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第1話

 放課後、校舎から出ると上空は灰色の薄い雲で覆われていた。雪雲から静かに落ちてくる粉雪は宙を踊り、オレ、宮下信乃(みやもとしの)の頬を撫でる。  防寒着にマフラー、手袋と寒さ対策はしっかりと行っていたはずだが、傘を忘れてしまったせいで頭には雪が乗っていた。しかし、ただひたすらにひまりが丘高校の正門前で大空を仰ぎ、舞い降りる雪を手で払うこともなく、友人が来るのを待った。  足を止めたオレをどんどん追い抜いていく他の学生たちの歩幅は不規則で、足首ほどの高さにまで積もった雪に足を取られているようだった。近年稀にみる積雪量に登校時は密かに舞い上がり、友人を驚かせてしまったものの既に雪原を見慣れてしまった。 足跡だけがくっきりと残る雪道を見つめていると、後ろから声をかけられる。 「信乃、ごめん、待ったよな」  ゆっくり振り返ると明るめの茶髪が目立つ男子生徒が申し訳なさげに立っていた。浅く頭を下げ雪を乗せているその少年は、オレの友人、飯島健大(いいじまけんた)だ。一緒に帰ろうと自分から誘っておきながら、提出物を忘れたとかで下校が遅れたようだ。 「でも、外で待ってなくてもよくない? 暖かい教室で待ってればよかったのに」 「雪が好きだからな、この目で見ていたかったんだよ」  少しずつ雪は止み、頬に触れる量も減っていく。  オレは足早に雪道へと踏み出した。ずしりと沈み込んだ積雪を歩く感触はとても心地が良く、冬を満喫できていると感じられる。 「ちょっと待てったら! おい、信乃、何をそんなに急いでんだよ」 「別に、急いでなんかない」 「俺は信乃とゆっくり、二人で帰りたいな」  オレに追いつくようにと駆け出した健大は瞬く間にぴたりと右に並んだ。歩幅を合わせたがっている彼だが、寒さをものともせずにニコリと微笑んでいる。  二人で一緒に帰るのを、心から楽しみにしていたかのように見えたが自意識過剰気味だろうか。何でもかんでも素直に告げる健大は、日々笑みを浮かべながら「好きだよ」と好意を示してくれる。それに対してオレは何も言葉を返せず、ただ頷くばかりの毎日。胸に秘めた感情を堂々と伝えることはできていない。  通学路を歩き始めた先、周囲にはさらなる白銀の世界が広がっていた。上空の雲は徐々に晴れていき、澄み渡る冬の空気の下に晒された積雪が明るく煌めくこの場所でなら、不思議と自分自身の気持ちをきちんと伝えられるような気がした。  普段とは異なる光景を目にし、気持ちが高ぶっているだけなのかもしれないが、何かのきっかけになってくれるのではないかと期待をしてしまう。  だがそう簡単に素直になることはできない。 「今、帰ってるだろ」  健大を一瞥することもなく呟いた。 「帰ってるけど、もっとこうさ、イイ感じの雰囲気で帰りたい」 「いい感じってどういうことだよ」 「手を繋いだりとか、次の休みのデートの行き先はどうしようか? みたいな恋人らしい話をしたりとかかな」  オレは健大のように何の躊躇いもなく恋人として振舞いたくとも、自分らしくないと迷い「そうかよ」としか言いようがなかった。  本当なら健大が望むような会話をしたく、それ以上の行動もしたいほどだ。口に出せないだけでオレは健大が好きだし、手を繋いだり、キスしたり――恋人として接したいと考えてはいるが行動に移せず、ただ胸に留めているだけ。 「あーでも、信乃は恥ずかしがり屋さんだもん、手を繋いだりとかは難しい、よな?」 「お前がそうしたいならいい」  自分の感情を押し殺しているわけではなく、秘めたまま静かに別の言葉を発してしまうばかりだった。オレ自身も望んでいるはずなのに、まるで健大が言うならば仕方がないと相手の気持ちを利用しているだけ。  それではいけないと充分に理解していた。  健大から告白を受けて数か月、恋人らしい行動をオレから望んだ機会は一度たりともなく、まるで渋々と健大の希望を受け入れているだけにも見えるだろう。そう健大に誤解されていてもおかしくはないぐらいだ。 「信乃がしたくないってなら、やりたくないし、手を繋ぎたいなら素直に教えて欲しいな」  いつかはこの時が来るとも思っていたし、頭の中で何度もシミュレーションをしていた。健大からオレの意見を求められた時にどう答えれば喜んでもらえるのか。己の内側に生じている恥ずかしさと戦い、勝利を収め、彼に対する愛情を素直に告げた時に見られる驚きと、笑みを浮かべている様子を繰り返しイメージもした。  