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新井君と佐伯先生
俺は、古典の先生が嫌いだ。
Yシャツのボタンは全て止められてて、首しまってんじゃないか?ってぐらい上に詰められたネクタイは、いつでも暗い色。
手首のボタンが外れている事は絶対無いから、腕まくりなんてあり得ない。しっかりと着込んだスーツのジャケットのボタンだって、開けられた事も無い。
髪はいつでもぴったりと分けられてて、寝癖も無し。フチなしの眼鏡に指紋どころか埃すらついたことも無くって、元から色白の顔をたまに青くしていることもある。
おまけに三白眼で、抑揚のない喋り方。隙など一切無く見た目通り。無駄口は叩かず、叩くことも許さない。真面目に受けていない生徒は見つけ次第指名。
そんな厳しい奴だって知ってるし、絡まれるのも面倒だと分かっている。だからか、いつもはうっさいクラスメイトもこの50分間は黙って前を向く。黙ってらんない奴らはサボる。
俺だってサボりたい一人だったけど、進路は就職希望。大人しくしといた方が良いのはバカでも分かるだろ。だから、こうやって椅子に座って黒板見つめてんだけど、どーにも眠くなる。
ロボットかよ、と突っ込みたくなる音読を聞いてると、自然と瞼は重くなって…。
シャーペンを握りながら落ちていく所で、机からガン!と音が上がる。
突然の大きな音にビクっと体を揺らして頭を上げる、やべぇ、また寝てたわ…!涎が垂れないか慌てて口元を拭っていると、隣から冷たい空気を感じた。
「では、新井。次の段、頭から読んでくれ」
「え…っ、えっと…」
「次の段、頭からだ」
「その…」
「次のページ…ここから」
長ほっそい指でなぞれた所に視線を落として息が詰まる。くそっ、漢字難しいし、なんて読むかわかんねぇし…!
音を立てながら椅子を引いた俺が、それでも読めずに棒立ちをしていれば、読み方を教えられた。ああ…また今日もこのパターン…。
だから、俺はこの古典の先生、佐伯が嫌いだ。
受験に向けてラストスパートをかけ始める頃には、俺の受験は終わっていた。
10月頭に受けた面談、過去にウチの生徒が就職をしていると言う倉庫に、来年の春から働く事になったわけだ。バカだから、頭を使う仕事なんてムリだし、これぐらいがちょうど良い。
ガテン系の仕事に就くのに偏見も躊躇いもない。年取ったらどうすんのか不安はあるけど、そりゃ大学行ったって変わらないことだし。まあ、母子家庭で中二の妹がいる俺ん家では、進学なんてあり得ないけど。
せめて高校まではって、親の意地で母さんは俺を高校に入れてくれたけど、本当は中卒後すぐに働きたかった。三年間バイトはしてるが、高校生の給料なんてたかがしれてるし。早朝から深夜まで働き尽くしな母親の背中見て育っちゃ、助けたいって思うのが普通だろう。
家に入れる金を差し引いたら、俺手元に残んのなんか微々たる物。そんで月の飯代をやりくりしなきゃいけないわけだから、俺ってば実は倹約家かもしんない。
今日もその微々たる金を持って、飯を買いに行こうと昼休みのチャイムと同時に立ち上がる。一気にざわめく教室で、ダルそうなの男が声をかけてきた。
「新井、放課後暇~?」
「は?暇じゃねーよ」
「じゃあいつ暇?今度さ、女子高と合コンすんだけど、きてよ」
「はあ?やだよ」
「んな事言わずさぁ、こないだ新井の写メ見したら絶対呼べってうっさいんだよ」
「写メ?!いつ撮ったんだよ…?!」
「間違って撮れてたっぽい。で、暇な日いつ?」
「バイトで忙しーんだよ」
悪びれも無く予定を聞いてくる態度にイラっとしつつ、素っ気なく答える。それでも、休みの日ぐらいあんだろ~ってしつこく食い下がってくるのがウザくって、シカトしてそいつの横を通り過ぎた。
そうすりゃアイツの取り巻きが集まってきて、悪口の言い放題。感じ悪いすか野郎で悪かったな。どーせ、合コンって言いつつヤるだけの集まりだろ。下半身花畑のお前らと一緒にすんなボケ。
十分出遅れただけで、売店の品物はほとんど売り切れ。鮭とツナのおにぎりと沢庵が詰められてるパックみたいなのが残ってたから、それと温かいお茶を買うと、売店を出た。さすがに教室には戻りたくない…一人になれそうな所を探して外へ出る。
秋も終わりそうな10月中頃、外の空気はなかなかに冷たかった。外に出たのを若干後悔しつつも足を進めると、普段は来ない裏側の方までやってきた。特別棟のそこは、校内ですら人が少ない。そんなのの外なんて、人がいるわけもない。
一階の廊下突き当たり、非常口にあたる扉の前に、コンクリで作られた段差を発見。しかも日当たりも良好。そこへ狙いを定めた俺は、迷い無く段差へと座り込んだ。
風は冷たいけど、日が当たってりゃまだ平気そうだ。さっき買ったおにぎりを取り出し、適当にラップを破る。
「いただきます」
一個を手にとってかぶり付く。まだ具材には届かなくって味気ない味だ。ぼんやりと目の前を眺めながら食べていたら、突然茂みから音がした。
驚いて、動きが止まる。そんな俺を知ってか知らずか…茂みは音を立てながら動き、最後には猫が顔を出してきた。
「え…野良猫か?」
呆然とする俺を前に、猫は堂々とした足取りで茂みから出てくると、俺の横へと座り込んだ。さも当然みたいな顔をされてるけど、猫なんて数える程度しか触ったことの無い俺にとっては大事件だ。え?ええ??これ普通なの?猫ってこんなもんなの…?
