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第1話

ふるさとは、雪のよく降るところだ。 豪雪地帯、というほどではない。けれど小学生の頃、 雪だるまの材料に困ることはない程度に、よく積もった。 大人に手伝ってもらって、かまくらも作った。 子供が三人も入ればぎゅうぎゅうな、小さな秘密基地。 「岬」駅のホームで呼び止められて振り返る。 「あれ。たっつんも帰ってきたん」 「おお。なんやおんなじ列車乗っとったんか」 「みたいやね」 高校卒業以来。幼稚園からずっと一緒だったから、 こんなに離れていたのは初めてかもしれない幼馴染。 「今年はよう降るなあ、雪」 「うん。」 「都会てな、5ミリほど積もったら電車止まるやろ。あれなんやろ」 「ああ、せやな。やっぱり慣れてへんからかな」 「ほんで子供らが嬉しそうに泥混じりの雪だるま、作ってんの、あれなんや悲しいなるわ」 たっつんはあいかわらず。よく喋る。 年末だというのに閑散とした改札を抜けて駅前広場に出る。 ボソボソと落ちてくる大きな雪片は軽くて頼りないように見えて、 しかししっかりと積もる気配を見せている。 夜の間に積雪量は増すに違いない。 「学校どない?」 「ん?単位?」 「単位とか、バイトとか、サークルとか」「彼女とか」 最後の「彼女」にやけに力を込めて訊いてくる。 「たっつん、彼女、できたん?」 「え、なんで?」 「訊いてほしそうやったけど」 傘をさしていないのでジャンパーのフードや肩に、あっという間に雪が積もる。 時折手で払いながら商店街のアーケードに逃げ込んだ。 商店街といっても人はほとんど歩いていない。シャッターが目立つ、さびれた目抜き通り。 「うん」にいっと口角を上げて、たっつんは顎を上げた。 少し高い位置から、俺を見下ろすようにして 「きのしたまいちゃん、っていうねん」 「ふーーーーーん」 「写真、みる?」 ポケットからスマホを取り出してかざしてみせる。 「おお」 「待って」 手袋の中指をクッと噛んで、するりと引き抜いた指で、スマホ画面をタップする。 指。背も高いたっつんは、指も長い。細くて長い指。 「ほら。・・・・ってどこ見とん」 「え、あ、いや?」 焦点を指からスマホ画面に移すと、女の子の姿が見えた。 「・・・・・・。」 「や、なんかいうてぇや」 「うん・・・かわ・・・いいん・・・ちゃう?」 「えーーーーーーー。」 「や、ごめん。あんな、うちの大学にもこんな感じの子ようさんいるんやわ」 入念に配置された前髪。いい感じに額縁効果を醸し出す髪型。 同じようなメイク。同じようなファッション。 「正直、見分けがつかん」 怒り出すかと思いきや、たっつんは盛大にため息をついて言った。 「わかる。なんでみんなと一緒がええんやろな」 「ほんでインスタやろ?タピオカやろ?」 「ついて行かれへん・・・・あれ!」 「ここ・・・」 「映画館や。映画館なくなっとる!」 商店街の中ほどにぽっかりと口を開けた真っ白な空間。 先週から本格的に降り続いた雪が、誰にも踏まれずに静かに蓄積している。 トラロープが2本。「管理地」の札が傾いて揺れる境界。 入るやろ。入るって。 だって男の子やもん。 「うーわー」 まずはバッグを放り出して大の字になってダイブ。 もきゅ、と体が沈む。 「広いなー」 「狭い映画館やったのにな」 「え~、せやけどここなくなったら映画どうするん」 「アマプラ」 「そっかー。せやんなー」 起き上がってたっつんに雪礫を投げる。 向こうも投げ返してくる。 丸めるのが面倒で手元の雪をつかんでは投げつかんでは投げ。 