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24,内緒話
それから慌ただしく撮影の準備が始まる。セットが組まれているスタジオの中。着替えとメイクを済ませた俺は、動き回っているスタッフさんたちを横目に、折りたたみ椅子に荷物を置いた。
「一月くん、今日の撮影分なんだけど……」
助監督が来て、絵コンテを元に撮影の概要を説明する。
それから入れ替わりにマネージャーが来て、俺の隣に座った。
「一月さあ。さっきのあれ、なんだったんだよ?」
「え……?」
「え、じゃないだろ……! 車降りてプロデューサーにタックルしにいったやつ」
マネージャーは周りを気にしながら、声をひそめて聞いてきた。
外の道でこの人と合流したあと、たまたま来た他のスタッフとも一緒になったせいで、その話はできずじまいだったのだ。
だからといって、俺としてはあまり話したい話題ではない。ただ短く返す。
「なんでもない、向こうが怒ってなければ……」
あのあと羽田さんがプロデューサーに取りなしにいった気もするけれど、それでまた彼が嫌な目にあっていないかと思うと気が重かった。
そんな俺にマネージャーが、諭すように言ってくる。
「あのなあ、一月。普通は怒るぞ? いきなりタックルされたら」
「でも……あの人にはそうされる理由があったし、本人も分かっていると思う」
「理由って?」
「それは言えない」
プロデューサーと羽田さんとのことに俺が絡んでいったなんて、マネージャーが納得するわけがない。そもそもあの2人の関係は、人に言ってはいけないことのような気もするし……。
「羽田サンと関係があるのか?」
それはマネージャーにも察しがついたらしい。耳打ちするようにして聞いてきた。
「違う。単にプロデューサーの態度が気に入らなかっただけ」
これ以上は話さない、という意思表示に、俺は手元の絵コンテに目を落とす。さすがに宇佐見さんも察してくれるだろう。
(それにしても、あれはなんだったんだろう……)
絵コンテの内容に意識を向けようとしても、思い返してしまうのはあのキスだった。
ああいう行為は気持ち悪いと思っていたのに、実際にしてみると案外そうでもなく、むしろ不思議な昂揚感 を伴っていた。
半ば無意識に、左手の薬指が自分の唇に触れる。
(キスっていうのはこの国では、それなりに性的な意味があるんじゃないのか? それなのに、羽田さんはあんなにあっさり……)
考えてみると彼は好きでもないプロデューサーともああいうことをしていたわけで、つまりそういうことに対してそれほど抵抗がないんだろう。
とはいえ羽田さんがプロデューサーをどう思っているのか、本当のところは分からない。昨日は〝あんなおっさん〟なんて言っていたけれど、ある意味で愛情の裏返しなのかもしれないし……。だとしたら俺は……。
キスされた唇がもやもやする。
「はぁ~……」
「なんだよ一体!?」
俺のため息に、隣でマネージャーが反応した。
なんだよと聞かれても、この人に俺の悩みの数パーセントでも理解できるんだろうか。思わず睨んで、俺は八つ当たりのように問いかける。
「宇佐見さんは誰かとキスとかセックスとかするわけ?」
「はぁああっ? な、な、なんの質問!?」
マネージャーは椅子から転げ落ちそうな勢いで動揺している。
「別に、なんとなく……」
「それ……なんとなく選ぶような話題じゃないと思うぞ? 朝メシ食ったか、みたいな」
動揺から回復してきたマネージャーに、呆れ顔で言われた。
「そういうの、ヒロインちゃんにでも聞いたら向こうの事務所の人に殺されるから!」
「聞くわけない」
「一月はコミュ障だからな~、油断ならん!」
この人は本気で心配しているみたいだ。
「何、突然そういうことに興味が出てきたわけ? この前は同性愛も異性愛も気持ち悪いって言ってたくせに」
「え……」
確かに言った。そしてその認識は大筋では今も変わらない。
ただ、さっきのキスで揺らいでしまっている。まだあれを、俺は自分の中でうまく意味づけできていないからだ。
「気持ち悪いは気持ち悪いけど、人間はあえてそういうことをするものなんだろうなって……」
そんなふうに答え、俺は今いるスタジオの入り口を見た。騒がしいと思ったら、プロデューサーがその他数名を引き連れてスタジオに入ってきている。
「えっ、ええっ!? まさか一月、俺の知らないうちにプロデューサーに……!?」
俺の視線の意味をそう誤解したんだろう、マネージャーがガタガタと椅子から腰を浮かした。
「はあっ? なんで俺があんな人と!」
確かに羽田さんの存在をすっ飛ばして考えてみたら、俺とプロデューサーの間に何かあったみたいに思われても仕方ない。
「そんなことがあったら、俺はその場であいつを殴り倒す」
「それも事務所的には困るんだけど……」
マネージャーが中腰のまま頬の筋肉をひくつかせた。
それから彼は咳払いをして小声で続ける。
「いいかぁ一月、なんかある前に俺に言えよ。うちの一月に手え出そうなんて不届き者がいたら、プロデューサーだろうとなんだろうと俺が脳天かち割ってやる。しかし、あくまで裏でのことだ! 表でやり合うのはナシだぞ? そういうのは仕事に支障をきたす」
「裏で……そうか……」
ハンマーか何かで、後ろから頭を殴られる羽田さんを想像した。さすがの羽田さんも、不意打ちされたら無傷とはいかないかもしれない。
「宇佐見さん、暴力はいけない……」
内心慌てて言うと、マネージャーがふっと笑った。
「馬鹿だな、ものの例えだって! だいたい先に殴り倒すとか言ったのはお前だろー」
「ものの例え……」
「ああ。けどなんにしろ、制裁はこっちの仕事だ」
(……羽田さん大丈夫かな?)
そんな不穏な内緒話をしていたところで、監督から号令がかかる。そして撮影が始まった。
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