混乱する俺と、堂々としている猫。端から見たら不思議な光景だろうな。
猫は大きく欠伸をすると、前足を舐めて毛繕いを始めた。自然体な動きを見て、俺も動いて大丈夫なのかと判断すると、飯を再開させる。
再び、ぼんやりと茂みを見つめながら、もう一度かぶり付く。今度はしょっぱい紅鮭が入ってきた。まずくは無いがうまくもないおにぎりを食べていたら、視線を感じた。もう一口かじろうとしたまま視線をだけを横へ向ければ、さっきの猫が凄い眼力でこっちを見ていた。
「え…あの……」
これほどまでに、じーーーーっという効果音が似合う姿を見たのは初めてだ。食いたいのか?と声をかけてみたけど、猫はじっと見つめてくるだけで会話は成立しない。
ムシして食っちまっても良かったんだが、あまりの眼力に押し負けた俺は、おにぎりを少しだけ手でちぎって、猫の前に置いてやった。
欲しいと訴えかけてきた割には、警戒して見つめるだけ。なんだよ、俺のなけなしの金で買った飯なのに…!やらなきゃ良かったと思っていたら、顔を近寄せて、一舐め、一口。そしたら、すぐにガツガツと食い始めた。
「…腹減ってんのか…?」
がっつく野良猫に話しかけても仕方ないんだけど、俺の声に反応して顔を上げた猫は、すぐに飯を食うことを再開させる。なんか可愛げあるじゃん…茶色の体は汚れて汚らしいけど、自然と愛着がわいた。手に持ってた残りも一口にちぎって追加してやる。
「いっぱい食えよ」
俺も余ってたツナの方をかじり付く。日向で食べる猫との昼飯は、温かいけどうるさい教室で食う飯と比べものにならない程、美味かった。
◆
「担任の小野田先生ですが、昨日事故に遭われ入院しました。そのため、本日より臨時で私が2組の担当をする事となりました。よろしくお願いします」
朝、HRで現れた古典の佐伯が言い放った言葉に、絶望しかない。
タダでさえ嫌いな先生なのに、担当授業以外に朝と帰りも顔を見なきゃいけないのかよ…。佐伯曰く、小野田は卒業式前には戻ってこれるらしいけど…その頃は俺たちだって授業が無くなって、学校にくる必要ないじゃん。それまでは毎日佐伯と顔を合わせなきゃいけなくなると思うと、気が滅入る…。
一気にざわめく教室の中で、ため息をついた俺が何気なく黒板を見ると、佐伯の小さな瞳と目が合う。驚いて固まる俺を見て、佐伯はフっと視線を逸らした。
な、なんだったんだ、今の…目が合うなんて事初めてで、吃驚した…
「この時期に交代とかあり得ないよなぁ、ねこ太~」
11月に入って、寒くなっても俺の昼飯は特別棟の外の日向だった。
あの日初めて出会った茶色の汚い野良猫は、次の日からも毎日あそこに現れた。それから、俺の昼飯を無言で強請る。初めのうちは食ってたのをちぎってやってたんだけど、人間の食い物をやり続けるのも体に悪いかと思い、給料日に思い切ってキャットフードを買った。
小分けにして持ってきて、昼飯がてら猫にやる。そのうち、土日はどうしてんのかと心配になり、金曜の放課後はそこに少し多めの餌を置いとくようになった。
そしたら、月曜に綺麗になくなってる。鳥に食われたのか掃除されたのかは知らんけど、野良猫は元気そうだからこれからも続けようと決めた。
「しかもあの佐伯だぜ。あいつ絶対俺のこと嫌いだって」
「なーん」
「小野田がやるっつってた来週の個人面談、そのまま続行するとか最悪。佐伯とすんだぜ?俺もう就職決まってんのに…今更話す事もなくね?」
「なーん」
「聞いてんのか?ねこ太」
キャットフードを食べ終わったのか、ペロペロと口の周りを掃除していたねこ太(勝手に名前つけた)は俺の方へとやってくると、あぐらの間に入り込む。そのまま欠伸をして、丸くなり始めやがった。
図々しい態度に呆然とするが、懐いてくれた事は正直嬉しい。チョコチップメロンパンを頬張りながら撫でてやると、気持ちよさそうにしていた。
「あのロボット男も、おまえみたいに可愛げあったらいいのにな~」
「なーん」
◆
個人面談が明日に迫った午後。明日のことを憂鬱に感じながら過ごしていたら、俺の気持ちが伝染した様に外は雨が降り出した。一気に気温が下がってきたせいで、雪に変わりそうなぐらい寒い。
扉を開けたら廊下も寒くって、ダルく開けていたブレザーの前をしめた。
「じゃあ、俺帰るんで」
「ああ、有り難うな、新井。前しめるなら緩んでるネクタイもあげとけよ~」
扉を締めて、自分の教室に向かって歩き出せば更に寒さが身にしみる。早く暖房のきいてる電車ん中にでも入りたい…。
帰る前にトイレ行ったばっかりに、通りかかった化学の先生に捕まるとは、ついてない。ノートを半分持たされて連行されたのは特別棟にある準備室だから、自分の教室に戻るには少し遠い。渡り廊下を通りながら、そう言えばこの下でいつも飯食ってる事を思い出した。
ねこ太はこの雨の中大丈夫なのか…普段から外で生活してるから、耐性はあんだろうけど、流石に寒いし…様子見に行ってみるか。そうと決めたら、廊下を走り出した。
リュックを引っ掴んで外へ出ると、息が真っ白になった。予想以上の寒さに震えながら、置き傘してたビニ傘を広げ特別棟へと向かう。
この角を曲がれば、いつもの場所が見える所に出る、そんな所まで来て、聞き覚えのある声が聞こえて体が止まった。何で止まったのか自分でも理解できないけど、なんとなくバレないようにそっと覗き込む。そしたら、いつもの場所にグレーの塊がいた。
「全く、もっと良い場所で雨宿りは出来なかったのか?」
このくそ寒い中、足下に傘を置いてびしょ濡れになりながら座り込んでいたのは、佐伯だった。あり得ない展開が信じられず、食い入るように見つめてしまう。
「ああ、こら、動くな。拭いてやるから……ほら、この上に座りなさい」
足下にうずくまっていたねこ太を、佐伯はポケットから取り出した白いハンカチで拭いてやる。優しい手つきに、ねこ太は特に抵抗をしなかった。真っ黒になったハンカチをその辺に置くと、濡れないところに置いてあった高そうなマフラーを、白く乾いている所へと敷く。佐伯がマフラーを持ってゴソゴソと何か動いている間に、においを嗅いでいたねこ太は、ゆっくりとにその上へ乗り丸まった。
「気休めかもしれないが、傘も置いておく。飛ばされたら運が悪かったと諦めてくれ」
ねこ太の大きさだと、軒下ではギリギリだ。だから、少しでも濡れない様にと最初から傘を置いて、ねこ太を雨から守ってくれたのか…。
自分がびしょ濡れになってるにも関わらず、佐伯はずっとねこ太を心配していた。いつも無表情なはずなのに、ねこ太を見つめる目はとても優しい。
意外な一面を見てしまったせいか、いつもと違う佐伯の姿に、やたらとドキドキしている…。
ねこ太は俺がいなくても大丈夫、早くバイトに行こう…!そう言い聞かせて、逃げるようにしてその場から駆けだした。
次の日の朝、あれは嘘だったんじゃ無いかと思って、教室には向かわずに昨日の現場へと直行してみて、崩れ落ちた。
そこには、昨日みた通りの黒い傘と丸められて毛だらけになったマフラーが落ちてる。昨日は気付かなかったけど、折りたたみ傘だった。柄の先についてる、携帯しやすいようにつけられてた透明な輪っかの中にマフラーが通されて、軽く結んである…そのマフラーの上にねこ太を座らせて、飛んでかないように固定させてたのか…。
傘を畳みながら関心していると、予鈴を告げるチャイムが聞こえてビクりと肩を揺らす。やばい、もうそんな時間か?!
