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第5話 相国入道 平清盛 三
「また、参る。」
清盛はひとしきり遮那王を味わい尽くすと、むくりと身を起こし、身繕いを整え始めた。傍らにはしどけなく裸身を冷たい床に横たえた遮那王が僅かに顔を上げてこちらを伺っていた。
「安心いたせ。殺しはせぬ。------儂は懐の深い男じゃ。そなたが素直に従うておるなら------悪いようにはせぬ。」
身を屈め、口づけを落とし、金色の人ならぬ瞳を覗き込む。
「魔性は人には飼えぬものぞ。」
形の良い唇が冷やかな笑みを浮かべて、返した。
「どうかの---。」
清盛は口の端を歪めてニヤリ------と笑った。
「少なくとも、捨てられたとは言え、母は母。詮ない暮らしはさせとうあるまい。」
あの女か、と遮那王はちら------と思った。魔物じゃとて、彼をこの山に捨てながら、最もらしい文やら衣やらを時折届けてきた。
おそらくは、屋敷の誰かに見咎められ、問い質されたのであろう。
ー弱いのぅ。---ー
元々が側室であったとは言え、その美貌に目をつけた清盛に迫られるとあっさりと側女に収まった。尤も、子らの生命と引き換え、となれば拒む余地も無かったのかもしれない。遮那王には、同じ母の腹から産まれた二人の兄がいる。自分はともかく、二人の兄は愛しいのだろう-------と遮那王は思った。
「常磐は、一条に嫁がせる。」
ぴくり---と遮那王の眉が動いた。
「時子が嫌うておるゆえの---。」
時子、というのは清盛の正妻である。折目正しい、武家の娘という。理由はともあれ夫の敵に囲われる女など、穢(けが)らわしい---というわけか。
ゆらりと、遮那王が身を起こした。射干玉(ぬばたま)の髪がさらりと肩から零れた。
「我れは母の身代わりというわけか。」
皮肉な笑みが口許に浮かぶ。清盛はその顎に手を掛け、親指をするりと頬に滑らせた。
「違う。------常磐は、普通の女(おなご)じゃ。そなたは---。」
ふっ----と唇が重ねられた。
「間違 うこと無き魔性よ。さればこそ、儂自らが御さねばならぬ。」
「御せると思うてか?」
上目遣いに清盛を見上げる遮那王。
その髪を指に絡めながら、清盛は嘯いた。
「儂に御せぬのは、鴨川の水だけよ。」
ふん---と笑って、清盛は遮那王の細い腰を抱き寄せた。
「魔性とはいえ、そなたは童っぱ。大人しゅう可愛らしゅう、儂の下で啼いておれ。そなたの、あの愚かな兄の真似事はいたすな。」
愚かな---というのは、長兄、頼朝のこと。先の戦いで父とともに戦い、敗れ、今は一命を助けられ、伊豆に配流となっていた。
「そなたは、俗に降りるわけにもゆかぬであろうからのぅ---。」
高らかに哄笑して、清盛は後ろ手に扉を閉めた。くん---と鼻を鳴らすと、山梔子の香に似た、なんとも甘い残り香が触れた肌から立ち昇る。
ー想像以上の代物であったわ。ー
ひとりでに口許が緩む。美貌で知られた常磐御前の血を引くなれば、さぞや---と思ってはいたが、遥かに妖艶で美しく、淫らであった。絡めた細い腕や脚の吸い付くような感触にゾクリとした。そして、その肉体は、未だかつて味わったことの無い美味であった。
ー常磐など、いやその辺の女(おなご)とは比べ物にならん。ー
つい我れを忘れて貪ってしまった。陽がだいぶ傾いてきている
清盛は着物の襟を糺しながら、ゆるりと坂を下った。既に霧は薄くなり、先程までの妖しげな気配は徐々に薄らいでいた。清盛は上機嫌で、山を降りた。
一方で、清盛が立ち去るのを確かめて、牛若丸が堂内に駆け込んだ。
「遮那王さま---!」
「無事じゃ。慌てるな。」
遮那王は、帷子に袖を通しながら、青ざめ血の気を失った牛若丸の面につい------と指を触れた。その肌には、胸と言わず腹と言わず、鮮やかな紅い花弁 が乱れ咲いていた。
「遮那王---さま---。」
思わず、目を見開き、言葉を失う牛若丸に、金色の眼 が婉然と微笑んだ。
「我が贄の味見をしておっただけじゃ。大事ない。」
くっくっくっ---と愉しげな笑いが、遮那王の喉から漏れた。
牛若丸は、背筋を冷たいものが流れるのを感じた。
ー傲れるものは、久しからず---。ー
牛若丸は、声にならぬ呟きをひそと洩らした。
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