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第5話 近衛の少将は出世を望まない

 ――翌日から五日、緋立は勤めを休んだ。  部屋の乱れようを不審がっていた家令も、夜明けと同時に届けられた文で、ただならぬ事態であることを察したらしい。主人の欠勤を咎めようとはしなかった。  届けられた文は、結び目を解かれもせぬまま文箱の中で眠っている。  柔らかな象牙色に銀を品よく散りばめた料紙は、並の身分の貴族に用意できる品ではない。東宮からの文だ。それがわかっているからこそ、緋立は返歌どころか、手に取ることもできずにいた。  結ばれた白い花を見るだけで、あの夜味わった恐怖と絶望に襲われる。緋立は魂が抜けたような様子で、惚けるばかりの日々を過ごしていた。  有能な家令は憔悴しきった様子の主を気遣って、欠勤の知らせを朝廷に送り続けた。初めの日は物忌、次も物忌、その次は方違え、昨日今日は道中で穢れに触れて出仕できぬと偽った。だがそろそろ限界でもある。出世こそが九重家の悲願だというのに、これ以上の欠勤は次の除目にも響きかねない。  考えあぐねて焦燥感を滲ませる隼人の元に、使いが青い顔をして戻ってきたのは昼頃のことだった。――その手には、東宮からの命令書である令旨(りょうじ)が携えられていた。  久しぶりの衣冠束帯を身に着けて、緋立は西の対の屋から庭を見つめていた。  ――昼に使いが持ち帰った令旨には、東宮の手蹟でただ一言『今宵、忍んでゆく』とだけ書かれてあった。  冷水を浴びせられたような心地で正気に返り、緋立は慌ただしく歓待の準備をさせた。と言っても、あまりにも急すぎて十分な調度を揃える時間もない。取り急ぎ酒を用意させ、部屋に高貴の人を迎えるための座を設えさせると、緋立は衣服を改めて東宮の訪れを待った。  涼をとるために格子を上げさせた夜は、ほんの数日前だ。  あれほどしつこかった夏の暑気はこの数日で去りゆき、夕刻にもなれば、空気は秋の気配が濃厚に感じられるようになっていた。  日が沈んで暗くなり始めると同時に、涼しい風が庭を吹き渡る。――その風が奥ゆかしい黒方の薫香を運んできた。 「……今宵は『緋立』なのか?」  共も連れずに姿を現した東宮は、宮中で拝する時と同じ声音で話しかけてきた。  緋立は濡れ縁に深々と平伏して答えた。 「今宵は。あれは明神様の祭日に装う姿でございますゆえ」  堅苦しいことは抜きにせよと命じられ、緋立は伏せていた顔をゆるゆると元に戻した。  宵闇に淡く浮かぶ東宮の顔は、今日は穏やかな笑みを浮かべている。  それを目にしてやっと人心地ついた緋立は、歓待の準備をした部屋の中へと東宮を迎えた。  身分を隠すためにか、今宵の東宮は狩衣姿だ。一段高く畳を敷いた御坐の上に寛いだ様子で足を組む。  文に返答しなかったことと、五日も出仕を怠ったことを叱責されるとばかり思っていたのだが、そのような気配は微塵もなかった。弟のように可愛がってくれた以前と同じ柔らかな雰囲気に勇気を得て、緋立は言葉を発した。 「九重の家は男子短命にて、祭日は女の名と姿で過ごすことになっております。何代も前からのしきたりでございますゆえ、どうぞ御寛恕くださいますよう……」  女装して騙そうとしたわけではない、と緋立は弁明した。 「男子短命か。それは困る」  さして困ったような様子もなく言った後、東宮は緋立を手招きした。  もっと近く、もっと近くと命じられ、いざって近づくうちに膝と膝が触れ合う距離にまで近づいた。不意に、先日の夜の出来事がまざまざと脳裏に浮かび上がる。  