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 好きな人の前で欲情したら、それを止められる人なんてきっと居ない。  無限に湧き続けて止まらない愛おしさに歯止めを効かせる事が出来るのだとしたら、その気持ちは大嘘だと思う。  男だから止められないんじゃない。  誰でもいいわけじゃない。  もう四日も七海さんの体を愛せていないから、色の変わった柔らかな髪に触れただけで、その指先から愛情が漏れ出している。  絶対に何かあると分かっているのに、下手くそな言い訳と素敵な妄想案をくれた七海さんが、恋しくて憎らしくて愛おしくてたまらない。  たとえどんな理由があったとしても、僕に隠し事なんかしないで。  七海さんが何を思っているのか、会社で一体何をされているのか、あるいは見ているのか、僕にだけは全部教えて。  すべて知っていたいと言ったはずだ。  七海さんしか居ないんだから。 僕には。  諦めて避けてきた様々なものも、これから先二度と「後悔」しないためにも、リストアップされたいくつもの短所を長所に変えてみせる。  情けないって言われるかもしれない。  そんなの自分ひとりでやれよって、僕を知らない他人はそう言うのかもしれない。  でも僕は七海さんに頼るしかないんだ。  これだけは偶然、いや運命と呼ぶに相応しい縁で惹かれ合った七海さんに、これから先も導いてもらわなければ僕はもう生きていけない。  七海さんにもそうであってほしいんだよ。  僕じゃ力になれないなんて思わないでほしい。 僕は七海さんのためならどんな事だってする。  幸せも喜びも共有し合うなら、ツラい事も悩みも分かち合わなきゃ愛し合っているとは言えないよね。   「ちょ、和彦……マジで何を……っ」    僕は、暴れようとする七海さんの腹に乗って、計測のために両手でその細い首を持ってみた。  両手だと余り過ぎて測れないから、片手だけに変えてもう一度持った。  すると七海さんは抵抗をやめて、怯えた目で僕を見上げてくる。 「……っ暴走……始まったのか……?」 「…………?」 「とうとう息の根止める気……?」 「えっ!? そんな事しないですよ!」 「だって俺の首を……!」  やめろよ……と呟いて、首に手を掛ける僕の手首を掴んだ七海さんは、まだ怯えた目をしていた。  暴走なんてしていないよ。 七海さんが恐れるそれは、僕が一番望まない事だ。  というか、とうとうって……僕ならやりそうだと思ったのかな。 「違いますよ。 首周り計測させてくださいって言ったじゃないですか。 鈴付きの首輪、用意したくて」 「そんなもの用意してどうするんだ! 俺は着けないからなっ? 絶対に嫌だからなっ?」 「…………どうしても?」 「どうしても!」  目尻を上げての本気の拒絶に、渋々と七海さんの首から手を退けて鎖骨を撫でた。  ……そんなに嫌なら仕方がない。  七海さんの言う暴走にまで至っていない僕の精神状態は、無理強いして嫌われる事の方を恐れた。 「……首輪は涙をのんで諦めます。 そのかわり、話してください。 七海さんはバイト初日に「気が晴れた」と言ったでしょう? あの台詞と今日の事が繋がるのなら、話してください。 僕に、嘘と隠し事は……しないでほしい。 頼りないかもしれませんが、僕は七海さんの力になりたいんです」  七海さんの怯えと僕の欲情の波が、自然と落ち着いてきたのが分かる。  見詰め合っていると、Tシャツをびしょびしょにして地下に現れた七海さんが脳裏によぎって、心が締め付けられた。  欲のまま動いても、結局抱いてしまえばあっという間に朝がくる。  時間が経てば経つほど聞き出すのが難しくなる事は身を持って知っているから、僕は七海さんの腹から退いてベッドに腰掛けた。  首に手を掛けられた衝撃からなのか七海さんの眠気も飛んでいるようだし、話がしたくて上体を抱いて起こしてみると、おとなしくベッドにちょこんと座った。  今は、鈴付きの首輪よりも、溢れ出しそうだった欲望によるセックスよりも、七海さんの不安事を解消してあげたい気持ちが優先した。  ベッドの上で、向かい合って座る。  そして───。  僕の足の間に自分から寄って来て、無邪気にこてんと身を預けてくるなんて……ちょっとだけ反則な気もするけれど。 「明日……金持ちパーティーあるって言ってたよな……?」 「えっ、金持ちパーティー? ……あぁ、今週は幹部の交流会ですね。 九月の中期決算前なので」  社長の息子として僕も出席する明日の交流会は、外部参加者がいない為パーティーというほど広い会場では行われない。  一般的な中会議室ほどの広さの、老舗料亭の個室を貸し切っている。  毎週毎週、規模の大きなものから明日のような小さなものまで、父は本当によくやるよ。  それがどうしたの、と問うより先に、七海さんはじわっと顔を上げて思いがけない事を口にする。 「それって、俺……潜り込めたりしない? ウエイターとか……それもだめならパーティー会場の雑用係でもいいんだけど……」 「どういう事なんですか? 潜り込むって……」 「俺、見ちゃったんだ。 誰にも言うなって目で言われたんだけど……」 「目で言われた? 何を見たんですか?」 「俺、俺、……見ちゃったからには何とかしてあげたいんだ。 公になって色んな人にバレたら松田さんも社内に居辛くなるだろうし、だから何も言わないで我慢してると思うんだ……!」  ───やはり七海さんは何かを目撃し、誰かに口止めされているんだ。  切羽詰まったように息巻く七海さんの背中をゆっくりと撫でて、全容の分からない話の中身をさらに突き詰めていく。  僕の七海さんと視線を合わせ、語り掛け、何かを封じようとしたその人物が、例えば愛想笑いと口のうまい僕の苦手とする人種であっても、決して許しはしない。

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