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第2話 ぬいぐるみは眠りにつく

 ニッセが検品作業を終えてこの部屋を去ってもサムはそのままカゴの中に横たわっていた。ぬいぐるみのサムは自分では動けない。  動かない蛍光灯の光が眩しすぎた。  サンタクロースの出発があと一時間と迫る中、クリスマス工場の従業員は一年で一番忙しく走り回っている。  良い子と悪い子リストは一度、二度、三度と確認済み。  プレゼントは一つひとつ丁寧にラッピングされリボンも付いている。  工場の外から、鈴の音色が聞こえトナカイたちも準備に取り掛かっているのだと教えてくれる。  その様子をサムは動かないまま見ていた。いや、見えることは限られていたから”感じていた”と言ったほうが正しいかもしれない。  何が起きているのか半分も理解していなかったサムだが、どちらにせよ自分はこの工場に置いてけぼりだと言うことは理解していた。 「よし、みんな、荷造りの確認は完了したから、この部屋の電気切ったら帰っていいぞ。忘れ物はするなよ、明日は休みだからな。家族と楽しいクリスマスを過ごすんだぞ」  白いひげを揺らして体格の良いおじいさんがそう言った。赤いジャケットに赤いズボン、赤い帽子。上から下まで、赤尽くめのその人は楽しそうに笑う。 「ホーホーホー、メリークリスマス!それじゃあ、私はソリでひと滑りしてくるぞ!」 「サンタさん、無理はしないでくださいね。もう若くないんですから」  もうひとりの声が心配そうにそう言った。 「何を言っとる、わしはまだ現役じゃ!」  騒がしい会話が少しずつ遠ざかっていき、パチンと音とともに部屋の電気が消えた。  サムは、それでもカゴの中に横たわっていた。背中の下にも、頭の横にも、脚の上にも、”出来損ない”のぬいぐるみが横たわっていて虚しさが増す。  このまま、二度とニッセに会えないままゴミとして捨てられるのだろうかとサムは考えた。  辺りが見えないとどうも頭の中の声が大きくなっていくように感じる。 「神様、お願い。なんでもするから、ボクを人間にしてください!」  人間になれば問題が解決するような気がした。ニッセと一度でいいから会話をして、あの青い瞳で見つめられたかった。捨てられる運命ならば、一瞬でいいから同じ人間になりたいとサムは、出るはずのない声をあげて望んだ。 「その願い、叶えてやろう」  サムの三角耳に届いたのは女性の声だった。  黒猫はあるはずのない口から声を漏らした。 「だぁれ?」 「ひとは私を雪の魔女と呼ぶ」 「ゆきのまじょ」 「ああ。お前は人間になりたいのか?」  黒尽くめの魔女は頭にかぶったフードを外すとサムに訪ねた。電気のついていない部屋の中では、魔女の顔も髪もしっかりと見えなかった。サムの目に写ったのは長い黒髪の先に積もっていた雪の結晶だった。 「なりたい。どうしてもなりたい。このまま出来損ないのぬいぐるみとして捨てられたくはない!」 「人間たちは壊れたぬいぐるみを直してくれるだろう?ほう、お前は足の部分がほつれているのか。どれ、そこを直せば気が済むか?」 「だめ!ボクは人間になりたいの!お願いです。まじょさん。あなたなら、ボクを人間することができるんですか?」  わずかに動く右手をサムはピクリと動かした。  これが今精一杯のお願いだ。心のなかでは立ち上がって頭を下げている。それでも、ぬいぐるみのサムの体は思うように動かなかった。 「いいだろう。これをお前へのクリスマスプレゼントとしてやる。ただし、ただで人間になれるわけではないぞ?人間になるには代価が必要になる」 「何でもします!何でもしますから、お願いです!」 「この魔法はどんな魔法より複雑なものだ。人間になるのは簡単だが、人間でいるのは難しい」  雪の魔女が一步二歩とサムとの距離を縮めると、青白い雪の結晶が彼女の動きに合わせて舞っていた。 「人間がお前に恋に落ちなければ、お前は雪となり春が来たら溶けて水となる」 「え、それって」 「特別な人間がいるんだろう?そいつがお前を愛せば、一生人間でいられる」  ニヤリと笑った魔女の唇も青白かった。 「一週間の時間をやる。七日間だ。その間にそいつがお前に恋に落ちない場合は、お前は凍りつき雪となるぞ」 「そ、そんな……」 「難しい選択肢だろう。ぬいぐるみのままでいれば貰い手が見つかり、大切にされる未来も待っているかもしれないぞ。その方が楽だろうな。棚に座って、ベッドで寝っ転がり、たまに腕に抱かれてままごとに巻き込まれて……」  なんて楽な人生なんだ、と魔女は呟き、カゴに寝そべるサムの頬を撫でた。 「それとも、一か八かで人間がお前に恋をするかもしれないチャンスにかけて、雪になり溶けて死ぬ道を選ぶのか……お前次第だ、黒猫よ」 「う……」  短すぎる人生の中で一番難しい選択にサムは迫られていた。 「ぼ、ボク……お願いです!人間にしてください!」  口がないぬいぐるみからこんなに大きな声が出るとは誰も思わなかっただろう。プレゼントを配りにソリに乗ってサンタクロースは旅立ち、工場の従業員たちは皆家路についた。そんな工場でサムの大声を聞いたのは雪の魔女しかいなかった。 「後悔しても知らないぞ」 「こ、後悔なんてしない!」  気持ちは決まっていたが心は恐れていた。何が起きるか分からない未来に綿が詰まったサムの体は強張った。 「いいだろう。黒猫よ、逃げてはならんぞ、と言ってもまだ動けないか…」 「思いっきりやっちゃってください!」 「ふ、ははははっ!その望み、叶えてやろう」  雪の魔女は両手のひらを胸の前で向かい合わせると、サムには理解できない言葉を紡いだ。 「雪の夢を 雪の結晶を 雪の想いを この小さな体に」  黒いマントから青白い右手が差し出された。手のひらには雪の結晶がゆらゆらと揺れていた。 「叶わぬ夢は雪となり水となれ」  一、二、三、と魔女が唱え、白い結晶がチカチカと色を変えた。 「眠れ。次に目覚めたらお前は人間だ」  鋭い冷たさがサムの体を突き刺し、魔女の冷たい手のひらが緑色の目玉ボタンを覆った。サムが覚えているのはここまでだ。その後どうやってこの工場を出たかなんて全く見当もつかなかった。

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