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 月曜の放課後。  ホームルームの後にやることがあって、かなり遅れて行ったら、先生がむくれていた。 「遅くなってごめんなさいっ」  ぺこっと頭を下げると、頭の上からうなり声がした。  怒ってる……? と思いきや。 「どうしてメール寄越さなかったの」 「え?」  土曜日に先生の家へお邪魔して、1泊して、日曜の朝に帰って、死んだように寝て、ちょっと小説の続きを書いて、いつもどおり登校して、そしていまに至る。 「せっかく教えたのに。何か来るかなと思って待っていたんだよ。それなのに君ときたら、何も寄越さない。ただ『好き』と2文字打つだけの簡単な作業でしょう」  あっけにとられて、言葉を失ってしまった。  誰だ? 『僕とのことがひとに知れたら君に迷惑がかかる』なんて言っていたのは。 「好きなんて書くの、恥ずかしいです」 「ウブだね」  本音なのか嫌味なのか分からない言葉を言い捨てて、先生はミニ冷蔵庫へ向かった――きょうはいちごパフェらしい。  俺は、スクールバッグからノートを取り出して、ローテーブルに置いた。 「ノート、34冊目に入りました」 「ほう。順調だね」 「それで、きのう、彦星零士の新しい話を少し考えたんです」 「どれ」  向かいに座った先生は、手に取ったノートを10秒で読んだ。 「ふーん、少しひねったの。いいじゃない」  使ったトリックは、シーザー式暗号。  だけどそれは読者をだますミスリードで、実は何もしないのが正しいダイイングメッセージ。  そしてその真実に気づくのは、犯人しかありえない……という筋書きだ。  先生は、大きすぎるひとくちで、パフェを口に放り込む。そして、もぐもぐしながら言った。 「でも、この彦星零士氏の誘導尋問は、少し強引じゃないかい? 犯人はこんな風に答えるかね」 「うーん、ご都合主義すぎますか?」 「そうだなあ。たとえば」  先生がノートを指差して見せてきたので、身を乗り出してのぞき込もうとしたら……ノートをひょいっとよけられて、そのままキスされた。 「っ、な、にするんですか」 「このいちごパフェ、最近食べたコンビニスイーツの中ではかなりおいしいと思うんだけど」 「甘ったるいです」 「なんだ、口に合わなかったか」 「普通に先生の味のキスの方が好きです」  先生は、目をまん丸くしたあと、ノートで軽く頭を叩いた。 「またませたことを」 「メール送らなかったから、ごめんなさいって思って」  先生は、さらにびっくりした表情をしたあと、こらえきれなかったのか、ついにぷっと噴き出した。 「大河……君って子は本当に」 「笑わないでください。付き合うの初めてだから分かんないです。メールいつするとか」  先生はノートをテーブルに置いて、俺の横に座り直した。  そして、息が苦しくなるくらい、ぎゅうぎゅうと抱きしめられる。 「ごめんごめん。僕が悪かったよ。用があるときにくれればいいし、話ならこうして面と向かったほうが気持ちが伝わるね。メールが何通もらえるかなんて、ふたりの仲の深さにちっとも重要じゃない」  抱きしめたまま後頭部をぽんぽんとされて、なんとも言えない幸福感に包まれる。  ……とその時。 ――コンコン 「新葉せんせーい。相談いいですかー?」  扉の向こうから、女子の声。全然元気そう。どう考えても深刻な悩みじゃなくておしゃべり目的……っていうかこの状況はまずい。  俺はだいぶ慌ててジタバタしようとしたけど、先生はすくっと立ち上がって、真顔でパフェのカップのフタを閉じ、そのままシンク横のゴミ箱へフリースロー。  無事捨てられたところでさっさと扉に向かった。  ちょっとだけすき間を開ける。 「ごめんね、予約が16:00まで入っていて」  そうだ、ドアのところに小さなホワイトボードがかかっているはず……と思ったら、壁の時計が16:01だった。 「もう過ぎてまーす」 「え? あらら、気付いてなかった。ごめんごめん。じゃあ、少し待っていてくれるかな。相談中の子の話を切り上げてくるから」  別人格だな、と思う。  一旦ドアを閉めた先生は、俺の胸ぐらを掴んで強引にキスしてきた。 「……っ!?」  先生は耳元で、低くうなる。 「憂さ晴らし。大河との甘い時間と僕のパフェを無駄にした恨み、許すまじ」  盛大に眉間にしわを寄せた先生は、俺のバッグにノートを押し込み、ずんずんとドアの前へ進んだ。  そして大きく扉を開け、女子へさわやかな微笑みを向けたあと、こちらへ振り返った。 「それじゃあ、気をつけて。また相談があったら、いつでも来てね」  新葉薫、華麗なる猫かぶり。 「あ、……はい。ありがとうございました」  女子にあまり見られないように、さっと頭を下げて、うわばきをつっかけて廊下に出た。  後ろから、女子のぶりっこみたいな声が聞こえる。 「友達とけんかしちゃってー」 「それは1対1? それとも、大勢かな」  ちょっと振り返ると、先生はホワイトボードを書き換えながら優しい笑みで問いかけていて、なんか……勝ち誇った気分になった。  優しくてかっこいい新葉先生に強引にキスしてもらえるのなんて、俺だけだから。 <謎③ 英雄の暗号 終>

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