傘と巻き付いたマフラーを手にしたまま、昇降口へと走った。
放課後、俺は国語科準備室へと向かっていた。
いつもは進路相談室やら教室やらを使ってたはずなのに、なぜだか俺だけ準備室だった。まあ、進路決まってるし話すこともないから良いんだけど…他の奴と違う部屋なのは少し不満だ。
そんな事を考えながら歩けば、準備室の前までたどり着く。背負ってたリュックをぎゅっと掴み息を吐いた。何で俺が緊張しなきゃいけないんだ…妙にそわそわする気持ちは、昨日の変な佐伯を見たせいなんだろうか…
ああ、くそ!どうにでもなれ…!落ち着かない気持ちのまま、扉をノックする。
すぐに返事が返ってきて、そろりと扉を開けた。
初めて入った国語科準備室は両端を棚で囲まれていて、本だらけだった。窓際に机が設置されていて、そこには荷物が積み重なっていて、大きな窓は半分ほど覆い隠されている。カタカタと言うキーボードの音が止まり、こちらに背を向けて座っている人物が振り返ると、マスクをした佐伯がそこにいた。
朝と帰りのHRの時はしてなかったはずだけど…佐伯のマスク姿なんて初めて見た…。
「新井か。そこに座ってくれ」
所在なさげに端っこに置かれていた椅子へ座る。ノートパソコンの蓋を閉じた佐伯は、資料を手に持つと座っていた椅子をそのまま転がしてこっちまでやって来た。いつでも無駄の無い奴でもそんな一般人染みた動きをするのか…少し意外だった。
「悪いな、放課後に呼び出して」
「いえ…」
「新井はもう進路は決まっているが、私が君と話しておきたいと思ってね」
「そう、っすか…」
「就職する理由を聞いても良いか?」
「うち、貧乏なんで」
「…母子家庭だったな」
「中二の妹いるし。母さんだけ働かせるわけにはいかないっしょ」
「そうか…新井は優しいし、しっかりしているんだ。生活態度を改めるつもりは無いか?勘違いされたままだぞ」
「べ、別に良いよ、めんどい。それに優しくないし」
予想外の言葉に言葉が詰まる。なんか恥ずかしくなって自分の指先へと視線をやった。そんなあからさま照れましたって反応を返しちまった俺を見て、佐伯からフっと息が抜ける音がした。
「飼い猫じゃないのに、キャットフードを持参してくるやつが、優しく無いわけないだろう」
「何で知ってんだ?!」
弾かれたように顔を上げると、細められた三白眼と目が合う。こ、こいつもねこ太並に眼力強いな…だからって怯んでられない。
先生にバレたら、ねこ太が追い払われる可能性があるし、見逃して欲しい…!
「この部屋の真横でやっているんだ、気付くだろう」
「え…?いつ頃から…?」
「10月中頃から、だろうか…」
うっわ、最初からバレてるわ…!1ヶ月もの間黙って居てくれたから、追い払うつもりはねーのかな…第一、そのつもりなら、傘なんか貸すわけもないか。
俺にダメージを与えてる割には、表情を変えない佐伯はプリントを半分に折っていた。くっそ、なんだよ、お前だってねこ太可愛いと思ってんだろ…!
「…先生だって、傘貸してたじゃん。そのせいで風邪引いたんじゃないのか」
「な…っ?!」
俺の一言に、激しく肩を揺らした佐伯は大声を上げる。持っていたプリントを床に落として、こっちを見つめる姿に、俺も驚いた。
まさか無表情ロボットだった男が、ここまで表情を崩すとは思わなかった…
「な、何の事だ…?」
相手の若干裏返った声で、俺が優位に立った事がはっきりと分かった。ニヤっと口の端を上げると、リュックを漁る。今朝とっさに持って帰ってきちまった折りたたみ傘と、マフラーを突きつけると、わなわな震えながら受け取った。うける、なんだよその反応。
「…っぷっ、あ、ははは…!真っ赤だよ、先生」
マスクの下を白い顔を真っ赤に染めて、荒い呼吸のせいで眼鏡が白く曇っている。
あの佐伯のこんな姿を見られるとは思ってなかった。なんだよ、こいつだって人間っぽいとこあんじゃん。
「…う、うるさいぞ…!」
若干震えた声で返されて、更に笑いがこみ上げる。マジでうける。すんませんと謝っても、赤くなってる佐伯を見てれば笑いは漏れて…結局誠意無い謝罪のせいで、睨み付けられた。あの眼力なのに、全然怖く無いのは意外だ。
「冷たいのかと思ってた。先生も優しいとこあんだな」
「私を何だと思っているんだ…」
「だって、授業中の先生怖いし」
「それは新井が寝ているからだ。起きていれば注意はしない」
「えー、古典つまんないし。先生の声聞いてると眠くなるし…」
今度は俺の方が都合が悪くなってくる。向けられる視線が痛くって、顔を背けた。
そうすれば、今度は佐伯の方から小さく息が抜ける音がする。様子を伺う様に目だけを向ければ、さっきまで睨んでいた目が、細められている。え、笑ってる…?
