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脱力して笑ってしまった俺の手のひらを、和彦が優しく手に取る。
甲に口付けられて腕を引かれ、やわらかく抱き締めてくる気障な愛情表現も、やる人によってはごくごく自然だ。
ヘタレを脱却しスパダリを目指す和彦の心は、人間関係に揉まれてないせいでどこかまだ幼く、純粋。
やらしい方の経験は俺の想像を遥かに超えてそうだけど、まぁそこはヤキモチ焼きながら許してやろう。
和彦の背中に腕を回して、和彦の匂いを存分に嗅いでぎゅっと抱きついてみる。
すると安定の吐息を漏らし、そっと頭を撫でてくれた。
「七海さんは変わらないです。 男らしくて、素直で、真面目です。 あ、……変わったと言えば……強いて言うなら僕の事を好きになってくれたところ、ですかね。 僕の過ちを許してくれて、僕と恋をしようと決めてくれたところです」
「…………恥ずかしい。 照れるからやめろ」
「ふふっ……七海さん、耳が真っ赤です」
「やめろって」
和彦の声も、体温も、香りも、力強い腕も、それらを感じるだけで今や俺の心臓はおかしくなるんだ。
こうして抱き締められると、味わった事のない甘やかな動悸に襲われる。
俺は和彦の背後にキラキラが見えたあの日、……いや本当は、出会った瞬間からドキドキして忘れられなかった。
大事にしてきたのにって。
俺はこれから夢見てた「恋」をしなきゃいけないのにって。
ノンケのお前が「初めて」を奪われた俺の気持ちなんか分かるわけないだろって。
色々な思いを揺さぶられて、よく分からない感情を持て余し、「愛します」と言った和彦に怒りながらも微かな期待を抱いてしまった、俺の内なる「恋」───。
「なんか……思い出すな」
「ん? 何をですか?」
「和彦がめちゃくちゃだった時のこと」
「めちゃくちゃ……」
「俺の初めて奪って強引の限りを尽くしてたのに、急に引いちゃうとか今考えるとあり得ない」
「そ、それは……っ」
「俺も訳分かんなくてムカつきっぱなしだったけどさ。 でもあの噂が無かったら俺達……出会う事も出来なかったかもしれないよな」
「……そうですね」
「誤解されるのは嫌だったのにな。 和彦と出会えたからあの噂も完全な悪じゃない」
「七海さん……」
腕を解いて和彦の瞳を見詰めると、たった一口しか飲んでないのにシャンパンが回ってしまったみたいに全身が火照った。
目頭が熱くなってくる。
優しい眼差しの中に今にも泣き出しそうな俺が映っていて、恥ずかしくなって目線を逸らした。
「……七海さんの初めての恋は、僕が奪いました」
「………………」
「ずっと、後悔しています。 理想的な出会い方をしてあげられなかった事。 大切にしていた初めてを寝てる間に奪ってしまった事」
「も、もういいよ……それは」
「何度でも言います。 怒っていてください、七海さん。 僕の過ちは完全には許しちゃいけない。 許さないで、怒りを持ち続けていてください」
「……なんでだよ。 別にもう怒ってないのに」
「容易く消えない怒りの感情があれば、七海さんは僕から目を背ける事が出来ないと思うんです。 一生、僕の事しか見えなくていい」
「…………おい、感動が薄まったよ」
「どうしてですか」
「いや、……重たくてちょっと狂気染みてて盲目過ぎなとこが和彦っぽいのか……?」
「ふふ……っ、七海さんが僕に染まってくれて嬉しいです」
俺の手を握った和彦は、シャンパングラスを傾けて喉仏を揺らす。 そして、今まさにヤバめな発言したとは思えないほど優しく、美しく微笑んだ。
……俺は重症だ。
何もかもを和彦に奪われた。
心ごと、ぜんぶ持っていかれた。
もう怒ってないのに、和彦だけを見ててほしいから怒り続けろ、だなんて無茶苦茶だ。
めちゃくちゃ変で、無茶苦茶な事を言う。
待てよ。 俺こそ、和彦の魔性に囚われたんじゃないのか。
「………………」
目の前で、和彦がもう一度グラスに口を付ける。
映画のワンシーンのようなその様子をジッと見ていると、ふいにほっぺたを持たれた。
「え、……っ」
顔が近付いてきて、唇を強く押し当てられる。
……これは初めてじゃないから知ってる。
少しだけ口を開くと、和彦からシャンパンがじわじわと送り込まれてきた。
口移しで飲み下すそれは少しだけアルコールが抜けてる気がするのに、舌は蕩けるように熱い。
こく、こく、と飲み下すごとに、脳がぴりぴりと痺れてくる気もする。
交わる舌に追い詰められて、手探りでそっと肘に縋ると何故か和彦の口角が上がった。
「……ん、っ……」
息が出来ない……。
でも、美味しくてやめられない。
シャンパンの風味が互いの舌に残ってる、熱さとほのかな甘味がクセになりそうだった。
いつになくしつこいキスをしてた俺達は、早朝まで好き放題してたってのに夢中で舌を探り合った。
「体力回復、しました?」
「…………たぶん」
「奪っていいですか」
「………………」
たちまちソファに押し倒されて、キスの合間の卑怯な誘い文句を受けた俺は小さく頷くしかなかった。
分かってて頷かせた和彦に抱くのは、愛おしさと湧き上がる恋情、そして情欲。
和彦のサラサラとした長めの前髪が、俺のほっぺたをくすぐるほどの至近距離で微笑まれた瞬間……それはさらに大きく膨らむ。
「愛しています、七海さん」
「…………俺も」
「恋」を痛感したドキドキとうるさい心臓が、今にも壊れそうだった。
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