺の顔を見て目を輝かせ、嬉しそうに笑った。そして俺の手を取ると、手の甲にそっと口付けたのだ。 「貴方に一目惚れをしました。どうか僕の妻になって欲しい」  そう俺の目を真っ直ぐに見詰めて、自分の胸に手を添え御辞儀をした。  驚きのあまり何を言われたのかないまま固まる。数分前に石油王の息子に求婚されたら、などと夢物語だと切り捨てた妄想が、今目の前で起こったのだ。いや、いつの間にか気絶していて夢を見ているのかもしれない。  こんな現実があるわけがない。夢だ、夢に違いないと男に口付けされた手の甲を抓る。無茶苦茶痛い。なぜだ、夢は痛くないんじゃないのか。何で痛いんだ。 「ゆっくり車内でお話致しましょう」  差し出された手に、訳が分からないまま手を伸ばした。  と、次の瞬間、リムジンの脇から物凄い爆音を響かせて男の方にバイクが突進してきたのだ。あわや大事故という寸でのところで、男が後ろに転がるように飛び退いて回避する。そして、バイクは俺と赤髪の青年を遮るように目の前で止まった。  ヘルメットもしていないその暴走ドライバーは、頭から足の先まで真っ黒だった。漆黒の髪に、褐色の肌、深海の底のような濃紺の瞳。軍服のような装飾の少ない黒い服を着た男だった。バイクに跨がっていても俺より背の高い男は、俺を見下ろすようにして睨み付けている。 「乗れ」  そう言って、突然俺の腕を掴んだ。 「何だてめえ……! 離せ――」  反射的に腕を解こうとしたが、微動だにしない。逆に男の指が食い込んで腕に鈍い痛みが走った。  今までこれほど力負けすることはなかった。無論今までも平均身長くらいの俺と比べ体格のいいやつは山ほど居た。集団でリンチしようとしてきた奴等もいた。しかしそれでも負けたことはなかった。喧嘩して力で及ばないと感じたことは無かった。  しかし、この男は尋常じゃない強さだ。井の中の蛙とはこのこと。俺は圧倒的敗北感に抵抗する気力を失い、恐怖に打ち震えた。 「早くしろ!」 「わ、分かった……!」  強い力で引き寄せられ、従わないと殺されるという本能的な恐怖心から、慌てて男のバイクの後ろに跨った。 「待て! クロイッ!」  赤髪の男がそう叫んだが、男は反転し一方通行だというのに逆走して、リムジンの横をフルスロットルで走り抜ける。振り落とされそうになって男の腰に両腕を回ししがみつく。  死ぬのかもしれない、と思った。心臓がはち切れそうなほど高鳴り、手は感覚がないほど冷たくなって震えている。 「お前の家は、こっちで合ってるな」  いつ対向車がくるかとひやひやしながら、次々と移り変わる周りの景色を見渡す。 「……聞いてるのか」 「合ってる! 合ってますッ!」  男の低い声が明らかに苛立ちを含んでいて、三等兵のように声を張って答えてしまった。機嫌を損ねたら、このまま東京湾に沈められる気がしたから。 「あれ! 俺の家っ! あの白い門扉のっ!」  カーブの道の先に見えた俺の家を指差す。よくある洋風の二階建ての我が家が、楽園のオアシスのようにさえ感じられた。

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