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兎は豹に狩られる
「やっぱり怖い…」
カチカチと蛍光灯が点灯する音が遠すぎず近すぎない距離から聞こえてくる。
「君が頼んだんでしょ?」
金曜日の午後8時、惚れた人間の気を引くためにハーゼはピアススタジオの椅子に座っていた。
ウィンドウのすぐ外には行き行く人間の影が右へ左へと流れる。スタジオからまっすぐ進めば大通り、そこから右を向けば老舗のデパート、左を向けばこの街で一番の観光地となっている港に向かう道が伸びていた。
そんな明るい背景に隠れるかのように少しばかり古びていて照明の明るさの足りない、廃れた見た目のアーケード街にひっそりとこのスタジオはあった。
知る人ぞ知る場所だ。
何かの間違いで迷い込んだ観光客や買い物客は独特な雰囲気に圧されて去っていく。
「た、頼んだけど」
ハーゼの目の前できれいすぎる笑顔を見せたレオは舌に刺さった青いバーを見せびらかすように転がした。
この舌を見つめ続けると酔ったように何でも言うことを聞いてしまう。甘い毒のようにじわじわと体が火照り出すのだ。
「んーーーっ」
スタジオの奥から聞こえてきた喘ぎ声のような音に視線を上げると、 恍惚とした顔の男性が天井から吊るされていた。そう、背中の皮膚に大きなフックを通して。
「うわっ、痛そう…」
「サスペンションね。気持ちいいよ。今度やってみる?」
「ぁ、い…ん…。わかんない」
「はは、ハーゼはまだ縄でいっぱいいっぱいだもんな」
さっきよりも近くに寄ってきたレオの顔にハーゼの頬が燃えるように熱くなる。
「おい、レオ。いつになったら始まんだよ」
「はいはい、急かさないでよ。雰囲気が大事なんだってば。せっかくのショーが台無しになっちゃう」
はっとして顔を上げるとハーゼは20人ほどの人だかりに囲まれていることを思い出した。
一人一人の顔を確認しているような余裕はない。それでも、派手な髪色、顔の至るとこに輝くピアス、手首や首元に覗くタトゥーの存在は今の状況に気が遠くなりそうなそうなハーゼでも確認できた。
「こんな真っ新な子で大丈夫なん?」
「何言ってんだよ。傷もついていなくて何にも知らない子だからいいんだよ」
「お前も悪趣味だな」
「ハーゼも好きだもんね?」
楽しそうに周りの人間と笑い合っていたレオが急にこちらを振りむき微笑んだ。
肯定しようと上下に頭を振るとハーゼは身体に食い込む縄の痛さに顔をしかめた。
「あーあ、天使ちゃん、痛そうな顔しちゃって」
「痛いのが気持ちいいんだもんね、ハーゼ?俺が縛ってあげたもんね?」
「うん…」
後ろ手に縛られ上半身に赤い縄を纏うハーゼの肩に触れるとレオは耳元で囁いた。
「もう勃っちゃったの?」
目の前の耳が真っ赤に染まる様にレオの心は躍った。
どこぞのバーで見つけたこの子は何も知らないウサギのようで、ハイエナのような人間たちが集まるこの界隈に一人で迷い混み、「食べてください」と書かれた看板をぶら下げているかのように良からぬ人間を集めていた。
「みんなの前でイカセテほしい?」
「や、やだ」
「じゃあ、俺にキスして?」
「え…」
至近距離で顔を上げたハーゼの瞳は涙で濡れている。数週間前に拾ったこのウサギの表情が「拒否」を意味するものではないことをレオはよく知っていた。
「ん…」
「ふふっ」
今までで誰にされたよりもお子様なキスにレオは頬が緩むのを止められなかった。ペタリと押し付けられた唇を艶めかしく舐めれば縄で身動きの取れない真っ白で華奢な体が微かにたじろぐ。
「ねえ、ハーゼのいやらしい身体、みんなに見てもらう?」
ハーゼの頬を前かがみのレオの髪が撫でる。
カラフルな髪色を好むこの世界の人々の中でブルーブラックの髪は逆に目立った。スタジオの照明に照らされると青く輝くストレートのレオの髪がハーゼは好きだった。
「よし、じゃあみんな見えるところに移動して。ショーの始まりだ」
レオの手に置かれたトレイの上でカシャカシャと金属音が鳴る。
――わっ、大きい