予想外な反応に吃驚したけど…それ以上見ていたら、また目が合いそうで…すぐに逸らしてしまった。
なんか佐伯の印象が、ガラっと変わった個人面談だったと思う。
いつも通り、昼になったらねこ太の所へ向かう。既に日向にはねこ太が丸くなって待機していた。隣り合うように座って、鞄を漁ると、丸めていた体を起き上がらせる。飯か!と期待した目が堪らん。キャットフードを取り出そうとした所で、横並びで少し飛び出した所にあった窓がガラっと空いた。驚いて音の方を見る俺とねこ太の前に、佐伯の頭が出てくる。
「そこでは寒いだろう、中で食べたらどうだ?」
「え…でも、ねこ太が…」
流石に校舎内に入れるわけにはいかないだろうと断ろうとした所で、ねこ太は立ち上がる。華麗な動きでサッシの出っ張りへ飛ぶと、そこ伝いに走り佐伯が顔を出している窓の中へと入り込んだ。
「…既に先を越されたようだが?」
「なーん」
佐伯と並ぶようにして顔を出し、俺を見てくるねこ太。佐伯に撫でられ、ゴロゴロと喉まで鳴らして…こいつ!裏切りやがった…!なんか負けた気持ちになりながら、一度校舎内へと戻った。
外履きから上履きへと履き替え、早足で国語科準備室へと向かう。昨日来たばかりの扉の前まで来てノックをすれば、佐伯の声がする。
ゆっくり開けたら、佐伯の膝の上で丸まっていたねこ太がなーんと鳴き声を上げた。
「あったけぇ…」
「もう外では無理があるだろう、明日からここに来ると良い」
「え、でも…」
「なーん」
「こいつは来る気満々みたいだぞ」
「お前なぁ…」
相づちでも打ってるようなねこ太にため息が漏れる。
昨日座った椅子へ腰掛けて、やっと机周りが片付いている事に気付いた。開けられそうに無かった窓を開けられるようにしてくれたのか…そう思うと、少しだけ嬉しかった。
床にキャットフードをまいてから、俺もビニール袋を漁る。菓子パン一個じゃ足りないかもしれないけど…まあ、金も無いし仕方ないか。バリッと袋を開けた所で、同じように破る音がして視線を上げる。するとそこには、なんかの書類を見ながら固形のカロリーメイトを咥えている佐伯の姿…そんなの見たら、思わず声をかけちまう。
「え、それ飯っすか…?」
「…そうだが?」
「普段から…?」
「ああ」
「マジか!そんなんじゃ足りなくね?!」
「…新井だって、それだけじゃ足りないんじゃないのか?」
「え…まあ、そうなんすけど…」
流石に金が無いから買えない、とは言えなかった。だけど口ごもった俺を見て察しがついた佐伯は、カロリーメイトを口に咥えたままポケットを漁り出す。取り出した財布の中から紙幣を1枚抜き取ると、こっちに向けて差し出してきた。
「これで何か買ってきてくれ」
座ったまま動かない俺へアピールするように佐伯の手の先でヒラヒラと揺れる紙幣。その誘惑に打ち勝てずに近寄ってみたら、千円札だった。
「千円以上を超えるなら、新井が払いなさい。お釣りは返すこと。良いな」
「え…良いんすか…?」
「この部屋で、食べ盛りの男の飢え死にだけは避けたいからな」
中指で眼鏡を押し上げながら、採点中だったのか赤ペンを握り出した。もう取り合うつもりはないみたいだ。
正直めちゃくちゃありがたい申し出…素直に甘えて良い物なのか…悩んでいると、俺の腹が音を上げる。それから、後押しするようなねこ太の鳴き声が後ろから聞こえてきた。
「…行ってきます!」
佐伯は神様かもしれない…!
変に気をつかうのもやめて、千円を握りしめると購買目指して駆けだした。
◆
俺と佐伯の関係は、個人面談を境に大きく変わった。
ねこ太の飯の為だと言いつつ、あの暖かい国語科準備室はなかなかに居心地が良い。静かだし、変に干渉されることも無い。寝てれば、予鈴の時間で起こしてもらえる。
いつの間にか、昼になったら、準備室に行ってねこ太の飯やり。それから、渡された千円を握りしめ購買に向かい、佐伯の分の飯(おにぎり2個とかで済む)と、残りで俺の食料を買うのが日課になった。
あんまり食にこだわりが無いらしく、菓子パン知識に疎い佐伯の為に、校内一番人気のいちごメロンパンを買ってきた時なんて、なんだこの食べ物は?!って驚いてた。新鮮な反応を見るのが楽しくって、たまに違う食べ物を買って渡したりしてそこそこ楽しみが増えたりもしている。
意外と良い奴なんだって知ってからは、なるべく古典の授業も起きていようと努力するようになった。
週1しかない授業だけど、開始5分もすりゃ眠くなり10分後には夢の中…って事が多かったけど、なんとかそこを乗り切る。
眠気に効くツボとかを押しながら耐えていたら、教壇に立っていた佐伯と目が合った。俺が起きているのを見て、目を大きく見開いていた。驚いてる姿になぜだか俺の勝ちっていう気持ちになって、机の下で小さくガッツポーズをした。
次の週も必死になって起きて、次の週も…そうすればあっという間に1ヶ月は終わってて、最近は授業中に俺を指名する冷たい声も聞こえなくなった。
代わりに、目が合うと小さく目だけで笑いかけられる。俺にだけ返してくれる特別な反応が嬉しくって、それがもらえると気分が良かった。
佐伯の雰囲気が変わったのは、薄々他の生徒も気付いてるみたいだ。次の授業までの休み時間、机に突っ伏して寝ていたら、隣の席の女子達が最近佐伯の機嫌が良いと話しをしていた。
新井が起きてるからじゃん?と冗談交じりで笑っていた奴は、なかなか見る目がある…まあ、あえて教えてやる事も無いから、言わなかったけど。
