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廊下へ出てみると、会いたくてたまらなかった七海さんの姿が無い。
突然警察官がやって来たから、もしかして見付からないように隣接した営業二課のオフィスに身を潜めているのかも。
……と、早く七海さんの顔が見たくて急く気持ちを堪えきれずに勢い良く扉を開けて灯りを付けると、そこには七海さんではなく知らない女性が三人も居た。
「……わっ、……ビックリしたぁ……」
「あ! 和彦、さんっ?」
「驚かせてすみません!」
「私達、ここでお話聞かせてもらっていました」
「あなた方は……?」
話を聞いてた? 今の話、全部を?
女性達の顔をじっくり見たけれど誰だか分からなくて、七海さんが居ない事にも違和感を覚えた僕は知らず険しい顔付きになっていた。
すると、真ん中に居る女性が一歩前に出て僕を見上げる。
「…………部長に、セクハラされていたんです」
「え!? あっ、あなたは……松田さん?」
「はい、お久しぶりです。 まさか佐藤和人君が和彦さんだったなんて、驚いちゃった」
「その節はお世話になりました」
偽名を使って派遣社員として初めて配属された経理課で、一番最初に仕事を教えてくれた松田さんの顔を僕はまったく覚えていなかった。
七海さんがこの松田さんへのセクハラを目撃しなかったら、今回の事件は今もまだ野放しだったに違いない。
ここに居て話を聞いていたという事は、恐らく三名とも同じ被害に遭っていたのだと察する。
「でもその、……どうしてここに?」
今日の事は突然だったはずだ。
パーティーに出掛ける直前に見てはいけないものを見てしまった僕と七海さんが、このままにはしておけないと即日解決を望んだから今、この状況下にある。
それなのに何故、被害に遭った彼女達がここに居るのか、どうやって情報を知り得たのか、僕は松田さんを見て首を傾げるしかなかった。
静まり返ったオフィス内で、松田さんが静かに語った七海さんの活躍。
七海さんは、占部昭一の尻尾を掴んだ翌日には今日の日が来る事を予感して、松田さんの供述を取るために動いてくれていた。
すべては語られなかったけれど、七海さんがここで働く事になった経緯を聞いて心が動いたと、松田さんは確かにそう言った。
隠しておきたかったであろう己の内を曝け出す事で、上司からのセクハラ被害という女性にとってはデリケートな悩みを、何とか打ち明けてもらおうと七海さんは尽力したんだ。
僕のために。 僕が継ぐ会社のために。 被害がこれ以上大きくならないために。
───なんて勇気のある人なんだろう。
出会って間もない僕の力になろうとした七海さんの行動力に、とてつもない愛を感じた。
……会いたい。 七海さんの顔が見たい。
思いっきり抱き締めて、心から「ありがとう」と言いたい。
僕と出会ってくれて、僕を見初めてくれて、僕を奮い立たせてくれて、ありがとう……と。
「そうだったんですか……。 その七海さんはどこに?」
「あれっ? ついさっきまでここに居たのに」
「どこ行ったんだろ?」
「トイレかな?」
七海さん、やっぱりここで聞いていたんだ。
一部始終を共に聞いていた彼女達にも告げずに、どこに行ったっていうの。
……一足先に後藤さんのところに戻ったのかな。 終わりを見た七海さんがここに居ないなんて、僕に気を遣ったとしか考えられない。
もう……本当に、優しいんだから。
七海さんに会いたい一心だったけれど、事情を知った僕は貴重な参考人である彼女達を放っておくわけにもいかなかった。
スマホを取り出し、階下に居る後藤さんに電話を繋ぐ。
「あなた方の供述は重要な証拠になります。 ですが協力を仰ぐにも、言いにくい事を警察の方に話して頂かなくてはなりません。 それでも捜査に、協力して頂けますか……?」
彼女達を順に見詰めていく。
七海さんの功績で、本当に同時捜査が可能になった。
しかし彼女達は、捜査に協力するつもりでこの場に居たわけではないかもしれない。
今まで何をしていたんだと、協力はおろか罵られても致し方ないほど、彼女達の苦しい日々と心の傷はもう取り返しがつかない。
腑抜けて無駄な時間を過ごした僕が、すでに何度目か分からない後悔をくゆらせていると、少しだけ間を置いた彼女達が一斉に微笑んだ。
「もちろんです!」
「そのためにここへ来たんですもの」
「和彦さんが立ち上がってくださって、本当に感謝しています」
「私達、どうしても仕事は辞めたくなかったんです。 でももう……限界かなって思っていました」
「私達の他にもまだ被害者は居ます」
「みんな仕事が大好きだから、会社が味方になってくれるって分かったら協力してくれると思います」
ホームページの掲示板にあった意味深な書き込みが松田さんであったならば、何ヶ月もその被害に遭いながら我慢をしていた事になる。
こうして三人揃ってここに居る彼女達はもちろん、被害に遭った者等が互いに悩みを相談し合っていた事も容易に想像出来た。
ハラスメント被害に気付けなかった上層部、そして僕には、占部親子を厳しく断罪する資格はない。
……詫びるしかなかった。 否、出来なかった。
「皆さんに不快な思いをさせてしまって……申し訳ありません」
「和彦さんが謝る事ないんですよ!」
「そうです! まさか和彦さんが解決のために動いてくださるなんて思ってもみなかったんですよ!」
「月曜から出社するのが楽しみです!」
生きる上で、仕事は必要不可欠。
誰も傷付いてはいけない組織の中で、起きてはならないハラスメントが確実に存在した。
まだ見ぬ小さなそれも在る。
仕事が好きだと、まだこの会社で働きたいと思ってくれた彼女達には、感謝しか無かった。
「ありがとう、ございます……。 これからもよろしくお願いいたします」
未熟者で、若輩者な僕がこの会社を守っていけるなんて大層な事はまだ思わないようにしているけれど、その意識だけはしっかりと持っていなくてはならない。
人間は弱ければ弱いほど強くなれる。 痛みを知る者の方が、人に優しくなれる。
周囲に居る人達は皆、どうしてこんなにも温かく広い心を持つ事が出来るんだろう。
僕はどうして、たった数人の言葉の刃がこの世界のすべてだと思っていたんだろう。
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