思っていたより大きいそれの太さに戸惑っていると、消毒液の匂いと冷たさにハーゼは飛び上がった。何が起きるかわかっていたけれど、コットン球で自分の胸を拭くレオの姿に今から起きることが現実味を帯びていく。急に怖くなり逃げ出したくても上半身を縛る縄とレオへの感情でハーゼは動けなかった。
「感じちゃったの?いけない子だね」
交わる縄と縄の間で空気に触れていたハーゼの乳頭にペンで印をつけたレオは、何事もないかのようにさらりとハーゼの股間を撫でた。
「ひゃぅ」
「何その可愛い声。みんなの前でヤッテほしいの?」
首を左右に振り嫌だと伝えるハーゼの頬は今まで以上に真っ赤に火照っていた。
「じゃあみんな、ピアッシング始めるよ」
黒いゴム手袋をしたレオの手に透明の軟膏を纏うニードルが輝く。手袋越しに触れたハーゼの身体がびくりと動き瞼をぎゅっと瞑った様子にレオは唇を舐めた。
まだニードルの先端を差していないというのに、目の前の少年はわずかに開いた口先から熱い吐息を漏らしている。
人に見られていることに紅潮しているのか、これから起きる痛みを期待して気持ちが高まっているのか。どちらにせよ、このウサギは美味しそうに熟れて甘そうに蕩けていた。
「んーーーー!」
赤い縄を纏う少年の背が反り返り声にならない叫びが発されると、レオの背後に群がった人間の歓声が波を打つように広がる。
絶頂を迎えた時のような煙たい感覚が身体に押し寄せると生ぬるい涙がハーゼの頬を伝った。
1秒、2秒、3秒…
時間が経つにつれ乳首に鈍い痛みが広がっていく。その感覚はジクジクと広がり、首元の血管で心臓が動いているような感覚にハーゼは戸惑った。
「生きてる?」
「…うん、でもすごく痛い…」
「あともう片方やったら終わりだぞ。後でイイことしてあげるからそれまでガマンな」
熱を込めるようにハーゼの耳元で囁くとレオはもう一本のニードルを手に取った。
痛さに負けて泣き出す人間は五万といる。
針を身体に貫通させる行為だ。身体の大小関係なく、限界に達して嘔吐する奴だってレオは見たことがあった。
この子は違う。
痛くて泣いているわけでも、頬を染めているわけでもない。
縄で拘束されていること、痛みを与えられていること、人に見られていること、全てに興奮して、レオの目の前で紅潮しているのだ。
「ーーーーーーーー!!!!!!!」
もう片方の乳頭にニードルを通すと眼を硬く瞑りハーゼが声にならない叫び声を上げた。
椅子からずれたハーゼの身体を戻し微かに震える肩を押さえると、ハーゼの唇から熱い吐息が途切れ途切れに漏れ出した。
「あれ、飛んじゃったか」
くたりと力の入らない身体を椅子に起こし、汗ばんだ髪を撫でるとレオはギラギラとした目つきでハーゼを見つめる観客の方に身体を向けた。
「はい、これでおしまい!」
「天使ちゃん、気ぃ失っちまったじゃん。どぉすんのレオ?」
「ご心配なく、この子は俺が面倒みるから大丈夫」
「あーあ、悪そうな顔して」
不満の声がチラチラと響き渡る。
「アフターケアまでしっかりするつもりだからね」
「何なに?アフターケアって何するの?!」
「秘密だよ、お前たちには教えてあげない」
帰るには早すぎる時間帯だ。通常ならこれからショーを繰り広げ、盛り上がりを見せていく時なはず。
「はぁ、ずるい!この子は特別ってわけ?」
「そうだよ、ほら、みんなお開きだ、さっさと帰って」
「えー」
だが、今夜のレオはこのままこれ以上、獲物を狙う獣のような奴らと同じ空間にこの美味しそうなウサギを置いておきたくなかった。
独占欲という今まで感じたこともない感覚に動かされるままに毛布でハーゼを包み抱きかかえると、痛みと快感で染まった頬に唇を寄せ囁いた。
「さあ、イイことしに行こうか」
スタジオは今夜レオなしで問題なく回るだろう。
月が満ちてネオンと痛みと快感に惹かれる人間の活動が活発になるころには、誰も真っ赤に熟れて美味しそうなハーゼのことを覚えていないはずだ。
ハーゼ はレオ の獲物だから。自分の世界に迷い込んだ真っ新なハーゼを、今夜レオは縄で縛り、牙 を刺して自分のモノとした。
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