41 / 200

高鳴り ─和彦─

 金曜は少し飲み過ぎた。  四人の女性からの夜の誘いを断って最後までパーティーの場に居たら、いつの間にかお酒がどんどん進んでいて帰る頃にはベロベロになってしまった。  二十歳になりたてでお酒を飲みつけないせいで、まだ僕は弱くはないけど強くもない。  おかげで翌日は二日酔いに悩まされて、ずっとベッドの住人だった。  日曜の夜は、堅物で言葉少なな両親と食事をしながら、大学生活についてや仕事に関する話をいくつかした。  七海さんの事を知る前の休日と同じ過ごした方をしたのに、忘れたくても忘れられない七海さんの姿が脳裏に浮かんで、食事の味もほとんど分からなかった。  離れてから三日、七海さんと遭遇したのはあの自販機の前でだけ。  学年も学部も違うとそうそう会わないからこそ、僕は七海さんの事を今まで知らなかった。  あんなに目立つ外見をしているのに、僕が誰にも興味を抱かなかったせいでその存在を見落としていた。  人間なんて所詮……と達観していたそんな僕の心を、たった数時間で奪っていくなんて、七海さんは本当に魔性の男だ。  ───こう思ったの、もう何度目だろう…。  忘れなければと七海さんの自宅を出てからも、日に日に想いは募るばかり。  僕の中に潜んでいた恐ろしいほどの独占欲に後悔しながら、間違いなく芽生えた恋にも胸を傷めた。  あんな出会い方をしなければ、もう少し違う形で七海さんの傍に居られたかもしれない。  恋をしてみたいという七海さんの本音を、こんなに心苦しく聞く事はなかったかもしれない。  ───勝手だよ、本当に。  自分が嫌になる。  僕が奪った七海さんの「初めて」は、七海さんにとっては特別だった。  性的嗜好に悩んでいた七海さんが、普通の「恋」をしてみたいと一心に夢描き、大事にその貞操を守っていたと言うんだから。  好きだと思える人に巡り会い、普通に恋をして、普通に惹かれ合い、普通に仲を深めていく。  そしてその先に待つ胸踊るような初体験を、七海さんは渇望していた。  それなのに。  現実は、初対面でよく知りもしない男に寝ている間に挿入されて、「初なフリがうまい」と意地悪に囁かれながらの、したくもない初体験を僕が経験させてしまった。  なんて罪深いんだ……僕は。 「……リリくん。 元気になったらって約束してたのに、紹介出来なかったね…」    僕の体を駆け上がり、肩に乗って鼻先でほっぺたをツンツンしてくるペットのシマリス、リリくん。  手のひらを出すと、その上にちょんと飛び乗ってお座りするお利口さん。 「ひまわりの種たくさん貰ったの? ちゃんとお水飲まなきゃダメだよ?」  頬袋が膨らんでるから、そこにはリリくんのごはんがたっぷり詰め込まれてるんだ。  人差し指でリリくんの頭を撫でると、大きな瞳で僕の事をジッと見る。 「あぁ…リリくん見てたら七海さんに会いたくなっちゃうよ……」  出会った時から思っていたけれど、こうして見ると本当に七海さんはシマリスに似ている。  七海さんがリリくんを肩に乗せて、二人で僕の事をキョトン顔で見てくれたら最高だなって素敵な妄想を膨らませていた。  風邪が治ったら、七海さんにもこの人懐っこいリリくんを紹介したかったけれど、それはもう叶わない。  手のひらの上で僕の指先を握って遊ぶリリくんを眺めていると、心がムズムズしてくる。  ……会いたい。 …どんな罵声でもいいから、声が聞きたい。  そう簡単には忘れられないけれど、七海さんの中で僕への憎しみや恨みがある以上は、好意を伝えても不愉快にさせるだけだ。  謝っても謝っても僕の罪と後悔は消えないし、七海さんの落胆と行き場のない憤りを増幅させて思い出させてしまっても悪い。  離れる事が最善の策だ。 「リリくん、今日の部屋んぽはおしまいだよ。 お家に帰ろうね」  僕の手のひらの上でウトウトし始めたリリくんを、そっとケージに戻す。  眠たくなったリリくんはのんびりとした足取りで寝床に向かい、尻尾を抱えて丸くなって二秒で眠りについた。  リリくんの部屋散歩は、僕はたまにしか付き合えない。  お世話は使用人の人達が交代でしてくれているけど、そんなたまにしか会えない僕にも飛び跳ねて喜んで肩に乗ってくるから、可愛くてしょうがない。 「おやすみ、また明日ね」  リリくんを起こさないように、ゆっくりと戸を締める。  一番奥の寝室まで続き扉四枚分を越えて、やっとベッドに入った。  瞳を閉じると、さっそく七海さんの寝顔が思い浮かび、僕の自責の念を刺激する。  僕達はまだ、出会って一週間ほどしか経たない。  七海さんの中で、あの行為を記憶から消し去る事は無理でも、少しずつ忘れていく事は出来る。  僕との最悪な出会いなんか、丸ごと忘れてくれたらいい。  一日も早く、最低な僕の事なんか忘れてほしい。  僕はこれ以上、どうしようも出来ないんだから。  夜毎七海さんを想いながら、己の罪の意識に苛まれている僕を嘲笑ってくれていい。  それで気が晴れるのならば、忘れる事に拍車をかけられるのであれば、僕はどんな事だって耐えられる。  ───七海さんのためなら、初恋を殺す事だって出来る。

ともだちにシェアしよう!