緋立を捕らえ抱きすくめた東宮の腕の強さ。頬に触れる吐息と耳を擽る掠れ声、体温で香り立つ黒方の薫香。身を穿つ、高貴の方の御印……。 「あ……!」  腕を取られて、緋立は東宮の膝の上へと倒れ込んだ。冠を奪われ、髪を結ぶ元結を解かれる。豊かな漆黒の髪が肩に乱れかかった。 「長寿を得られるように、私の前でも女姿で居るが良い」 「東宮、様……!?」  頬を撫でた掌が首筋を滑り、袍の襟を緩める。  信じられない思いで見上げた緋立を、東宮はまっすぐに見つめ返した。 「五日も顔を見せぬ其方を、私がどのように想っていたか教えてやろう。――それとも拒むか、緋立」  出来ぬと判り切っていることを東宮は問いかけた。逃げ場などないことを、緋立に思い知らせるように。  緋立は唇を噛むと、促されるまま東宮の前で膝立ちになった。  石帯が外され、下肢を覆い隠した袴の結びが解かれる。羞恥で目の周りが熱くなるのがわかった。 「膝を開きなさい。先日は何も準備がなかったので苦しかったろう」  東宮の言葉が眩暈を誘う。  『先日は』何も準備がなかった。――ならば今宵はどうするというのか。  逆らうこともできず命令通りに膝を開くと、両脚の間に東宮の手が滑り込んだ。  長い袍の裾が隠す腿の狭間を、東宮の指先が肌に触れながら遡っていく。背筋をゾクリと震えが走って、緋立は小さく呻いた。  高貴な人の指が肌の上を滑っていく。何のために――? 先の夜と同じように、己を女として扱うためだ。初めからそのつもりで東宮はここへやってきたのだ。 「東宮様、どうか……」  罰ならば、別の形に――。  そう乞いたかったが、言葉にならない。言葉にならぬ懇願を東宮は黙殺し、指を進めていく。  敏感な内股の肌を粟立たせ、肉の隙間を掻き分けるように奥へと進む。緊張に縮み上がった男の部分を掠めて、指は小さな窄まりへと辿り着いた。あの夜、緋立を『龍田』として破瓜した場所だ。  脇息にしがみついて耐えた痛みを思い出し、怯えて硬く口を噤んだその場所で、東宮の指は宥めるようにゆっくりと円を描いた。 「力を抜きなさい。先日のような乱暴はせぬ」  東宮の指が窄まりを撫でる。円を描いては、竦み上がった入り口に軽く指を埋め、また円を描く。どうやら練り薬を塗りこめているらしく、撫でられた部分にヌルヌルと滑る感触があった。 「……う……」  所在無げに膝立ちになったまま、緋立は袍の袖を握りしめた。  確かにこのような準備があれば、押し入られる痛みは幾分軽くなるだろう。けれど、犯される心の痛みはどうにもならない。女官たちから『近衛府の凍る君』と呼ばれ、数多の貴族から婿がねにと望まれる己が、今から東宮の手で女にされる。武官束帯の下だけを脱いで、逆らうこともならずに夜伽の準備を受けているのだ。子を孕む胎を持ちもせぬのに――。  なんと惨めで恥ずかしい罰だろう。  穏やかな東宮をそこまで怒らせた己が、緋立は悔しく恥ずかしかった。 「どうか……どうか、お許しください……東宮様……」  蚊の鳴くような微かな声で緋立は懇願した。  許しを請う以外に何が出来ようか。だが、東宮の表情は怒りを堪えるように硬く厳しい。許すつもりは毛頭ないのだろう。指の動きは苛立ちを示して、ますます大胆に大きくなった。  練り油を塗した二本の指は、今や油を塗り込めるだけにとどまらず、会陰を撫でながら窄まりを浅く埋めてくる。くすぐったいような、むずむずとした感覚。次第に指は深く埋まってくる。  何度もそれを繰り返されるうちに、緋立の逸物は緩く勃ちあがり始めていた。  東宮の指に尻を弄られると、腹の奥から微かな快感が湧き起こる。