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第1話
エフレムの家で夕飯を戴くのが、当たり前になってきた昨今。
いつものように文句を言いながらも手の込んだ夕飯を用意してくれたエフレムを食卓に残し、ニールは一人、シャワーを浴びていた。
「無駄に広いうえに、風呂まであるなんて贅沢な家だよな」
さすがに湯船に浸かりたいとは言えず、香水のような香りの良い石鹸を泡立てて手で体を手早く洗って汗を流して行く。
もくもくと立ち上がる煙に、肌がしっとりと濡れてゆく。
戦場での暮らしが長いニールにとってお湯で体を洗うなんて贅沢にも程があるが、家主であるエフレムが「かまわない」と言ってくれているうちは、言葉に甘えて思う存分無駄遣いをしてやるつもりだった。
贅沢への対価は、じゅうぶんすぎるほど支払っている。
(最近は、店じゃなくてここでしたがるからな)
やれやれと、肩をすくめてバルブを閉めた。
面倒臭いのか、なにか魂胆があるのかはわからないが、娼館めいた店で寝るよりは、ずっといいのかもしれない。
高級なホテルならいざ知れず、行きずりの男女、または同性が睦み合うような場所はどこも殴れば穴が開いてしまいそうな程に壁が薄い。
声が漏れるのを気にしないでいいだけ、気が楽だった。
(まあ、しないでいるのがずっとずっとマシなんだが)
ふかふかのバスタオルに顔をつっこみ、昼間の陽差しを感じさせる柔らかい匂いを思いっきり嗅いだ。
平和な帝都だからこその清潔感は、やはり心地が良い。
濡れた体と髪を拭いて、いつもの軍服姿に戻る。
さすがに、寝るための服まで持ってきていないので楽な格好にはなれないが、気分は自室にいるような開放感があった。
風呂に入ればすぐに帰るつもりだったが、もう少し一緒にいてやってもいいかもしれない。
「いざとなれば、ぶん殴ってでも逃げればいいしな」
エフレムも軍人だが、ニールと違って戦場には出た経験がないようだった。
たとえ、剣や体術の心得があったとしても、現役で最前線に立つニールには手も足も出ないだろう。
夕食の時に少し口にした酒の勢いもあるが、自覚できていないまま、ニールはエフレムがくだを巻いているであろうリビングへと戻った。
「……なんだよ、寝ているのか」
暖かい部屋に足を踏み入れた直後、聞こえてきた微かな寝息に、ニールはほくそ笑んだ。
共に夜を明かすときは、大抵はげしく抱かれているために、先に意識を落とすのはいつもニールだった。
寝顔にでも悪戯してやろうか。
子供じみた悪戯心に誘われるまま、そろりそろりとエフレムが寝転ぶ大きなソファーへと忍び足で近づいて行く。
「うわ……飲み過ぎだろ、まったく」
ニールがシャワーを浴びている間も、チーズをつまみにワインをたしなんでいたらしい。
読みかけの新聞をブランケット代わりに、エフレムは無防備きわまりない表情で、寝息をたてていた。
眼鏡をかけたまま気持ちよさそうに眠っているエフレムに、悪戯心も吹き飛ばされたようだ。
ニールはやれやれと新聞を取り上げて二つに折り、テーブルに置いた。
「ちょっと褒めたら、これだ。ガキだな」
クリームシチューがあまりにも美味しくて、パンをかじりながら「うまい、うまい」と褒めちぎっていた。
エフレムはよほど嬉しかったのか、おかわりを求めるニールの皿を喜んで取り、お気に入りだと言っていたワインを水のように飲んでいた。酔いつぶれないわけがない。
「偉そうにしている割りには、世話が焼けるおっさんだな」
悪態をおしみなく口ずさみながら、ニールは老眼鏡をそっと引き抜く。
目を覚ますような素振りを一切みせないエフレムに、ニールはしぼんでいた悪戯心が再びふくれあがったのを感じた。
契約とは言え、いつも好き勝手、体を弄られているのは面白くない。
老眼鏡を新聞の上に乗せ、ニールは両膝をついてエフレムの顔を覗き込んだ。
無精髭のおかげで年かさにみえるが、綺麗に剃ってしまえば一回りくらいは若く見えそうな顔をしている。
不満げな表情がないと、子供のようだ。
酒に煙草と偏食。不摂生をしている割りに、肌は綺麗だ。
ニールはエフレムの肩をそっと押して仰向けにさせ、ズボンの留め金に手を伸ばした。
「男がいいってわけじゃないからな、あくまでも……悪戯だ」
問われてもいないし、他に誰かがいるわけでもないのに言い訳をして、ニールはくつろげた前に指を忍ばせる。
当然ながら、何の反応もしていない。
「起きてくれるなよ」胸中で祈りながら、指を絡ませ、下着の上から扱いて行く。
自慰みたいなものだ。おなじ、男同士。
ニールには経験していないが、軍学校では悪戯と称して同性同士で弄り合っていた話も時折耳にする。
「んっ、ん……」
もぞ。と動くエフレムに驚いて手を止めるが、目を覚ましてはいないようだ。ほっと息をついて、ニールは悪戯を再開させた。
男の性器に触るなんて愚行に嫌悪感を覚えていないのは、たんに酔っているからだろう。でなければ、反応を示し始めるエフレムに対して、優越感を覚えるわけがない。
「……ぁ、んっ」
微かに漏れる吐息が、甘くなってゆく。
上気した頬に、快感を訴えるよう睫が震えている。
攻められている立場にあるニールは、いつも一杯一杯でエフレムをしっかりと見ている余裕はなかった。
「ふっ、あっ……あっ」
やり過ぎだと、理性が警鐘を鳴らしているが、手を動かす度にあでやかにほころぶ顔があまりにも妖艶で……目が、離せなくなっていた。
ごくり、と喉が鳴り、ニールは無意識に空いた左手を自身へと伸ばしていた。
「う、うそだろ。なんで、俺」
指にあたる硬い感触に、熱が急激に冷める。いつのまにか張り詰めていた自身の下肢に、呆然とする。
男が良いわけでもない。
まして、相手は要求の代わりに体の関係を強いてきた変態だ。
「酔ったんだ、きっと。俺も、多少は飲んだし」
床にぐったりと座り込んで、ニールは飲みかけのワイングラスを手に取った。
くらっと目眩がしそうな程、濃厚な香り。
自分が暴いたエフレムの淫らな寝姿に、馬鹿なことをしたものだと頭を掻きむしって、ニールは残っていたワインを一気に飲み干した。
今夜も、帰れそうにはない。
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