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第8話 刺青の男

 青い空、白い雲。金色に輝く太陽。見下ろした世界は、砂に覆われた大地から一変して緑豊かな森が広がっていた。  伝説上の生物とされている龍の背に乗って優雅に……とはいかないのがただの夢とは違う点だが、巨大な龍の手に握られて運ばれていた。目の端に長い爪が見えるが、意識しないようにする。 「どこに向かってるんだ?」  ようやく痺れ薬の効果が抜けてきたのか呂律が回るようになったので東洋風の龍に訊ねる。  この龍はさっきまで人の姿をしていた。そして、青羅と名乗った。東の王、『青龍』だ。  彼らが自らを玄武だの朱雀だの名乗るのは、王に与えられる称号か何かだと思っていたが、もしかするとその名前の幻獣に姿を変える能力を持っているということなのだろうか。少なくとも青羅は、その能力を有していると考えていい。 「我が東の国よ。黒威は事が済めば、南の国と隣接した我が国に立ち寄ろう」 「……龍がしゃべった」  俺の台詞がツボに入ったのか青羅が笑い出す。人の姿ですら大柄の男だったが、その笑い方は想像以上に大人しく気品を感じさせるものだった。 「この姿では不思議に思うであろうが、私は普通の人間なのだ。話しもしよう」 「ま、まあそうだよな」  ふと見ると森の中に開けた場所がある。その辺りに白い石でできた高さはあまりないが横に広い建物が見えた。その近くで何か燃えているのか、白い煙が立ち上っている。 「あれが我が城、『蛇の洞』だ。その近くに降りるぞ」  と、青羅が高度を一気に下げ、着地とは程遠い勢いで煙の中に墜落していった。俺は恐ろしさの余り青羅の手にしがみつき、瞼をぎゅっと閉じた。  次の瞬間、耳が膜を張ったように聞こえにくくなる。身体が暖かい。もしかして湯の中に飛び込んだのか? すぐに何者かに引き上げられ、水面に顔を出すと同時に目を開けた。 「どうであろうか、我が国自慢の温泉だ」  辺りを見ると一面温泉だった。さっき見た煙は、湯煙だったのだ。  それは東京ドームくらいの大きさで、周りを熱帯雨林の森が囲んでいる。こんな雄大な露天風呂は見たこともない。 「あっ、ちょ、離れろ……!」  自分が全裸であることと人の姿に戻った青羅に抱きかかえられている状況に慌てて離れる。が、足がついていないことに身体が沈んだことで気付かされ、また青羅に抱えられる羽目になった。よく見ると青羅も裸だ。人の姿から巨大な龍になれば、衣服など弾け飛ぶのが普通か。  青羅は顔や剃り上げた頭のみならず身体中刺青だらけだった。話し方がゆったりと柔らかく、優雅さを感じるので、人を見た目で判断するべきではないという典型のような人物だ。 「衣服は民が用意をしてくれよう。湯から上がる前に身体を清めた方がよい」 「身体を清めるって――」  言い掛けて、下半身を他人に弄られたことを思い出した。このままにしておけば、確かに気持ちが悪い。しかし青羅に見られてというのはばつが悪い。 「私は遠くを見ておる。けしてそなたを辱しめはせぬ。私を浮きとでも思えばよい」  人肌の感触と温もりを感じているから、浮きと思うのは到底無理だが、青羅は言う通り顔を逸らしてくれている。まだ会ってすぐの人間を信用するのは良くないが――ようやくこの一日半ほどの経験で学んだ――、話していて悪い人間ではなさそうだ。少なくとも黒威が俺を託した訳だし、その点は信用して良いはずだ。 「……じゃあ、すまん。ちょっと身体預けるわ」  俺は青羅に抱えられたまま自分の尻に手を伸ばした。片方の尻の肉を持ち上げるようにして孔を拡げるようにする。 「っ……」  指を差し入れると異物感と、中に塗られている粘っこい液が指に纏わりついて不快感を覚えた。 「……ん……う、ぁ……」  指を液体を掻き出すように動かしていると、変な声が出て妙な気分になる。薬か軟膏に何か変な効果が含まれていた可能性もある。いや、そうであって欲しい。 「ふう……ありがとう、何とか気持ち悪さは消えた」  滑りがようやく取れて、溜め息を吐く。青羅は俺を抱え湯を掻いて温泉の淵まで泳ぎ始めた。 「両手が塞がっていたとはいえ、耳を塞げなかったのはすまぬ」 「あー、仕方ねえよ。別に困ることないし」  俺は横顔を見詰める。顔色一つ変えていないところを見ると、不快にも愉快にも思っていないようだ。 「そうだろうか。あれは蛇も及ばぬほど嫉妬深いぞ」 「あれ……? 何のことだ?」  青羅は息を吐くように笑い、俺の顔を見る。 「このことは口外せぬことだ。私の命に関わるのでな」  スキンヘッドに顔中刺青だらけの風貌からは想像できないほど優雅さのある、そして何処か儚げな笑みに目を見張る。 「言うわけねえだろ、恥ずかしいっつの!」  何を気にしているのか知らないが、言葉にする気にもならない。それに、赤麗にされたことも、同時に思い出すことになる。できることなら、記憶から消したいくらいには屈辱的な出来事だ。青羅が誰かに話すことはないだろうから、それは有り難いことではある。  温泉の端まで泳ぎ着くと、先に青羅が上がる。青白い肌と筋肉が隆起した逞しい背中と刺青を見つめた。小さな何百何千の龍が身体中を這い回っているようだった。 「王よ、お召し物を」  近くの森の中から背が高く長い黒髪を一つに結った女性が現れた。女性は恭しく平伏して、身体を拭く布と衣服を差し出す。女性のしっとりとした透き通った肌は静脈が青く見えるほどだ。もう一人女性と共に現れた男も青白く、顔にも血管が浮き出ていた。男は俺の分と思われる着替えを差し出している。 「有り難く頂戴する」  青羅は身体を拭い、着流しのような衣服を身に纏うと俺の方に布を広げて立つ。 「一人で上がれるか」  恐らく他人に裸を見せないように気を遣ってくれているのだろう。俺は頷き勢いをつけて芝のような草が生えた岸に上がる。そしてそのまま青羅に布に包まれる。辺りを見ると、すぐ近くの城との間に袈裟懸けの着物を着た数十人の民が居てこちらを見ていて驚いた。皆素足で、靴などは履かない文化のようだ。  軽く身体を拭き、布で隠しながら用意されていた服に袖を通す。 「布と服、用意してくれて有難う」  そう男に礼を言うと、男は平伏して俺の足の甲に口づけをした。突然のことに凍り付く。助けを求めるように青羅を見ると、青羅も女性から同様の行為をされていて固まった。 「城へ行くぞ。積もる話もあろう」  男女が去っていくのを呆然と見送り、慌てて先を行く青羅の背を追った。

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