罰を受けているはずなのに、油断すると腰が揺れ東宮の指を締め付けてしまいそうになる。気持ちを落ち着かせようと息を吐けば、そこに鼻声が混じりそうになる。  赤い顔を隠すように俯く緋立に、あの夜と同じ掠れた声で東宮が訊ねた。 「受け入れられるか?」  東宮に罰を受け入れよと言われたなら、逆らえるはずもない。  緋立は頷き、姿を変えた逸物を隠すように四つ這いになった。どのような仕置きでも受け入れる以外の選択はない。  東宮を欺いた代償に『妹姫』として伽を務めよと命じられるのならば、それを受け入れるしかなかった。 「ゆくぞ、緋立」 「……ぅ……ぅんっ!……」  あの夜と同じように、東宮の御印が入ってきた。  違うのは、引き裂かれるような痛みの代わりに、一気に奥まで押し入った御印の圧迫感が緋立を苦しめることだった。  油を使って馴らした分だけ結合が深い。それに東宮の動きは初めから荒々しかった。 「……緋立……私の緋立……ッ」  息を整えて馴染ませる暇も与えてくれず、東宮は緋立を責め立てる。  背後から突き上げられ、抑えきれぬ呻き声が腹の底から押し出された。萌しかけていたものは竦み上がり、全身に冷たい汗が滲む。  夜伽がこれほど辛いものとは思いもしなかった。  一族の娘たちは位高く裕福な男を何人も通わせて、九重の家に富をもたらしてくれた。だが同じ役目を己は果たせそうもない。  辛くて苦しくて、今すぐ逃げ出したい。 「……ッ、……ッ、ゥッ……ウッ…………アッ!」  ――もう出世は望まない。だから、一刻も早く終わらせてくれ……!  蹲って呻きを上げながら、緋立は天の高みからこの醜態を眺めているはずの明神に祈った。 「……明日は出仕せずとも良いようにしておく。ゆるりと体を休めよ」  事を終えた東宮は、肥えた月が中空にも昇らぬうちに帰り支度を整えた。宮中を長く不在にするわけにはいかないのだろう。  緋立はあちこち痛む体を起こして、東宮を見送るために立ち上がった。  途中で袍も下襲も脱げてしまい、纏っているのは単衣だけだ。元結が解けているので冠を被ることもできない。  寝屋から抜け出たそのままの姿に却って非礼かと案じたが、階のところまで見送りに出た緋立を、東宮は眩しいものでも見るような目で振り返った。 「もう風が冷たい。見送りは良いから、部屋で温かくするように」  弟を案じるような優しい言葉。  緋立が一瞬虚を突かれた隙に、東宮は掠めるような接吻をして驚かせ、そのまま階を降りて行った。  見送りは良いと言われても、ならばと中に入るわけにもいかない。  後ろ姿が庭の木立に紛れて消えてしまうまで、緋立は夜風に身を晒してその姿を見送っていた。  月は明るく冴え冴えと浮かび、空気は澄み渡っている。鳴り止んでいた虫の音が庭の端から上がり始めて、緋立は踵を返した。  汗をかいた上に薄着で夜風に吹かれたので、すっかり体が冷えてしまった。  こちらには朝まで誰も来るなと言いつけてあるので、東宮の為に用意した酒でも飲んで体を温めるしかない。開け放した格子から部屋の中に戻ろうとした緋立は、虫の音が再び止んだことに気付いてハッと振り返った。  階がある回廊のすぐ下から――。  男が一人、烏帽子の頭を屈めて出てくるところだった。  扇で顔を半分隠してはいるが、並外れた長身と月の光に浮かび上がる狩衣の綾織が、男の素性を緋立に教える。 「……玄馬の、中納言様……」 「やぁ、ご機嫌よう」  腰に響くような低い声で、遊び人と名高い貴公子は優雅に会釈した。

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