けれどいざその時が来ると、頭の中が真っ白になって、健大に目を向けることすらできない。 「信乃、俺は信乃と手を繋いで帰りたいなって思ってるんだけど、君はどう?」  優しく労わるような視線。誰に対しても優しい健大だが、オレには優しさだけでなく、全てを包み込むような愛情で溢れていた。  オレはいつからこんなにも臆病になったのだろうか。本心を告げることもできず、ただ健大から与えられる温かみだけを得、返すこともできない。 「オレは、その」  歩幅が狭くなり歩む速度が着実に落ちていく。 「健大が繋ぎたいなら」  何度も同じ言葉ばかりを発してしまう。頭の中で何度イメージトレーニングをしても、実際に口にしようとすると緊張感に襲われる。  もっと素直に、馬鹿正直に欲望を告げてもいいのかもしれない。ただそれを口にするには自分自身の羞恥心と戦う必要があった。勝利はそう易々と見えてはこない。 「それが今の信乃の精いっぱい?」 「精いっぱいとか、別にそんなんじゃねーけど」  高校二年生にもなって、彼氏相手に手を繋ぎたいと言い出せもせず、無理やり手を握ることすらできない恥ずかしがり屋のオレは、健大とは真逆の人間だ。  何でもかんでも馬鹿正直に口に出してしまうところが彼の魅力であり、憧れてもいる部分でもあるが、自分は簡単に、そうはなれそうにもない。  ただ強がり、オレはウソをつく。 「言おうと思えば、いくらでも健大に好きだって言ってやれるし、お前がオレにそう望まないから言わないだけだ。手だって繋ぎたいけど、健大がオレを求めるのを待ってただけだからな」 「じゃあ、信乃、右手貸してよ」  健大に言われるがまま、オレは彼のほうに右手を向けた。すると颯爽と手を繋がれ、一気に体温が上がってしまう。 「あとはそうだな。好きだって言えるなら、今言ってよ。ほんとはさ、いつも不安なんだよ? 俺は何度だって信乃に好きだって言ってるけど、全然言ってくれないから」 「そ、それは」 「雪のことはサラッと好きだって言ってたのになー。恋人には言ってくれないんだ?」  雪に対しての嫉妬?  悲し気に瞳を伏せた健大の思わぬ言葉に呆然としてしまった。  冗談交じりのつもりだろうが、もしかしたら普段は明るく振舞っているが本当は不安を抱いていたのだろうか。オレが健大を好きでなくなってしまったのではないかと。 「あーあー。俺は雪以下の存在なのか」  あからさまに落ち込んだ健大は肩を落とし、盛大なため息をついた。わざとらしさすら感じてしまうほどの雰囲気のせいで、おちょくられているのではないかと疑問が生じて仕方がない。 「ふざけてるだろ」 「信乃にはそう見える?」 「見える」  再び大きなため息を漏らした健大は「そっか、残念」と短く呟いたが途端に笑みを浮かべた。  正確には先に折れたといったほうが正しいのだろうか、今まで「好き」と伝えたことのないオレが、そう簡単に本音を告げはしないと判断したのだろう。  オレが誤魔化していることは易々とバレている。 「俺は信乃のこと、本当に好きなんだけどな」  歩幅を合わせて歩いていたはずの健大がスピードを上げた。早歩きで雪道を進む彼はぐんぐんと歩き続けていく。  幾度か声をかけようともスピードを落とさずにいる健大に腕を引かれ、オレも自然と足早に歩くことになってしまった。 「健大! いきなりなんだよ」 「俺に好きだって言ってくれないんだもーん」 「それだけの理由かよ?」 「十分な理由だと思うけどな。俺と付き合ってからの信乃は、一度も俺に好きだって言ってくれてないしね」  誰がすれ違おうが関係ない。健大は大きな声でへそを曲げ、子供じみた理由で先を歩き続ける。  これでは普段と何ら変わらない。結局オレは健大に本心を告げられないままだ。眩さすら感じる雪のお陰で何か変われるような気がしたのだから、何もせずにいてはもったいないだろうか。  きっかけがどうであれ自分を変えるのは自分自身だ。   雪は好きだ。でもそれ以上に健大が好きだ。この気持ちを告げずにいるのは止めてしまおう。  日差しが当たり、降り積もったたくさんの雪が解けてしまうように、自分自身の中にある恥じらい、強情な部分と少しずつ向き合い、溶かしていってみよう。 「健大、好きだよ。雪よりも、誰よりも、ずっと」  情熱的に繋ぎ直した健大の手のひらに想いを乗せて。 完 

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