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 目が合った瞬間、いきなりドアを開けられて転がり落ちそうになったところを抱き留められる。  そこに居たのは、相変わらずビシッとキマったスーツ姿の和彦だった。 「七海さん、僕に嘘を吐きましたね?」 「い、いや、っ……これには理由が……!」  ただでさえ急にストーカーが現れて嫌なドキドキを味わってたのに、さらなるドキドキが俺を襲った。  和彦に抱き寄せられて無理やり車から降ろされた俺は、見た事もないほど無表情で冷たい顔をした和彦に見下ろされて声がひっくり返る。  ───う、嘘吐いたのは悪かったけど、そんな顔される筋合いはないよ! 「あのっ、……あの、バイト、急に入っちゃって! 和彦は今日食事会って言ってたし、俺がバイトだって分かったら食事会ほったらかして送迎するって言い出すと思ったんだ! お、俺にとっては吐いてもいい嘘だったんだよ!」 「僕に吐いていい嘘なんてありませんよ。 これは誰の車ですか?」 「へっ!? あ、え、あの……あの……」 「七海さん。 僕は怒っています」 「おこっ……怒って……? そんな怒んなくてもいいじゃん! バイトの穴埋めなんてよくある事だ……」 「この車は誰のものですかと聞いているんです」  こ、こここ怖い……!  ほんとに、こんなに感情が見えない和彦は初めてで、めちゃくちゃ怖い。  嘘吐いちゃいけないって幼稚園児でも知ってる事だけど、大人には事情ってもんがあるだろっ。  深夜バイトを許してくれてたんなら、もし和彦にこの嘘がバレても「穴埋めに行ったんですか、大変でしたね、お疲れ様です」なんて言いながら穏やかに笑ってくれると思ってた。  それが何……? 顔も声も冷たくて、とても直視できない。 「おーい七海、こいつ興味深い事言いやがったぞー」  視線を彷徨わせていると、向こうから九条君がストーカーを引き摺って戻って来るのが見えた。  当然、九条君の声は和彦の耳にも届いたらしく、彼の纏っていた冷たい雰囲気が一気に氷点下にまで下がる。  車内はキンキンで寒かったけど、外は蒸し蒸しして汗ばんでもおかしくないのに、俺はずっと寒かった。  ───凍えそうなくらい。 「……九条さん? この車、九条さんのものなんですか?」 「あ、…………うん」 「九条さんと二人きりで会わないで下さいって、僕言いましたよね? 嘘を吐いた上に約束まで破ったんですか?」 「そんな約束した覚えない! てかなんでみんな俺を怒るんだよ! 俺そんなに悪い事した!?」 「しました」 「なっ……!?」 「おい、こんな往来で何を言い争ってんだよ。 夜中だからでけぇ声出すな、七海」  ストーカーを引き摺って戻って来た九条君にも、怒られた。  なんだよ、なんだよ。 二人して俺を責めやがって。  ムッとして言い返そうにも、近くで見たストーカー野郎があまりに気持ち悪くて、俺は素早く和彦の背中に逃げた。  九条君に両手首を拘束され、口の中に布を突っ込まれて俺をジト……と見てくる視線はやっぱり異常だ。 「こんばんは、九条さん。 ……おや、あなたは」 「コイツが七海のストーカーなんだろ?」 「そうですね。 七海さんのバイト先まで来ていたんですか」 「そうそう。 しかも面白え話聞いちまった」 「……ぐっ……!」 「なんですか?」  九条君を前にしてもやけに冷静な和彦が、ストーカーの顔を確認しようと顔を覗き込むと奴はハッと目を見開いて逃げようとした。  そのせいで、拘束された手首を九条君に捻り上げられている。 「七海の噂あったじゃん。 あれコイツが回してるっぽい」 「……うぐっ……うぐっ…!」 「え!? こいつが……!? ……最低!!」  マジかよ! こいつが噂の出どころなのか!?  半分以上嘘で固めたあの噂のおかげで、俺の人生のレールは急激に進路を変えさせられた。  和彦と出会った事も、「恋」を知る前に「初めて」を奪われた事も、生活を激変せざるを得なくなったのも、全部コイツが原因じゃん……!  一発ぶん殴ってやりたいけど、触りたくない。 それに、殴ったところで済んでしまった事は元には戻せない。  とりあえず一睨みだけしてみると、見つめ返された。  口に含まれた布から、吸いきれなくなった奴の唾液が垂れ落ちる。  ───き、気持ち悪い……っ。 「ハンカチ詰め込み過ぎなんですよ。 汚い」 「こうしとかねぇと叫びやがるんだよ。 七海、コイツどうする?」 「ど、どうするって……」 「……おかしいですね。 僕はあなたに忠告したはずですが。 次、七海さんに近付いたらあなたのご家族諸とも地獄を見ますよと」 「……うぐっ、うぐっ……!」 「理解して頂けなかったようなので、早速動きますからそのつもりで。 ……さて七海さん、ハイヤー待たせてあるので、帰りますよ」 「ちょっと待ってってば! そいつはどうなってもいいけど、帰るのは無理! てかヤバっ休憩時間十分もオーバーしてる!」 「仕事に戻るというんですか? 僕がこんなに怒っているのに?」 「仕事だから! 和彦酒飲んでるんなら帰ってていいよ、元々今日は自分で帰るつもりだったんだし。 話はバイト終わってからにして!」  和彦にそう捲し立てると、冷たい顔が少しだけ和んだ気がした。  嘘を吐いた事なら後からいくらでも謝る。  理由あっての事だし、堂々と正当な弁解をしたあと、和彦からも俺に謝ってもらわなきゃ。  あんな冷たい顔を俺に見せるなんて、「許せない」よ。 「…………ここで怒りを抑えれば、僕は優しいって事になりますか?」 「はっ!? ……ま、まぁ、……なるんじゃない? ねぇ?」 「いや、痴話喧嘩に俺を巻き込むなよ。 とりあえずコイツを交番に解き放って俺は帰るわ。 七海、また連絡すっから。 次は拒否るなよ」  九条君は足取りの重いストーカーを引き摺って、歩いてすぐの交番へ向かって行った。  この状況下で振り返ってまで見てくる奴の視線は、どうしても粘着質で怖くて、俺は嫌なドキドキを抱えて和彦のスーツの袖をギュッと握った。

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