12月に入ると一気に冷え込んできた。
暖房の効いていない廊下はマジで極寒で死にそうだ。購買帰りの廊下をダッシュで駆け抜けて、準備室へ入ったら気温差のせいで鼻の頭が痛かった。
「先生、ポット沸いた?」
「ああ、先ほど静かになったぞ」
カタカタとPCを弄る後ろを通り抜け、設置されてるポットの前で買ってきたばかりのカップ麺の蓋を開ける。佐伯は普通の、俺はドカ盛り。かやくを面の上にあけてゴミ箱へ捨て、スマホをつけた。部屋には、無言でスマホを弄る俺と、キーボードを叩く音と、キャットフードを食べる音のみ。それが凄くしっくりくる。
3分経って、割り箸を乗せたカップ麺を佐伯の机の横に置けば、小気味良い音が止まる。こいつが両腕を上へと伸ばしてストレッチする姿なんて俺しか見たこと無いだろうな。
入り口付近に置いてた椅子も、今では佐伯の隣になっている。そこらへんの書類を適当にどかしてから自分のカップ麺の蓋を開けた。
鼻を啜りながら麺をほぐすと、ノンストップ。麺がほとんどなくなり、スープだけになった所で佐伯の方を見てみれば、半分も減ってなさそうだ。食うの遅いわけじゃ無いし、ラーメンが苦手なだけなのか…?フーフーと息を吹きかけて啜ると、レンズだけの眼鏡が一気に白く曇った。
「カップ麺食う姿、うける」
おにぎりのフィルムを外しながら笑うと、睨み付けられた。実際は真っ白な眼鏡越しだからよく見えないけど、圧を感じるからこれは結構マジ睨みしてるはず。
ぼんやりと中心から晴れてくる眼鏡の曇りの先から、予想通りの不機嫌そうな顔をしている佐伯がはっきりと見えてきた。
「眼鏡外せば?食べにくくね?」
「外さない」
「カタクナー」
そこまでして眼鏡を外して貰いたいわけでもないし。嫌だと言った佐伯にそれ以上言う事もせず、おにぎりを一口食べてから、自分のカップ麺をかき混ぜる。
「…悪いんだ」
「はい?」
自分のスープをすする音が煩くてよく聞こえんかった。スープから佐伯に視線を向けたら、割り箸を置いてじっとカップ麺を見つめてる。なんか思い詰めた顔をしてて、思わず食うのを止めた。
「す、すんません、よく聞こえなくって。もっかい、お願い…します…」
みっともなく尻つぼみになった俺の声。
佐伯は小さくため息をつくとこちらへ顔を向けた。それから、外さないと言っていた眼鏡に指を掛けると、ゆっくりと外してみせる。
「人相が悪いんだ。だから、あまり外したくなかった…」
「そんな事…あるわ」
否定しようと開いた口だけど、目の前の顔を見たらその通りで思わず同意しちまった。
眼鏡をかけててもキツイ印象の顔だったけど、外したら更にキツイわ。神経質そうと言うか、性格悪そうと言うか…まあ、実際はそこまでキツイわけでも神経質なわけでもない、ただの真面目人間なんだけど。
そんな俺の返答に、少しばかりショックだったようで…佐伯は飯を再開させようと手に取った割り箸を握りしめたまま固まって、俺を見ていた。
「あ…いや…えっと…」
「次の授業で新井を当てることを、今決めた」
「はぁ?!なんでだよ!」
「煩い」
「悪かったって!」
謝る俺をシカとして、佐伯は麺を啜り始める。あ~くそ、なんだよコイツ、めんどくせーなぁ…!女子か!
これ以上言っても無駄だわ…飯食うのに戻ろ。大きくおにぎりをかじりつく。ぱんぱんに膨らんだ口を動かしながら、さりげなく佐伯の様子を伺えば、なんか嬉しそうにしながらカップ麺を啜ってた。
あれ…?あんま怒ってない…?なんなんだ、こいつ…よく分からん奴。けど、またちょっとだけ俺と佐伯の距離が縮まったんだなって言うのは分かった。
その週の古典の授業では、宣言通り俺を当てやがったけどな。
◆
短めな冬休みが終わって1月に入れば授業なんてほとんどない様なもんだ。
就職と専門組は進路が決まってだらけてるけど、センター試験直前の奴らはここが最後の追い込み時期。そのせいか、教室はどうにも殺気立ってて居心地がとてつもなく悪かった。
だからってわけでもないけど、完全に俺の居場所となった国語科準備室へ今日も向かう。最近は佐伯が居なくても入り浸ってるし。
ポットもあるからって理由で、勝手に持参して置いたマグカップ。それにココアの粉末を入れてお湯で溶かす。啜ると体の芯から温まる気がした。
実はこのココア、佐伯が自分のコーヒーと一緒に買って置いてくれた俺専用のやつ。口では何も言ってこないけど、ここに居て良いって行動で示された気がして、すっごい嬉しかった。
今日は2年で4限目の授業をしているはずの佐伯は、まだ戻ってきていない。佐伯の椅子の上で丸くなってるねこ太を撫でながらスマホをいじってれば、廊下から足音と話し声が聞こえてきた。いつもの佐伯のスリッパの音の他に、他の足音が聞こえると思ったら、甲高い声がした。
「え~!何でですかぁ、一緒にお昼食べましょーよぉ~」
「私は一人で食べる派だからな」
「うそぉ、お昼にせんせの所、男子が入ってくの見たもん」
「いいから、君も早く昼を食べなさい」
「やだ~、準備室入れてよせんせー」
「断ります。ほら、教室に帰りなさい」
「ええ、なんでー」
扉の前で話してるせいで、会話が丸聞こえだ。恨みがましい女子の声が聞こえた所で、突然教室の扉が開くと、佐伯が素早い動作で入り込んできた。それから俺と目が合って、口元に指を当てて静かにしていろのジェスチャー。特に騒ぐつもりもないし、素直に頷いた。
「もぉ、けちー!」