「なあ、ゆきだる・・・・いや!かまくら作ろ!」 いい加減雪まみれになったところでたっつんが瞳をきらめかせた。 「かまくら?」 「子供ん時作ったやろ!」 「ああ。。。。」 「やるで~!」 いうなりたっつんは雪玉を転がし始める。 元映画館の敷地の端まで行くと、すでにそこそこの大きさの玉が出来上がる。 「雪質最高やもん!ようつくし、固めやすい!」 俺も一緒に雪玉を転がした。 確かに、途中で割れることもなく、面白いようにすぐ太ってくる。 「ほんま、これやったらすぐできるかもな」 「ここで最後に観たん、なんやったかな」 「ん~。。。たしか。。シン・ゴジラ」 「高1の時か」 「そうそう。高校忙しかったもんな。クラブとか受験とか」 「あんま遊べんかったなあ」 「雪遊びなんかほんま小学校以来やな」 それにしても。こんないい場所が手付かずだなんて。 一瞬我が故郷の少子化を憂う。一瞬な。 途中何度も固めながらふたりがかりで転がせるだけ転がして、 動かなくなったところで掘り作業に入った。 その頃にはすっかり無言で黙々と作業に没頭する。 掘り出した雪で土台を補強して慎重に掘りすすめる。 「天井こんなもんちゃう」 「もうちょいいけん?俺頭つかえるわ」 「あかんて。これ以上は崩れる」 「ほんまはなー、水かけて一晩凍らしたら強うなるねんけどな」 防水の手袋越しでも、いい加減手がかじかんできたところで なんとかそれらしい穴蔵が出来上がった。 「岬、ちょ、座ってみ」 「ん、いけるで」 「ふたりいける?」 「詰めたらいける・・・・」 「せっま」 向かい合わせは到底無理、ぴったりくっついて並んで体育座り・・・は お尻が冷たいので、行儀のいいヤンキー座りの体勢でなんとか収まる。 「秘密基地や」 「作戦立てるっていうより、逃亡してる感じやけどな」 「ほな、隠れ家」 「なんもできんやん。何するん」 「え、あれやん。秘密の話するんちゃう」 「秘密の話?」 「そうそう」 「秘密の話か~。。」 ダンボールの基地とも、体育倉庫とも違う、白くて冷たくて丸い、 この特別な空間。 照明もないのに、乱反射した光がかまくらの中に不思議な明るさを引き入れてくる。 所在のない腕で自分の脚を抱いて、動かせるのは首と目と口だけ。 それなのにどうしてこんなにわくわくした気持ちになるんだろう。 たっつんが。 となりにいるからかもしれない。 「・・・・さっきの」 「うん?」 「きのしたまい・・・ちゃん?」 「おお」 「どこまで行ったん」 「・・・・・・。」 「あるやん、どこまでって。」 「あ・・・あるなあ」 「どこまで?」 たっつんはセーターの襟元を引っ張って顎を埋めた。 すぐそこに上気した頬が見える 「・・・・やったん?」 「してへん」小さくかぶりを振る。 「ほんなら・・・キスは?」 「・・・・。」 「え?それもまだなん?」 「いや・・・。」 「どっちやな」 「・・・した」 ふーん。たっつん、女の子とチュー、したんや。ふーん。 「どやった?」 「岬は?したことある?」 「ないよ。彼女おらんもん」 「そっか・・・。」 「どやったん」 「どやって・・・なあ」 かなり逡巡してから、たっつんはぽそり、と 「化粧、してやったからなあ」 「え?」 「口紅」「あ。グロス?とかいうのん?」 「ああ・・・」 「あれ、いややったわ。ベタ~ってして」 「あー・・・」 「まだな、すっぴんは見せんのいややねんて」 「付きおうてんのに?」 「うん・・・」 「なんやそれ、あれやな」 「あれやろ」 「なんやなあ、唇!って感じやないよなあ・・・」 「やーらかかってんけどなあ」 ふーん。