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第2話 鞍馬 二

「おぉ、気が付いたか---。」 「慧順さま?」  目が覚めた時、牛若丸はとある僧坊の一室にいた。  じっとその目覚めを見守っていたのは、奥の院から貴船側にしばらく降りたあたりに庵を持つ、慧順僧都だった。 「遮那王さまは?」 「奥の院の坊にて、お眠みになっておる。そなたも、今少し、ゆるりとするが良い。------今日はお目覚めにはなるまい。」  慧順は、穏やかな微笑みを牛若丸に向けた。元々は北面の武士であったという慧順は、僧兵達の頭でもある。屈強そのものの体躯とは裏腹に、その眼差しは優しい。 ー人を殺めることが嫌になった。ーと、妻子も地位も捨てたのは、まだ若い時分だったという。 ー倅が五つの頃じゃった。ー  慧順の妻子は、東国の地頭である実父の屋敷に身を寄せているという。 ー平家が幅を利かせている京におるよりは、過ごしやすかろう。ー  源氏の棟梁、源義朝が平氏に討たれ、平清盛が太政大臣になってから、京の都では『平家に非ずば 人に非ず』とまで郞党どもが言いきるほど、その権勢は絶大だが、東国はまだ、源氏の武士達が威勢を保っていた。 「そなたも、いずれは東国に参るのであろうな---。」  優し気に牛若丸の頭を撫でるその手は、大きく温かい。が、その眼差しは、少し淋しげだった。 「慧順さま---。」  牛若丸は、慧順の胸元に頬を寄せた。厚い胸板からは、逞しい男のしっかりとした脈動が聞こえる。平治の乱で父を失った牛若丸には、実父の記憶が無い。おそらくは、慧順のように逞しく優しい男であっただろう、と信じている。 「遮那王さまは、如何がなされるのでしょうか---。」  牛若丸は、ぽつりと呟いた。源氏の棟梁の子---なれど、この世ならぬ異形の者。ずっとこの鞍馬に身を隠してお過ごしになるのだろうか---牛若丸は、遮那王のいわば影武者、遮那王が鞍馬に留まるならば、牛若丸も留まる。 ー僧となって、慧順さまのお側で---。ー  それが細やかな望みだった。 「わからぬ。」  慧順は眉をひそめて、言った。 「あのお方は、人に非ず---。」 「慧順さまも、遮那王さまを鬼と言われますのか?」  魔王殿の闇の中で光を帯びて佇む遮那王の姿を牛若丸は思い起こした。ぞっとするような---だが目を奪われずにはおれない、あまりにも美しい裸身を思い出していた。  牛若丸は、顔かたちすら酷似しているが、体格自体は、今少し男の兆しを得ている。日々の鍛練の甲斐もあり、筋肉もしっかりしてきた。 それを一番微笑ましく見ているのは慧順だった。だが、遮那王の肢体は、あくまでもしなやかで、華奢だ。だが、この世ならぬ俊敏さ、臀力を持っている。 「鬼---やもしれぬ。」 慧順は溜め息混じりに呟いた。 「だが、この鞍馬の魔王尊とて、全き神とも仏とも言い難い、異形の神。---むしろ、そのような存在であろうの。」 「鬼神の申し子---にございまするか。」 慧順は黙って頷いた。  あの異様な瞳、その深く強い光を放つ眼差しは、どんなものも一瞬にして射抜く------まさにこの末法の世を終焉に導くために降ろされた鬼神としか思えなかった。  ふ---と外が騒がしくなった。人の気配、話し声が霊山の静寂を掻き破って、近づいてくる。  二人は息をひそめ、身を強張らせた。 「相国入道さま、お忍びにてお越しにございます。」  若い使いの僧が、つんのめるように告げにきた。その面差しは緊張でひきつり、真っ青だった。 「遮那王さまに御対面を求めておいでにございます---」

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