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第56話

 目を開けたら、そこは肌色だった。 「起きたか」  降ってきた甘い声にはっと覚醒する。  そろそろと見上げると、ベッドに半身を起こした一糸纏わぬ久世が目を細めていて。  どうやら万里は久世の下半身側面にぴったりと沿って寝ていたようだ。  睡眠中の自分よ、何故そんなところをベストポジションにした。  こんな時、何を言えばいいのだろう。  おはよう?いや、恐らく朝ではないのでそれは相応しくないかもしれない。こんにちは、か?  レースのスクリーンの外はまだ明るい。避けようのない出来事だったとはいえ、数時間(数十分?)前の自分は昼日中から何をしていたのか。  まともに考えてしまうと羞恥ゲージが振り切れて爆発しそうなので、万里は直近の記憶にひとまず蓋をした。 「あの……今、何時……、う」  無難なことを聞きながら起き上がろうとして、あらぬ場所が痛んで呻く。  重怠い痛みと、未だ何かが挟まっているような感覚。  未知の感覚に硬直していると、久世が気遣わしげに覗き込んでくる。 「痛むか?お前がかわいくて、ついがっついたからな……」  かわいいとかは言うなと怒りたい。だが恥ずかしいのでこの話題を掘り下げたくない。  万里は何でもない風を装いながら慎重に身を起こした。 「ぜ、全然、平気だけど?」 「一応隅々まで確認して、外傷はないみたいだったが」 「す……」  隅々までみたってどこを、とは恐ろしくて聞けなかった。  万里の記憶は、互いに果てたところで途切れている。  シャワーを浴びて体を洗った覚えもないのに、たっぷりと垂らされたローションやその他体液等はどこへ行ってしまったのだろう。  疲れ切っていたので記憶が飛んでいる可能性はあるものの、答えは一つのような気がする。  恐らく事後処理をしてくださったであろう久世は、いつものようにからかっている風ではなく、心配そうにこちらを見ていて、顔を覆って叫びながらベッドの上を転げまわりたいくらい動揺した万里は。  ……ひとまずそのことには蓋をすることにした。(二回目)  現実を、直視できない。   「と、とにかく平気だから」 「まあ、今日のところはうちでゆっくりしてけ。強引に連れてきておいてなんだが、何か予定があったか?」 「別に、何も。……あんたこそ、パソコン開いて……仕事、大丈夫なの?」  久世の膝の上にはノートパソコンがある。  万里の勘違いのせいで予定がずれ込んで、何か支障をきたしていたら申し訳ない。 「うちは法人向けの案件が多いから、土日祝はそれなりに休みが取れるんだ」  お前がよく寝てたから、まだ起きないかと思って立ち上げていただけだと笑いながら、久世は画面を閉じた。  そう言ってもらえると、少しだけほっとする。寝顔を見られていたのは恥ずかしいので、起こしてくれたらよかったのにと思わないではないが。 「……昨日の話だが」  会話が途切れて何を話せばいいのかと内心焦っていたところ、久世がぽつりと切り出したが、どれのことだろうと万里は首を傾げる。  久世は万里の疑問に気づいていただろうが、そのまま続けた。 「……小五の時、零細企業の社長をやっていた俺の父親が死んだんだ。土地や相続に関して詳しくなかった母親は、地主と父親の会社の役員に適当に言い包められて、全てを奪われた上に負債まで負わされた。女手一つで俺を育てながら、馬鹿正直に金を返そうとして、恐らく過労で俺が大学に入る直前に死んだ」  大切な話をしている。  万里ははっとして目が覚めてからずっと直視できなかった久世を見た。  その目に予想した感傷の色はない。過ぎてしまった時を懐かしむような、優しい眼差しだ。 「大学を出るまでずっと、全てを奪った奴らに復讐してやろうと思ってた。土地と金と法律のことを勉強して、学生時代から株で貯めてた金で、かなり黒に近いグレーな不動産会社を始めたんだが、金が貯まるばかりでつまらなくてなあ……。それでも、何か違うことをしたら母親を裏切るような気がして、できなかった。そんな時だ。月華が会社にやってきた」  神導は、にっこりとしてこう誘ったそうだ。 『僕の力になってくれないかな?』 「あいつは当時まだ十八だ。既に幾つも事業を手掛けていて、俺も名前はよく聞いていた。面白い奴がいるなとは思っていたが、月華の背景は黒すぎる。目的が復讐だったから黒に近い場所にいたとはいえ、俺は本職になりたかったわけじゃない。面倒はごめんだと断ろうとしたんだが……」 『僕はきっと、あなたの欲しいものをあげられるのに』  万里には容易にその時の神導の顔が想像できた。  恐らく、万里を『SILENT BLUE』に誘ったときと同じ表情だろう。  万里の「ああ……」という気持ちが表情に出ていたのか、久世は同意するように肩を竦めた。  神導は、やはり何か悪魔的な存在なのかもしれない。

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