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第1話

 零度を下回った暗い寒空の下、墓石に積もった粉雪を丁寧に払う。こうして毎年墓参りに来るのも十年になる。  スイートピーの花束を添え、線香に火を灯す。このくらいの雪ならば線香が消える心配もないだろう。ビニール袋から冷凍みかんを取り出して半分に割り、墓石の前に割った片方を供える。  手を合わせ、瞳を閉じる。 「──雪を見る度、お前を思い出すんだ」  引っ込み思案で人見知りだった僕は、友達を作るのが苦手だった。いつも一人で家に籠もり、ゲームや読書をしていた。そんな陰気な僕に話しかけてくれたのが、早瀬翔馬だった。  ──掌の冷凍みかんが、失った彼を想い出させる。そうだ、あの日もこんな雪の降る夜だった。      * 「今夜さ、双子座流星群を見に行かない?」  窓の外で適度に凍ったみかんを二つに割り、僕に差し出して彼は云う。  二時間に一本のバスで隣町の学校へ通っていた僕に休日遊ぶ友達なんて当然居らず、いつもひとりだったのだが。数年前に早瀬翔馬が転校してきて状況は一変する。原因は両親の離婚で、ここは翔馬を引き取った母親の地元なのだそうだ。そんなこんなで隣に引っ越してきて、彼は年がら年中絡んでくるようになった。最初は馴れ馴れしくてウザいと思っていたけれど、馴れてしまえば表裏のない気の置けない奴で、煙たがっていた僕の方がバカみたいだった。  そして毎日一緒に山に行ったりゲームをしたりして遊び、いつしか僕は一人ではなくなっていた。しかしそれとこれとは別で、今日の僕は家で冷たくないみかんを食べながらずっと一緒にゴロゴロしていたいのに。 「なんで寒い日に冷たいものを食べるんだよ」  ウチの小島家では普通のおかしを出すのだが、早瀬家へ遊びに行くといつもおやつ感覚で冷凍みかんが手渡されるも、僕は冷凍みかんが苦手だった。理由は単純に冷たいからなので、わざわざ炬燵の中で解凍してから食べるのだ。 「それがいいんだろ。炬燵に冷凍みかんって組み合わせが最高じゃないか」  そう言って翔馬は寝そべり、冷凍みかんに爪を立てる。 「暖まりすぎた身体に調度いいとかそういう感じか? 水風呂みたいな」 「目的が違うよ、冷凍みかんを夏に食べるのは美味しいけど、冬に食べると寒い。でも食べたい。炬燵に入ってでも食べたい」 「要するにみかんが食べたいだけってわけね」 「そういうこと」 「……食ってばっかだなぁ」 「だから星をみようって提案してるじゃんか」 「そこで話題が戻るのか……」 「冬休み集まってテレビ見る以外してないだろ、良も俺もさ」 「……だなぁ」 「じゃあほら、行こう」  なにがじゃあなのか。まぁたまにはいいかと、僕はいそいそと冷凍みかんを口に放り込み、冷たさに炬燵の中へと潜った。 「むり、さむい。冷凍みかん無理、ちべたい……」 「じゃあ俺が食べるよ」  言うや否や翔馬の唇は僕の唇と重なった。無理矢理侵入し、咥内をまさぐる彼の舌はあっと言う間に冷凍みかんを探り当て、略奪していった。 「暖まっただろ?」  理解不能の出来事に頬が紅潮し、思考力が著しく低下する。 「なんで!? なんで奪う! みかん!」  そっちじゃない。そっちじゃないんだ。僕は何を言っているのだろう。いきなりキスをした奇行を咎めるべきだろう。しかし、当の彼はおかしなことは何も無かったかのように、全力で僕を炬燵から引き剥がすムーヴに移っている。 「いーくーぞー! 山登って星見るぞー!」  やり場のない憤りに似た高温の感情のまま炬燵に包まっているのも限界を感じ、ついに僕は折れた。 「わがっだよぉ~……」  いそいそと、まるで一片の納得すらいかないままに情けなくナマケモノ程の速度で上着を羽織ってマフラーを巻き、手袋をした。  時刻は十二月一五日の二十時。