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 スマホを家に忘れてるから、今日こそ取りに行きたい。 っていうか熱も下がったし帰らせて。  テレビのある部屋(リビングかな?)で一日中仏頂面をしていた俺は、紙袋を大量に持って大学から帰ってきた、眼鏡姿の和彦にそう言ってみた。  何不自由ない軟禁生活から二日が経とうとしている。  もう大丈夫だって言ってんのに、「まだ鼻声ですよ」と譲らない和彦に押し切られ、毎晩十九時頃に部屋を訪れる後藤さんからも説得されて、俺は渋々言う事を聞いた。  処方された三日分の薬を飲み切るまでは安静にして、と。  こんな危険な狼の家で、安静になんか出来るわけないじゃん。  グッスリ寝ちゃった事は都合良く頭から抜け落ち、いくらか軽くなった体で俺は脱走を試みた。  卵がゆを食べた昨日の朝の事だ。  抜け出してしまえと、俺は大学へ行った和彦の目を盗んで部屋を出てみたものの、たった一分でベッドに舞い戻ったのは廊下で年輩のメイドさんが俺を見張ってたから。  無表情で「何かご入用ですか」と問われて、怖かったのなんの……。 「いいですけど、僕も行きますよ」 「見送りは要らないんだけど」 「………とにかく一緒に行きます。 …あ、僕だけど。 後藤さん、そのままそこに待機してて」  俺用の部屋着をどっさり買い込んで帰ってきたらしい和彦には悪いけど、もうここに用はないから帰らせてもらうよ。  ほんの少しだけの感謝を伝えて、あとはバイバイするんだから。  和彦を大学からここへ送った後藤さんは、まだ玄関前に居た。  スーツ姿の温和そうな後藤さんが車の後部座席のドアを開けると、靴だけは与えてくれない和彦からお姫様抱っこされたまま、俺も車に乗り込んだ。  和彦は俺を膝の上に乗せて、また、テディベア。  下ろせとジタバタしても無駄なのは分かってるから、諦めるというより脱力してジッとしておいた。 「……ふぁ………」  流れるように走る高級車の車内は無音で、背後で欠伸をした和彦の吐息が妙に響く。  ほとんど寝てないらしい和彦は、俺の不安や苛立ちをよそに、この二日は狼に変身しないでいてくれた。  たまに会話がチグハグな時もあるけど、基本は俺の快復を一番に考えてくれてるのを感じて……意外だった。  ───嫌いだって気持ちも、許せないって思いも揺らいではいない。  ただ、初日以外は頭やほっぺたを撫でてくるだけで、そのあと変な事は一つもしてこなかった。  口移しのポカリも、背中のちゅっちゅも、当然無い。  シャワーを浴びてベッドに戻った時は和彦の頭から狼の耳が見えた気がしたけど、それでも手は出してこなかった。  俺の意見なんか無視した、二度目のガオーッを恐れていたのに、それは余計な心配だった。  同じ布団で眠る事はなく、ベッド脇に一人がけソファを置いて、和彦は丸二晩そこに陣取った。  意識して、俺と一線を引いててくれた気がする。  寝ずに看病してくれた事も、襲ってこなかった事も、和彦を変な奴認定したばっかりだから予想外もいいとこだ。  ───いや、けどこれは…良い事だよな。  このまま家に帰ることが出来たら、和彦との繋がりもなくなる。  そうなれば俺の初めてを奪った和彦の事なんか、早々に跡形もなく忘れてやるんだ。  狼に噛まれたと思って忘れる、そう決めただろ。 「ねぇ七海さん、僕…お姫様抱っこしたいので、靴渡さなくてもいいですよね?」 「え、靴あるならちょうだい」 「……どうしても?」 「どうしても! もう和彦の家には戻らないんだから、買い取るよ。 靴ってどれ?」  何だよ、用意してくれてたんじゃん。  和彦に背後から抱かれた状態で後部座席をキョロキョロしてみたけど、それらしきものは見当たらない。  俺のワンルームのお城が目の前にあるんだから、早く靴貰って帰りたいんだけど。  ………なかなか腕を離してくれない。 「七海さん、本気で言ってるんですか? 家に帰るって」 「当たり前だろ、俺の家なんだから。 あ、でも、看病してくれたのはありがとう。 お医者さんに診せてくれて、薬を貰ってくれた事も、ご飯食べさせてくれた事も、えっと…シャワーとかベッドとか貸してくれた事も、不本意だけどありがとう」 「……そんな…そんな事はいいんです。 僕が好きでした事。 それより……お家に帰るなんて…心配です。 これ以上ないほど心配です」 「何が心配なんだよ? 訳分かんないな」  拉致った日からずっと「心配だ」と言ってくる和彦は、眉を顰めて俺をギュッと抱き締めてきた。  そんな事言われても、地元から離れてこっちに来てから三年以上も何事もなく住んでる家だ。  何が心配なんだよ。 理由を言えっての。 「和彦様、あの方は…」  運転席から俺の自宅を指差した後藤さんの視線の先を追うと、和彦と俺は同時に「あっ」と声を上げた。 「九条君!」 「あの男…」 「和彦、下ろして! 俺九条君に謝らないと!」 「謝る?」 「いいから下ろせって!」 「………分かりました」  俺の自宅玄関前には、扉を背に凭れてスマホをいじってる九条君が居た。

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