ふて腐れた叫び声の後、すぐにバタバタと派手な足音を立てて廊下を走り去っていくのが聞こえる。諦めて去ってったのを背中で感じたようで、眼鏡をクイっと押し上げながら、佐伯はため息をこぼす。
椅子へと近寄ると、察したねこ太が飛び降りて、今度は俺の膝の上へと乗ってきた。ずっしりとしてるけど中々に温かいそれを撫でながら、疲れ切ったように椅子へ腰掛けた佐伯へニヤっとした笑顔を向けた。
「案外モテるんすね」
「案外とはなんだ」
すぐに帰ってきた刺すような視線も、もう慣れたもんだ。
臆する事も無くニヤニヤとしてる俺を見て、効果なしと分かったようで、途端に佐伯の眉は下がってハの字になった。
「勘弁してくれ…」
「良いじゃん。じょしこーせーっすよ?」
「私を犯罪者にしたいのか、新井は」
「年下は好みじゃ無いんすか?」
「少なくとも、彼女は対象外だ」
含ませたような言い方に、おっと思ったけど、食いつくよりも先に開けられた袖机から出てきたビニール袋へ視線が行く。
中から出てきたのは有名店の味を似せて作ったカップ麺。量と値段を比べれば高級すぎてとても手が出ない奴だ。二つ重ねて俺の方へと寄せられた。
「一つずつだぞ」
「やったー!これめっちゃ美味いやつ!」
このうまさを教えたのも俺だったりする。家系が気に入ったみたいで、その味だけは佐伯がたまに自分で買ってきてくれるんだ。
他にも賞味期限ぎりぎりのおにぎりが数個出てきて、今日の昼はおこぼれを頂戴できそうだ。
再沸騰ボタンを押してから、いそいそとカップ麺のビニールを外して準備を始める俺の隣で、珍しく教科書を乱雑に奥の方へと追いやった。疲れてるのか、眼鏡を外して眉間を揉んでいる。
「…もうすぐだな」
「え?何が?」
「3年はもうすぐ自由登校になるだろう?」
「そうっすね」
毎日ここに来るのが楽しく感じていたから、なんとなく意識しないようにしてた。
けど、俺が学校に来る事ももうすぐ無くなる。後2ヶ月もしたら卒業して、マジでこなくなるんだな…高校の奴らなんてどーでもいいし、卒業して早く働きたいなんて思ってたけど、佐伯に言われると少しだけ寂しく感じた。
「…寂しい?」
「…どうだろうな」
裸眼のせいで焦点があっていないのか、ぼんやりとした優しげな顔で、佐伯は小さく笑った。その顔を見るのが妙に照れくさくて、思わず後ろを向いてしまう。ポットはまだ沸騰中みたいで、白い蒸気が出ていた。
「…ねえ、ラインのID教えてよ」
「ダメだ」
「なんで」
「生徒には教えない主義でな」
「なんだよ、ケチ」
「さっきも言われたな」
なんで連絡先を聞こうと思ったんだろう…?自分でも予想してなかった言葉だったけど、秒殺で却下されちまった。まさか断られるとは思って無くてショックがでかい。
「ここは教える流れだったろー!」
沸いた湯を注ぎ、後入れのスープの元をカップ麺の蓋の上へと乱暴に投げる。
八つ当たりに近い俺の行動を見て、堪え切れず…と言った噛み殺しきれない笑いが後ろから聞こえてくる。くそぉ、馬鹿にしやがって…!卒業までに絶対IDゲットしてやるからな!!
◆
自由登校になったと言っても、3日に1回ぐらいの割合で準備室へは顔を出すようにした。
ねこ太用のキャットフードは準備室に常備するようになったけど、やっぱりあげだした責任があるから、なるべくは俺がやりたいし…それに、佐伯用の昼飯も持ってってやんないとなんとなく落ち着かなかった。
なんだけど、週5で入れたバイトのせいで、顔をだすタイミングはバイト前だったり後だったりとまちまちだ。だから佐伯と会えない時もある。そんな日は、持参してきた昼飯を机の上に置いて帰った。
初めて不在の時にあたった日、メロンパンを置いて帰った。次ぎに会えた日、俺が置いていった物だと分かると答えられたのには驚いた。理由は簡単で、佐伯がメロンパンが好きって事を知ってるのは、この世で俺だけなんだそうだ。
何食わぬ顔で眼鏡をクイって上げながら答えられて、最初こそ、へーそうなんだーって終わったけど…言葉の意味を理解した瞬間に、顔から火が出そうになった。
菓子パン経験が浅い佐伯が初めてハマってしばらく食べてたから好きなんだろうなとは思ったけど…それを知ってるのが俺だけとか…なんか、すげー恥ずかしいことを言われた気がして…
あたふたする俺を見て、初めて思い切り吹き出して笑った佐伯の顔は、少しだけ可愛く見えた。
2月後半の登校日。
制服を着て準備室にくるの久しぶりな気がした。
3分待つ間に、唐揚げ入りのおにぎりのフィルムを剥いていると、いつもは仕事しつつ飯を食ってる佐伯がPCの蓋を閉じた。
「とうとう卒業式だな」
「えー、式までまだ2週間っすよ?」
「私からしてみれば、あと2週間だよ」
「ふーん…先生は式でんの?」
「いや、小野田先生が復帰したからな。後は担任に任せるよ」
数ヶ月だけと言っても、一番大変な時に担任をしてくれてた佐伯が出ないなんて少し寂しい気もする。
そうは思ったけど、本人に告げるより前におにぎりを齧りつく。カップ麺の出来上がりを待ってる佐伯は、やることが無いのか、頬杖をつきながら食い始めた俺を眺めていた。
飯を食うときはたいていお互い何かしてるから、こうやって目を合わせて食うのはこれが初めてかもしれない。
「寂しくなるな」
予想外の発言に、噛んでいた口が止まる。
そっか、佐伯も寂しいって思ったりするのか…卒業式なんて何度も経験してきてるんだし、もっと冷めてるのかと思ってた…。
「なんだその顔は。私だって寂しいと感じる時だってある」