マジでこれから山登るのかと、妙な寒気がする。わざわざ登らなくてもいいだろう等と懐中電灯を振り回すウキウキ顔を前に今更また駄々をこねられず、外に出てしまったのならもういっそ歩いていた方がまだ暖かいだろうと渋々登り始める。  登るのはコンクリート舗装すらされていない早瀬家の裏山。そこは雪がどっさり積もった灯り一つないものの、ヒノキや杉の植えられたこの近辺の山は行き慣れている為、高校生二人でも危険は少ないと考えたのだ。 「中腹辺りまで登れば綺麗に見られるかな? 山に囲まれてよくわからんわ」 「そりゃ曇ってるしな……」  僕は溜息混じりにスマホで天気予報を確認する。 「後一時間もしないうちに晴れるってさ」 「折角行くんだ、山のてっぺんから見ようぜ」  登りながら会話は続く。 「嫌だよ、面倒くさい。晴れて見える場所見つけたらそこでいいだろ」  暫く無言の時間が続く。傾斜がキツいのだ。  翔馬は東京から来た癖に、田舎育ちの僕より元気があるのが納得いかない。都会っ子って外で遊ばないんじゃないのか? 僕の目の前をズンズン進んでいく。  そろそろ流星群の見える時間だろうかと、スマホを取り出して見える方向を検索する。  その直後に僕は──足を滑らせた。  頭が真っ白になり、スローモーションで時が流れる。かといって身体は重心が崩れてほぼ宙に浮いているような感覚で、緩やかに落下するスマホを更に緩やかに落下する僕が見るだけだ。底は見えない。枝が上を向いていたら身体に貫通して死んでしまうのだろうか等とぼんやり思っていた瞬間、衝撃が走った。腕に加わった力を軸に落下が止まったのだ。僕のスマホだけが針葉樹の底へと落ちいくのが見えた。視線を向けると、翔馬の手が僕の腕を掴んでくれたのだ。 「びっくりさせんなよ!」 「……ごめん」  翔馬は初めて僕を怒鳴った。  そしてゆっくりと引き上げようと地面を踏み締める。しかし、安心は油断であり、僕を引き上げる為に踏み込んだ足は雪こそ踏むも、地面を踏み締められてはいなかった。落下直後に早瀬は僕を全力で放り上げ、位置は逆転し、その手は放された。  底の見えない、まるで崖のような斜度の淵へ転がり落ちていく翔馬を僕は抜け殻のような心で見ている事しかできなかった。  一体今、何が起きたのだと、落ち掛けた僕の代わりに翔馬が落ちた。そう理解出来た時、転がり落ちる音も聞こえなくなっていた。  怖くなった。恐怖でいっぱいになった。  叫んでも叫んでも翔馬の声は返ってこない。  人を呼んで捜索を出さなければならない。それだけで頭が一杯になり、その場にマフラーを脱ぎ捨て、全速力で家に戻り父と母に告げた。 「翔馬が山から落ちた! 助けて! お願いだ!」  家で大人しくしていろと言われたが、冷静になれる事などできよう筈もなく、外に出ては無力感と焦燥感に吐いて……泣いていた。  発狂の中で山に灯る懐中電灯の明かりが増えていくのを見続けるばかりだった。  場所は告げた記憶がある。落ちた場所にマフラーを目印にしたとも。  けれど、結果は助からなかった。村人総出で捜索したものの、発見まで二時間を超え、ており大人達が駆けつけた時には既に冷たくなっていた。死因は凍死、転落時の骨折が見受けられ、その時意識が落ちたのだろう、捜索の声も僕の声も届かなかったのだ。  僕は再び一人になった。そして誰からも責められる事無く時は流れた。責められない方がキツいというのに。  墓石を見詰め既に手の温度で暖まったみかんの最後の一切れを口へと運んだ。 「あのキスも──冬の冷凍みかんの良さもさ、やっぱ今でもわかんねぇや……」  添え残った半分の冷凍みかんをポケットに仕舞う。重い腰を上げて暗く、山の麓の闇の中にある墓地に踵を返した僕は、暗く深い東京へと立ち去った。

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