俺が付けた二つの痕を、和彦はわざわざシルクガウンを花魁みたいにはだけさせて嬉しそうに撫でている。 　まるで子どもが新しいおもちゃを前にして無邪気に喜んでいるかのような瞳で、喜びを顕にしていた。 「……まだ寝ないのか？」 「あ、いえ……寝ますよ。　嬉しくてつい」 　ほんとに食い尽くされてグッタリな俺は、翌朝七時にようやく解放された。 　合間、ヘトヘトな俺を抱いてほんとにリリくんのところへ「おやすみ」を言いに行ったメルヘン王子は、夜が明けてから疲れた様子もなく汚れた俺を隅から隅まで綺麗にしてくれた。 　……当然だ。 本気で朝までするとは思わなかったんだからな。 　俺は眠たくてたまらないってのに、カーテンの隙間から射し込む温かな光を見ても、和彦はまだまだ寝そうにない。 　不正は不確かだからともかく、占部のお父さんが関わるセクハラについてはすぐにでも何とかしたくて、早急に話し合わなきゃいけないんだけど。 　夜通しの激しい運動のせいで睡魔が邪魔をする。 「なぁ、……とりあえず少し寝ようよ」 「そうですね。 七海さんが積極的に動いてくれていたので、我慢しないって意識しなくても我慢が出来ませんでした。 小悪魔ちゃんが恋人だと、僕は夢中になっていけませんね」 「小悪魔じゃないってのに……」 　そういう事をさらっと言うなって……。 　顔が熱くなってきて、対面してられない俺は和彦に背を向けてほっぺたに触り、唐突に熱を帯びたそこを冷ます。 　どうも昨日から全身がこそばゆい。 　気になっていた和彦の弱味に触れると心の距離がグッと縮まった気がして、さらにその原因まで知ってしまうと妙な使命感が生まれた。 　そして、すごく……愛おしいと思った。 　背後から抱き締めてくる腕を握って瞳を瞑ると、幼い和彦がよくある子ども同士の言い合いをしている姿が瞼の裏に浮かんだ。 　和彦がいつ、どんな言葉の刃で傷付いたのか、他人との接触を拒む事になった闇の根源も、俺は聞いてみなきゃいけない。 　許す許さないの関係じゃなくなったからこそ、和彦の全部を知りたい。 　だけど。 　それもこれも……ちょっとだけ眠ってから、な。 「……七海さんいいにおい……」 　胸元に回った腕に力がこもり、髪のにおいを嗅ぐ和彦の吐息がくすぐったい。 　ほんの二ヶ月前まで、こんなに誰かから愛してもらえるなんて夢のまた夢だと思ってた。 　チャンスならたくさんあったのかもしれないけど、乙女思考まっしぐらだった俺は、今や言い訳出来ないくらい和彦の事が気になってしょうがなかったんだよな。 　はじまりがどうであれ、こうなってこうなっちゃったからには俺もいい加減ちゃんと認めなきゃいけない。 「さっき誰かさんが洗ってくれたからな」 「誰かさんって誰ですか。 僕じゃなかったら承知しませんよ」 「何言ってんだ、和彦以外に居るかよっ。 すぐそうやってヤキモチ焼こうとするな。 枕にまで妬きやがって……」 「ふふっ……今怒った顔してるでしょ。 可愛い」 「〜〜っ趣味が悪い！」 　話が通じない。 それは前から知ってた事だけど、最近はわざとすっとぼけてる時もあるから憎たらしいよ。 　瞳を瞑ってても、和彦が微笑んでいるのが分かる。 　「初めて」を奪った時も嫉妬に駆られて行為に及んでしまったと自白してたくらい、和彦がヤキモチ焼きだって事は承知してるから今さら驚きはしない。 　なぜだか怒りも湧かない。 　代わりに芽生えるのは、こっ恥ずかしさと満悦の情。 　知らない間にのめり込んで、俺に向けられる好意にどっぷり浸かってしまっている証拠だ。 　抱き締めてくる腕の強さが尋常でない事さえ心地良い。 「どうしてですか。 七海さんのすべてが可愛いです。 美しいです。 魔性など無くとも、七海さんが少し社交的になれば夜の相手など一瞬で見付かります。 今まで処女だったのが本当に奇跡です」 「っっ処女言うな！」 「──僕ははじまりを間違えてしまったけれど、七海さんは、恋に関する事柄の全部を僕にくれた。 僕らが出会うためだったんですよね、きっと。 何もかも」 「…………メルヘン王子……」 「え？ なに王子？」 「んや、何でもない」 　よくそんな漫画みたいに甘ったるい台詞を次々と思い付くもんだ。 　ページを捲る毎に主人公に感情移入してドキドキした、酸っぱいだけの青春の日々がふと蘇る。 　性癖は生まれ持ったものでどうしようもないから、こっそりこうやって楽しむくらいはいいよなと独り言を言って誤魔化し、エッチなシーンではドキドキが最高潮に達していた。 　その時はもう、感情移入した主人公の気持ちに寄り添うんじゃなく、俺本人が愛されてる妄想に切り替わってたんだよな。 　そこで俺は「愛されたい側」の人間なんだって気付いたんだけど、そんな経験が出来るのはもっともっと遠い先の事だろうと諦めていた。 　恋をするのは簡単な事じゃないって、この三年で痛いほど思い知ったから。 　まさか、突然現れた綺麗で優しい面した狼に、体と心ぜんぶ奪われるとは当時の俺は想像だにしてなかったよ。 　見た目だけスパダリの、知れば知るほど闇深い内面を隠した大きな子どもも、俺がしてみたかった「恋」を共に経験し始めた真っ最中。 　絡ませてくる足にぴょこぴょこの癖を邪魔されて、俺は振り返らないまま呟いた。 「……あの、さ……和彦を傷付けた言葉の刃、俺もいっぱい投げちゃって……ごめん」 「……え……？」 　和彦の戸惑いが足先から伝わってきた。 　もう何を聞いても驚かない。 だから話をしようよ。 　メルヘン王子の背後にキラキラが見えてほっぺたが赤くなっても、何とか誤魔化すから……たくさん、話そうよ。 　少しの睡眠のあと、作戦会議の前にちょっとだけでいい。 　俺達はすぐにでも互いを知る必要がある。 　───特に俺は、「佐倉和彦」を知らな過ぎる。 　いきなりの俺の謝罪に戸惑う和彦を残し、俺は癖を封じられたまま限界がきて夢の世界へ旅立った。