唇は、柔らかかったのか。ふーん。。。 「それやったら」 ふと。・・・・・どうして。 そんなことを考えついたんだろう。 「俺としてみる」 どうして。 笑いもせず、引くこともなく、 たっつんは俺の目をまっすぐ見返したんだろう。 「キスを?」 「うん」 「岬と?」 「口紅は塗ってへんで」 「そらそやろ」 「リップも塗ってへんで」 きっと、かまくらの中だったから。 ここは非日常の世界。 だから、きっと。 「すっぴんのくちびる、味見さしちゃる」 「味見」 「そう」 「ええん」 「ええよ」 そう。これは、雪のせいだ。 たっつんも、きっとそうだったんだろう。 視界いっぱいにたっつんの顔が来て、思いがけず柔らかくて暖かい唇が触れた。 ・・・と思ったらすぐに離れた。 「・・・どやった」 「うん・・・・。」 たっつんは首をまっすぐ戻してかまくらの白い壁を見つめて言った。 「やらかい」「ふわっとしてた」 「うん。ふわっとしてたな」 「もっかい、してい?」 返事はしなかった。たっつんの方に、顔を向けた。 ふわり、とくちびるが触れて、今度はグッと、押し付けられた。 「ん」 さっきは感じなかった湿り気。蒸気。 たっつんの息。 急に鼓動が強くなった。ぎゅっと目を瞑る。 瞑ってしまったら、もう開けられない。 少し困った気持ちになる。 どうしよう。いつ離れるのか。これは終わるのか。 終わったらどんな顔をすればいい。 どうして 体がこんなに熱くなるんだろう たっつんの体が押してきている。 不安定なヤンキー座りを雪の壁で支えて受け止める。 雪の壁で支え・・・・て? あ、と思う間もなく、 突貫工事の秘密基地は、もろくも崩れた。 「うっわっ!」 ふたり重なったまま転げる。 思わず目を開けると たっつんの肩越しに光る灰色の空と、影のように降り落ちる雪 「う~」 重い! 俺の上にたっつんの体と崩れたかまくらの天井が乗ってる。 倒れる瞬間に無意識に回した腕が、お互いの体を抱いていた。 「やってもうた・・・」 しばらくしてたっつんが雪をはねのけながら起き上がる 動揺を悟られないように。声が上擦らないように。 「たっつん・・・ぐいぐい押してくるし・・・」 「ごめん・・・っは」 語尾が笑いで跳ねる。 「はははは。ちょっとなにしてんねん、俺ら」 起き上がり、雪をはたいて落としながらつられたように笑ってみせる。 「なんやあぶなかったわぁ」 「ほんま!へんなきもち、なりかけたわ。あぶないわ~かまくら」 「かまくらのせいにすんなや」 いや、でも、やっぱり雪のせいかな。 音もなく降り積もって、気づいた時にはすごく重さを持っていて。 それでいて時が来ればあっさりと光に蕩けて流れ消えていく、雪。 「帰ろ・・・。腹減ったわ。あと、寒い」 「うん」 「休みのあいだ、また遊ぼな」 「うん。LINEする」 「うん」 商店街を抜けるとそれぞれの家の方向に分かれる曲がり角。 「風邪引きなや」 「お互いな」 「ほんな」 背中を向けて歩きはじめたたっつんを呼び止めた。 「達也」 振り返り、きょとんとこちらを見る幼馴染の瞳。 きちんと本名で呼んだのなんて、いつ以来だろう。 「きのしたまいちゃんのすっぴん、見せてもらえるように頑張れよ」 ああ、うん・・・。たっつんは曖昧に微笑んで頷いた。 「岬もはよ彼女作れや」 「ほっとけ」 足元の雪を派手に蹴飛ばしてみせる。 笑いながらひらりと手を振って去っていく彼を見送らずに、 俺もくるりと背中を向けた。

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