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8,ヒーローがヒーローを演じる

「羽田くん、今日もキレてるねえ! 素晴らしいよ!」  監督が「カット」の声に続いて手放しで褒める。 「うっす!」  羽田さんはマスクを取り、爽やかに髪を掻き上げた。  今日は番組本編のクランクインに先立ち、オープニングムービーの撮影が行われている。  真新しいマスクとスーツでアクションを演じる羽田さんは、威風堂々、主役の風格だ。  一方、俺はまだ演技指導を受ける身で、カメラに映り込まないように気を遣いながら撮影の見学をさせられている。  もちろん、俺にとってもこの現場を直接目にすることは喜びであり、価値のあることだったが……。  ――どっちがユーマニオンレッドにふさわしいか、それはカメラの前で決めよう。  あんなことを言われてからのコレだ。複雑な思いを抱えて見ざるを得ない。  羽田さんがマスクを小脇に抱え、颯爽とカメラの前を横切る。仕草のひとつひとつがさまになっていた。  何十人という人間が立ち会う現場で、彼の放つオーラがすべてを呑み込んでいる。彼はマスクを取っても、いるだけですでにヒーローだった。 (なんだよコレ……)  圧倒的な力の差を見せつけられて黙り込む。もし俺が犬なら、尻尾を自分の股間に挟んで後ずさりしているところだった。 「さっすが羽田光耀だよなあ、ブランクがあるとは思えない」  独り言が聞こえる。羽田さんと同じ画面にいた怪人役がはけてきて、俺のそばに立ち止まった。 「次こそは僕がレッドかと思ったのに、やっぱりアニキには敵わないや」  怪人のマスクを取れば、そこには将棋の駒みたいな四角い顔が笑っている。見るからに強面の顔に、丸い鼻が愛嬌を添えていた。  顔合わせの時に名乗っていた名前は確か、熊谷(くまがい)なんとか。熊谷という名前は、何作か前からユーマニオンシリーズのスタッフロールに載っていた。となると中堅どころのスーツアクターといったところか。  頭の中でそれを確認していると、その彼と目が合って微笑まれた。 「一月くんどうだった?」 「どうって……?」 「アニキ、カメラの前じゃ文句なしにカッコいいでしょ。僕たちアクションチームの憧れだから」  そんな話をするところからいって、彼には顔合わせのあとのゴタゴタを見られていたのかもしれない。  確かにカッコいいかと聞かれたら、羽田光耀は間違いなくカッコいい。そんなことは俺にだって分かるし、ここへ来る前から知っていた。  何も答えずにいると、熊谷さんはそのまま話し続ける。 「今の時代は俺たちみたいなのより、一月くんみたいに細くてシュッとした子がもてはやされるんだろうけど。アニキもあれで男前だから、昔は顔出しの俳優としてのオファーもあったらしい。それでもあの人はずーっとアクションひと筋でさ。セリフとか覚えらんねえとか言ってるけど、ヒーローものへの思い入れがあるんだよ。だからしんどくてもああやって、カメラの前に戻ってくる」 「しんどくても?」  その言葉が気になって聞き返すと、熊谷さんがハッとした顔になった。 「あれ、一月くんは知らないのか。アニキは去年の今頃、飛び降りのスタントで首を痛めて。それで1年休養してたんだ」  確かに怪我で休養という話は、(ちまた)でも(うわさ)されていた。けれど首というのはただごとでない気がする。下手をしたら後遺症が出るような怪我だったのかもしれない。  汗を拭きながら監督と話している、彼の首元に目が行った。  すると熊谷さんに笑われる。 「そんな心配そうな顔しなくても大丈夫だから。アニキは俺たちのヒーローだ、今回も最後までカッコよく演じてくれる!」  その言葉を理解するにつれ、じわじわとした鳥肌が浮かんできた。  羽田さんは、スーツアクターとしての活躍を夢見るみんなにとってもヒーローなんだ。ヒーローがヒーローを演じる。これ以上のヒーローがあるだろうか。  けれど、彼には別の顔もあって……。  みんなはそのことを知らないんだろうか。顔会わせの日、倉庫の小部屋で見たあの人と、目の前の羽田さんとが重ならない。 (どっちが本物の羽田さんなんだ)  コートの上から腕をさすり、自然に浮いてしまった鳥肌を押さえつけた。 「準備はいいかな? それじゃ、次行こうか」  監督の声に、羽田さんが手にしていたタオルを椅子の方へと投げた。彼はまた〝完璧な〟仮面を被ってカメラの前に立つ。  何十人もの真剣な目が、羽田光耀という一点に向けられた。  そんな現場の熱気を余所に、遠巻きに見ている俺をザワザワとした風が撫でていく。  何がなんだか分からなくなってしまった。

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