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第46話

 開店したばかりでまだどこの席も使われていなかったので、初めて久世を接客した時と同じ席にした。  並んで座り、お飲み物はとメニューを差し出すと、久世は「いい」というように手を振る。 「今日はバンビちゃんの好きなものを頼んでいいぞ」 「じゃあ、この一番高いの…」  メニューに載っているもので一番高価なのは、万里にはちょっと理解できない価格のロマネ・コンティである。  我儘を言われたのだから困った顔でもして見せれば可愛げがあるのに、構わないと頷かれて万里の方が焦ってしまう。 「タワーを頼めばコールもしてくれるのか?」 「当店ではそのようなサービスは行っておりません」  万里も少し見てみたいが、そのノリは確実に店長に怒られるやつだ。  冗談だと前言を撤回して、シャンパン・ジュレップをオーダーした。  久世とは、あの日ぶりだ。  随分と久しぶりなような気がするが、あれから一週間も経っていない。  その間、何かメッセージを送ろうかとも思ったが、一体どんなことを話題にすればいいのかわからず、今日のこの日を迎えてしまった。  そわつく万里とは違い、久世はいつも通り、腹の立つくらい男前だ。  近づいたフレグランスにあの時のことを思い出しそうで、今は忘れろと己に強く念じた。 「バンビちゃんとここで会うのは今日で最後か。ちゃんと社会復帰できそうか?」  相変わらず嫌なところを突いてくる。  人をニートのように言うなという文句は、口の中に消えた。 「………………頑張って起きる」  この二か月間、仕事の都合上寝るのが遅いので必然的に起きるのも遅くなっているのを、どうして知っているのか。  万里が深刻な表情になったのを見て、久世は笑って「頑張れ」と頭を撫でてきた。  話をしていると、ボーイが飲み物を持ってきてくれたので乾杯をする。  グラスに口をつけた万里は、それを置くと久世に向き直って頭を下げた。 「その……今回のことは、本当にありがとうございました」 「改まってどうした」 「いや、まだお礼をちゃんと言ってなかったなって。あんたがいなかったら、親子二人で東京湾に沈んでたかもしれないし」  驚いた表情をしていた久世は、つけたした言葉を聞いて破顔した。 「俺にとっても得るものが大きいと思ったからやっただけだ。お陰でバンビちゃんとも出会えたしな。言っただろ、世界にとって利益になることしかしないって。その『世界』にはちゃんと俺自身も入ってるんだぜ」  久世らしい。  自分と出会ったことも、利益の一つに入れてもらえるのだろうか。 「あの、一つ聞きたいことがあって」 「答えられることなら」 「あんたは、それだけ仕事ができて、どうしてその……オーナーと同じ側にいるの?」  表向きは関わりがないことになっているとはいえ、二人の関係は深いように思える。  神導はダークサイドの気配がムンムンだが、久世は育成好きな一面があったりして、表社会の方が居心地がいいのではないだろうか。 「随分切り込んだ質問をしてくるな」 「あ……言いにくい事だったら、いいけど」  目を細めた久世は「そうだな」と遠くを見るような目で言った。 「月華に惚れたからだろうな」  答えに、万里は息を呑んだ。

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