めちゃくちゃ表情に出てたらしい。すんませんって軽く頭を下げるけど、佐伯は特に怒ってないみたいで、涼しい顔でカップ麺の蓋を剥がし出す。
「特に新井が居なくなるのは寂しいよ。静かになってしまうな」
「え…」
「昼も、買ってきてくれる人がいなくなってしまう」
「…俺はパシリっすか」
「金は私が出している。Win-Winの関係だろう?」
冗談を言いながら口の端を上げて、ニッと笑う顔に面食らう。
絶対に外では出さない表情を、この部屋では見せてくれる。おまけに俺がいなくなると寂しいとまできた。
佐伯にとって、俺は一般生徒じゃなくて、少し位の高い特別な生徒になれたのかもしれない。それなのに、もう卒業するとか…もう少しだけ早く仲良くなりたかったなんて、柄にも無く思った。
人相が悪いから外したくないと頑なだったくせに、カップ麺を食べる時はいつの間にか外すようになった眼鏡。そんな佐伯のキツイぐらいの三白眼を眺めながら、もう少しだけコイツと一緒に過ごしたいと感じたのは、予想外の言葉を聞いたせいかもしれない。
◆
卒業式は予定通りに終わった。寒いし暇だしで寝かけてたせいで、何回か隣に座ってた奴に肩を叩かれるって事はあったけど、無事に卒業証書も受け取れた。
教室へ戻ってきて、帰りのHRを終えれば高校生活もおしまいだ。名残惜しく教室に残ってるクラスメイト、女子の中では泣いてるやつもいた。この後、みんなで飯食いに行こうなんて盛り上がってる所を、荷物片手に静かに立ち上がる。
出席番号が前の方だけあって、一番廊下側の席は出口に近い。真ん中で盛り上がってるカースト上位な奴らに背を向け、教室を出ようとしたけど、そう簡単にはいかなかった。
化粧ケバめな女子に名前を呼ばれ、振り返る。
「ねえ、新井も行こうよ!」
「あ~…何時から?」
「この後、5時に駅集合。家帰って着替える時間ないやつはみんなでカラオケ行くんだけど、」
「悪い、俺パス」
「えぇ、なんで~?」
「この後バイトなんだ」
「うそ、卒業式の日にもバイト入れてんの?!」
「悪いな、じゃあ帰るわ」
流石に卒業式の日にバイト入れたら、店長に休みに変えられたけどな。適当に嘘をついてから廊下へ出る。
本当は、帰る前に佐伯に一声掛けてからと思ってた。直行して顔出してから帰ろうとしてたけど、バイトだって断った手前、クラスの奴らが見ている中昇降口とは反対方向へは行きにくい。しかたない、外から回るか…。
上履きをビニール袋にぶち込み、履きつぶしたローファーを引っかける。
外へ出ると、冷たい空気が一気に纏わり付いてきて、身震いした。冬晴れした空は気持ちいいぐらい青くて、これ以上ない卒業式日和だ。
行き慣れた国語科準備室も、外から回ってくるのは久しぶりな気がする。1,2年生は居ないせいか、静かな中進んでいけば目的の教室まではすぐだ。初めてねこ太と出会ったあの場所で、今日もねこ太はひなたぼっこをして丸くなってた。
「お、ねこ太。俺、今日で卒業なんだ。お前と会うのもこれで最後だな」
ぐしゃぐしゃにしながら撫でても、目をつぶったまま大人しくされていた。気が済むまで触りまくり、撫でるのを止めたら、顔の周りの毛が逆立って不細工な顔になっていた。まあ、こいつ元々ぶさ可愛い感じだしこれぐらいがちょうどいいか。
毛並みを整えるように毛繕いを始めたねこ太の前から立ち上がって、準備室の前に向かう。カーテンが閉められてて、電気がつけられてないせいか暗い。居ないのかって思ったけど、窓が少しだけ開けられてた。閉め忘れか…?戸締まりしっかりしてるはずの佐伯だけど…居ないなら仕方ないか。
窓だけ閉めて帰ってやろうと近づくと、中から小さく音がしてるのが聞こえた。あれ?やっぱり居る?
「ふ…っ、ん…ッ」
にちゅって言う…水音っぽい?音と、なんかを堪えるような声。
呼吸が乱れてる感じがするけど、具合悪いのか…?けど、何故だか気軽に声がかけれなくて、物音を立てないようにして開いてた窓を更に少しだけ開けて、カーテンの端を掴む。
「らい…!ぁ、らい…!」
名前を呼ばれてる…?やけに口の中が乾く。こっから先は、見ちゃいけないって頭の中で警鐘が鳴ってんだけど、手が止められない。
ゆっくりとカーテンを捲れば、信じられない光景が飛び込んできた。
いつも、一緒に昼飯を食って椅子に座っている佐伯なんだけど、下は寛げられてて、足を広げている。微妙にずらされて飛び出てきてるのは、紛れもなく佐伯のちんこ。きっかけが無きゃ上を向かないはずのそれは、添えられてる手に支えられなくてもしっかりと上を向いてて、しかも先端からはトロトロな液体が零れてきてる。
どんな時でもキツイはずの三白眼は切なげに細められてて、口も半開き。苦しそうに呼吸をしている姿は、めちゃくちゃエロい。今まで抜くために見てきたエロ動画とかとは比べものにならないぐらい、佐伯がエロく見える。
「は…ッ、んぅ…!」
激しく上下に動く右手に扱かれ、佐伯の肩が震えた。溢れてる液体を塗りつけるようにしてるせいで、にちゅって言う水音が動きに合わせて響く。
きゅっと目を閉じて耐える姿が可愛くて、俺自身の呼吸もどんどん荒くなっていた。弱々しい声で名前を呼ばれてる事に興奮している。
なんでだろう、男に自分の名前を呼ばれておかずにされてるってのに、全然嫌じゃ無い。むしろ、なんで一人で楽しんでんだよってイラってするぐらいだ。
「ッ…!新井…!」
縋るような名前を呼ぶ声に、きゅっと自分の下半身が反応を示した。ああ、ダメだ…エロい佐伯を見せたせいで、俺のちんこも痛いぐらいに勃ちあがってる…!
