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第9話 邂逅 二

「ここだ...」  弁慶と名乗る男が遮那王を案内したのは、鴨の河原にほど近い岩穴だった。周辺にたむろするのは、乞食、物乞、遊女に盗人紛いの野武士ども......都の闇に巣食う陰そのものだった。 「お前の手下か?」  遮那王は、ギラついた眼差しで此の方を伺う餓鬼の如き眼達を一瞥して、問うた。 「違う。俺には手下などおらぬ」 「そうか...」  美しい稚児姿の被衣の裡からちらりと目線を投げると、皆、一様に後退り、蜘蛛の子を散らすように逃げ失せた。 ―魔物じゃ......寒気がした。― ―美しい容姿(なり)はしとるが、ありゃあ人ではない。人外じゃ.....ワシにはわかる―  ぼろぼろの身形の乞食坊主が、唯一の財産である数珠を握りしめ、何やら印を結んで、遮那王に向かって突き出すが、法力などとうに失せた破戒坊主のこと、遮那王は鼻先で小さく笑って、弁慶について窟に入った。  中には、岩肌の上に数本の灯明が置かれ、辛うじてそのか細い光を保っていた。 「春とは言え、冷える。火を起こすゆえ、しばし待て」  弁慶は、窟の中ほどに設えた炉のような場所に座り込み、埋み火を掘り起こし、枯れ枝を放り込んだ。  程なくして勢い良く燃え始めた炎が照らし出した窟内には、この男が集めたらしい刀が無造作に積まれ、その後ろには明王らしき姿が憤怒に満ちて描かれていた。 「これは、お前が描いたのか?」  尋ねる遮那王に、弁慶は短く答えた。 「そうだ」 「なるほど......」  不動明王のようにも見える、が、両面宿禰のようにも、三面大黒にも見える。 「アラハバキ......か」  遮那王は口の中で呟き、男に湯で身を拭うように言った。 「汚れていては、よく見えぬ」 「小うるさい童っぱじゃ.....」  ボヤきながら、僧衣を脱ぎ捨て、鎖帷子を外した。  全裸になった肉体を湯に浸した荒布で拭うと、赤銅色に照る肌が露になった。金剛力士もかくやと思う見事な肉付き―密かにどれだけ鍛え上げておるのか、と遮那王は内心、舌を巻いた。  仁王立ちすれば、全身から雄の気が立ち昇る。肩も脛も腕も隆々として、柳腰の公卿どもの目にはまさに『鬼』にも見えよう程の凄まじき肢体に、見惚れずにはおれなかった。 「で、どこを見せろと?」  弁慶は、下履きまで外した姿でどっかと胡座を掻いた。  炉越しに、明々と燃える炎を挟んで、遮那王は男の裸体を凝視した。  腹から胸へと立ち昇る火炎の如き妖紋....。  無論、弁慶自身にも見えてはいない。この世ならぬ、遮那王の眼であればこそ見える弁慶の『血』の中に潜む『鬼』の証だ。 「背中も見せてくれ...」  遮那王の言葉に、弁慶はくるりと後ろを向く。弁慶のその背中から後頭部にはくっきりと黒い呪の符が浮き出ていた。 ―これは......―  遮那王は言葉を呑んだ。この符が弁慶を鬼にしていたかと思っていたが、まったくの思い違いだった。むしろ、鬼の『気』を抑えんがために彫られていたのだ。 「これはいつ彫られたのだ?」  遮那王は、張りのある背に指を走らせながら訊いた。 「赤子のころだ、覚えておらん」 「あの絵は?」  遮那王の指差す先には、あの明王の絵があった。 「夢枕に立った仏だ。何故訊く?」 「頭に切りつけられた後か?それとも......」 「後だ」 ―やはりな......―  背中に彫られていた符が傷を受けたことで呪力を失った。そして.... ―こやつの血の中に眠っていたモノが目覚めたか......― 「弁慶」 「ん、なんだ?」 「お前の出は何処じゃ?この辺りではあるまい?」 「親は早く死んだ。よくわからんが、北の果てじゃと聞いた。奴婢だったのを逃げてきたというた」 「やはりな.....」  何がを得心したらしい遮那王は、向き直った弁慶の顔をじっと見た。 「お前の正体は解った。だが、道をつけるには今少し、お前を知らねばならぬ」 「道をつけるだと?.....俺を知る?....どうやって?」 「こうするのじゃ......」  遮那王は、そっと弁慶の唇に自らのそれを重ねた。 「我れと交合え。......そなたの精を与えよ。我れはそこからそなたの血を辿る」  金色の瞳が弁慶の漆黒の闇の如き瞳を見つめた。 「交合うなど......そのような.....」  しなやかな指に剥き出しの雄をやんわりと撫でられて、弁慶は思わず身動いだ。冷たいその指先が弁慶の奥津域の熱を呼び起こし始めていた。 「怖いのか?.....」  紅すぎる唇ににんまりと笑われて、弁慶の中で、ふつりと何かが切れた。 「怖くなどあるものか.....」  言って、自ら目の前に開かれた遮那王の唇に吸い付いた。甘く柔らかいそれに啄むように口づけを誘われて、もはや弁慶の理性は霧散して、留めようも無かった。  遮那王の薄衣を剥ぎ取り、その細い肢体を自らの下に組み敷いた。 「悔やむまいぞ......」  息を荒げる弁慶の視線の先で、遮那王の面が艶然と微笑んだ。白い腕が弁慶の頬に触れ、その背を抱き寄せた......。

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