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その後

─ 七海 ─  大学構内では目立ってしょうがない二人が両サイドに居ると、俺はのんびり昼ごはんも食べられない。  和彦に倣い、なぜか九条君までもが微かにあった壁を取り払うべく他人との会話を頑張ってるせいで、俺はあっという間におはじきみたいに二人を取り囲む輪から弾かれる。  こんなはずじゃなかったのに……こうなる事は分かってたつもりだけど、もっと穏やかに変化していくだろうと思っていた俺の予想は見事に外れた。  夏休みが明けてすぐ、いよいよ世間に公表される事になったSAKURA産業の闇。  代表取締役社長である友彦お父さんが会見を開くと聞き、俺と和彦、そして九条君の三人で騒がれる事のない俺のアパートに集まり、テレビでその様子を見ていた。  大勢の記者の前で、捜査中の事柄は言える範囲で包み隠さず社内の闇を打ち明けていた、友彦お父さんの堂々たる謝罪会見は世間にはどう捉えられたかは分からないけど、少なくともSAKURA産業で働く社員の大多数は語られた社内改革に賛成だと思う。  大切な一人息子が前を向いたその安堵感と確固とした意志が、友彦お父さんを毅然とさせていたようにも見えた。  現場には行かず、真剣にその様子を俺の隣で見届けていた和彦も終始神妙にしていた。  もっと早くに変わらなければいけなかったと、幾度となくしている後悔が渦巻いてるのかもしれない。  細々とした物が無くなって広く感じる俺の部屋は、会見終了まで沈黙が続いていた。 「………………」 「………………」 「………………」  この週末で、俺が三年と三ヶ月住んでたアパートを引き払う。  少ない荷物は全部和彦の家に運ばれて、廃棄するものだけが取り残された寂しい部屋に最後にお別れ言いたいってのもあって、ここに集まった。  和彦と出会ってから目まぐるしく過ぎた約三ヶ月。  大きな事件が一つ片付いた事で、和彦は忙しい合間を縫って俺のアパートを引き払う算段をつけていたらしい。  卒業を待たずに部屋を引き払うかもしれないと父さんに打ち明けた時、「通知きてたから知ってたぞ」と言われて、最初は何のことだか分からなかったんだから……。 「……テレビとベッドだけになっちまったな」  茶色のラグの上で胡座をかく九条君が、狭いワンルームを見回して呟いた。  ベッドに腰掛けた俺はテレビを消し、ぴたっとくっついてくる和彦をあやしながら首を振る。 「まだ冷蔵庫も洗濯機もあるから、住もうと思えば住めるよ」 「え、七海さん……正式に僕のお家に来てくれるんじゃなかったんですか? 僕の心を弄んだんですか? 今さら僕と住むのキャンセルする、なんて出来ないですよ? 分かってますよね? ひどいです、僕を糠喜びさせたんですか?」 「そんな事言ってないだろ。 住もうと思えば住めるって言っただけ」 「七海さんのお家はもうあの家なんですからね」 「分かってるってば」  そんなつもりで言ってないという台詞も、病み思考な和彦はちょっと解釈を変えて受け取る。  九条君の前でもお構いなしに抱きついてくる、この必死なとこが可愛いと思っちゃってる俺は救いようがない。 「週末なんて言わずに今日にでも引き払わないと、七海さんが心変わりしてしまうかもしれない……」 「心変わりしたところで、もう七海の親父さんに言っちまってんだろ? 就職先の独身寮に入るって」  てか離れろ、と苦笑されて、俺と和彦は顔を見合わせて一度離れた。  和彦は俺の知らない間に、内々から手を回してたんだ。  俺がSAKURA産業から内定を貰い、大学卒業後は独身寮に入居するという通知をあえて実家に送った事で、父さんはあっさりとアパートの解約を認めてくれた。  まず就職の内定を貰った事、独身寮には早めに入居出来るという事、家賃が現在の半額で俺の負担が少なくなる等々は父さんの安心材料にしかならない。 「そうそう、そうだよ。 そういう手筈にしたのは和彦だろ」 「段階を踏みなさいと、七海さんからも後藤さんからも両親からも言われていましたからね」 「俺の就活がうまくいってないの知ってたから、就職決まって良かったなって父さんむしろ喜んでたよ」 「それは何よりです。 きちんと段階を踏みますからね、安心してください」 「でも俺、超コネ入社は嫌なんだけど」  てっきり俺は、アパートを引き払うためにそういう体にしただけなんだろうと思ってたんだよ。  でも実家には、ほんとに内定通知が届いていた。 エントリーシートも履歴書も提出してないし、試験も面接も受けてない俺が内定ってどう考えてもおかしい。  この期に及んでも納得がいかない俺は、その点に関して和彦には言いたい事が山ほどある。 「面接官には人事部と幹部はもちろん、父が居ます。 七海さんの顔を見ただけで内定確実ですから、受ける必要はないかと。 学歴も成績も申し分ありませんし」 「でもさぁ……ガッツリなコネは……」 「今回の社内改革は、七海さんの存在なくしては始まりもしなかったんですよ。 父は七海さんに、これ以上ないほどの感謝をしています。 当然、この僕も」 「……うーん……」  むくれた俺に和彦はそう言って意味深に微笑んだ。  この件については、いくらも柔軟になった和彦も譲らなくて困ってしまう。  恋を諦めかけてた俺は、和彦と出会うまで地元に戻って就職先を探すという道も考え始めていた。  就活の話になり、それをうっかり和彦の前で口を滑らせたもんだから、あれから事態が急変したのかなと思うと……俺のせいでもあるのか……? 「なんか跡継ぎっぽくなったな、お坊ちゃま」 「七海さんのおかげです。 ただし僕の世界は七海さんを中心に回っているので、広い視野を持てるようになるのはもう少し先になりそうです」 「………………へぇ?」 「和彦、そういう発言は俺の前でだけにしときな? いくら九条君が俺らの事知ってるからって、ぜんぶ曝け出すのはよくない」 「そうですね。 七海さんの言う通りにします」 「よろしい」  全然納得いかないけど、就職の件以外では素直で従順で優し過ぎる和彦が愛おしくてたまらない。  自覚してからも毎日変わらない、「好き」の気持ちはとめどなく溢れて困る。 ……それは、内定云々を脇に置いちゃうくらいには……困ってる。

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