もう我慢できない…!握ってたカーテンを一気に開いて、窓枠に足を掛ける。シコってんのに集中してた佐伯が、俺の出した物音に大袈裟なぐらいに肩を揺らして驚いて振り返った。ちんこ握ったまま、驚いた顔で俺を見つめてくる姿とかうける。
ねこ太みたいに、窓から準備室へ飛び込んで、すぐに窓を締めて鍵もかけて、仕上げにカーテンもひく。
カーテンに遮られた光だけの準備室は、薄暗くて生暖かった。
「あら、い…?!」
「呼んだの、アンタっしょ」
「ぁ…、その…!」
持ってた荷物を適当にその辺へ投げ捨てて、慌ててちんこをしまい込もうとする手を強く掴む。力が強すぎたせいか、ひっと引きつらせた声が聞こえたけど、気にしない。
ぐっと顔を近づければ、潤んだ瞳と目が合った。
「ねえ、俺の事考えてシコってたの?」
「ちが…!」
「嘘、俺のこと呼んでたじゃん」
今まで見たことが無い、おろおろと動揺した佐伯にゾクっとする。未だに上を向き続けてる佐伯のちんこへ手を伸ばす。
他の男の、しかも精液でぬめってるちんこなんて、普通だったら絶対に触りたくないはずなのに、戸惑い無くそれを掴むことが出来た。
「やめ、なさい…」
制止の声を無視して、ぬちゃっとしてるのを擦りつけるように動かす。そうしたら、佐伯は唇を噛んで堪えるように下を向いた。
この我慢してんのを、なんとかやめさせたい。自分がよくするように先端部分を弄ると、必死な息づかいと同時に肩が揺れる。確実に感じているのが分かって、口の端が上がった。
「これ、気持ちいよね」
「っ、ぁ…!」
「ねえ、俺もちんこ痛いんだけど…一緒にしても良い?」
「な…ッ」
佐伯のちんこを擦り上げながら、もう片方の手で自分のベルトを外し始める。以外と片手でもなんとかなるもんで、ズリ下げたボクサーパンツから、腫れまくって痛くなってる俺のちんこが飛び出してきた。
「は…!」
座っている椅子に片膝を入れ込んで、無理矢理乗り上げると俺のちんこが目の前へと迫った佐伯が息をのむ。見間違いじゃなければ、やつはうっとりとした顔で見つめていて、それがまたエロくてやばい。
腰を下ろして、佐伯のちんこの先を俺のでツンツンって突っついたら、くすって笑い声が聞こえた。
「挨拶か?」
「え?…っぷ、そうそう。こんにちは、佐伯せんせーって俺のちんこも言ってんの」
くすくす笑い合いながらお互いのちんこで突き合うなんて、どう考えてもおかしな光景だろ。けど、そんな遊びに佐伯も乗ってきてくれたのが嬉しくって、止められない。
突っつくだけだった遊びは、段々とエスカレートしてって、擦りつけ合うように動きが変わる。俺からも我慢汁が出てきて、それを佐伯のに塗りつけるせいで滑りが良くなって行く。
つるってする度に、下で佐伯が色っぽく息を吐くのがまたエロくってやばい。
もっと気持ち良くなりたい、そんな一心で擦り合ってたちんこを一纏めに捕まえると、ゆっくりと扱いてみる。これが、普段一人でやってるときと違って、相手のちんこの感覚もあって、たまんないほど気持ち良い…!
「く…ッ」
「ぁ、…!んぅう…!」
思わず漏れた声だったけど、それは佐伯も同じだったみたいだ。体を震わしながら、上を向いて目を瞑ってた。
一回気持ち良いって分かったら、その動きを止められるはずもない。力を込めて何度も扱き上げると、イくのまでまっしぐら。制服汚れるから、出す直前にティッシュかけなきゃとか、そんな事が頭を掠めるけど体はそれどころじゃない。俺たちが動くせいで、一人用の椅子がギシギシって悲鳴を上げてる。
卒業式後だからって、ここは学校で、他の生徒も居る…分かってんのに、やめらんない。とにかく気持ち良くって、イきたくなくて、でもイきたくて…何が何だか分からなくなってくる。
「あ、らい…!」
縋る声に考えてた事を吹っ飛ばして佐伯を見れば、こっちに顔を突き出して口を開けていた。なんて顔してんだ…!このエロ教師!
蕩けた目で求めるように開けられた口を、俺の唇で塞いでやる。途端に絡みついてきた舌が強引で、佐伯ってエロい事してる時は結構積極的なんだなって驚いた。
ラストスパートをかければ、ゴールは目の前だ。貪るようなキスをしながら、ちんこを扱きあげる。ああ、やばい、イく…!
「ふッ、ぅ…!」
「っは、ぁ、んん ーーーッ!」
今までよりも強めに力を込めると、俺の腰がビクっと震えて精液が飛び出していく。それにつられるようにして、佐伯の体も震えた。塞いだ口の間から、籠もった声が漏れる。
イった後の倦怠感のせいで、倒れ込むように佐伯の肩へ頭を乗っけると、後頭部にキスされた感覚があった。
荒くなった呼吸で、目一杯吸い込んだ空気は佐伯のにおいがして、良いにおいだった。
◆
「シートベルト、しっかり締めろよ」
車のエンジンをかけながら佐伯に言われ、左上からシートベルトを引っ張り出す。あんまり車に乗る経験がなかったせいで、助手席に座るなんて少しだけ緊張する。
お互いで擦り合うのが気持ち良くって、あの後もっかいして、終わった後にこれでもかってぐらいキスをしながら過ごしたら、下校時間もとっくに過ぎるぐらい遅くなっちまった。
本当はもっとしたいぐらいだったけど、もう遅いからと佐伯に怒られて止められた。ヤってる最中は甘えてきてたくせに、可愛くない。
車できてる佐伯は、家まで送ると言い出して、一緒に居たいって思った俺は、その提案に有り難く乗った。
暖まってない車内はまだまだ寒い。ヘッドライトをつけてから発進した車は、静かに校内を通り抜けた。
電車で30分程度の家だけど、車だったら電車みたく大きく回ってくるって事もしないから、10分そこらでついちまう。
流れてく風景を眺めながら揺られてると、見慣れた景色が見えてきて、もうすぐ家に着いちまうんだなって寂しく思った。
家の近くのコンビニで良いからって言って、端に止めて貰う。
「ありがとございました」
シートベルトを外して、荷物をまとめながら声を掛ければ、ハンドルにもたれるようにして佐伯は俺を見ていた。
その仕草が色っぽくって、なんだかドキっとする。
「遅くまで、悪かったな」
「いや…」
「気をつけて帰るんだぞ」
引き留める事も無く、いつも通りの佐伯の態度。
ここで何も言わず降りたら、それで終わりなんだろう。
少しの間だったけど昼飯を一緒に食って、微妙に仲良くなった。最後に擦り合ったのは、事故みたいなもん…そんな青春の思い出の一つになる出来事。
佐伯との関係はこれで終わり…本当に、それでいいのか?と、自分に問いかける。
んなの、良いわけねーだろ。
ドアを開けようとノブに引っ掛けていた指を外して、佐伯の方へ顔を寄せる。ついでに、相手の頭を掴むと思いっきり引き寄せて、キスをした。
「んっ、は…、!」
ねっとり佐伯の口の中をなめ回してから、唇を離す。間近にある佐伯は、驚きすぎて何も言えないって感じだ。
「ねえ、俺、もう生徒じゃないよ」
デコを合わせるようにして、目を合わせる。眼鏡の奥の三白眼は、これでもかってぐらい驚いたせいで小さくなってて笑う。ほんと、この人は悪人面だ。
「だから…連絡先、教えてよ?」
数ヶ月前に、古典の先生が嫌いだった俺に言ってやりたい。
その、黒板の前に立ってる、神経質でロボットみたいな無表情男…卒業後には、本気で好きになってるよ。
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