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第6話 α、β、Ω の僕 3
ズキン と外腿に痛みを感じて、億劫になりながらも目を開ける。
真っ白い天井と薄いグレーの壁が視界に入り、ここが自分のベッドの上だと理解し、俺は体を起こした。
自分で着た覚えも無いガウンを裸体に直接着せられていて、痛みを感じた腿を見ると、貼られた絆創膏の際から少しはみ出した内出血の痕。
まだ上手く回らない頭で一番新しい記憶を再生して、自己嫌悪で気分が悪くなる。
あれは、完全にΩのヒートだった。しかも、今までに無いほどの強烈な・・・
発情期よりも強烈な性欲だった。綾木なんかに、はははは「孕んでもいいから」などといいいいい言ってしまう、ほどの・・・っ
抱えた膝にグリグリと額を押し付け、自分が綾木に晒した痴態を猛省し屈辱を噛み締める。
どういうことだ?
俺は30歳になるまで貞操を守り続けてβの体を手に入れたはずなのに。幼い頃の葵の言葉を信じて・・・
そうだ!葵!あいつに聞けば
ベッドサイドのチェストの上に置かれたスマホを手に取り、葵に電話をかける。
『あい』
「葵、聞きたい事がある。俺はβになったんだよな!?」
『・・・はぁ? そうなの?』
「そうなの、って・・・。だって、だって俺はこの歳まで童貞処女の操を守り続けて来たんだぞ!?」
『・・・だから?』
は?「だから?」だと!?
「イヤ、だからβになったんだろ!?」
『何それ。ありえねぇだろ。30まで童貞だったら魔法使いになれる的な? ははっ、ウケる』
「ウケる!? 俺は子供の頃お前がそう言ってたから、だから・・・」
『言ってた? 俺が? そんなアホみてーなこと? マジかー、俺にも可愛い時があったんだな~』
アホみてーなこと、だと!?
ちなみにお前は今も昔も可愛くなどない!
まさかとは思うがもしかして、いや、もしかしなくても・・・俺は、βに
「・・・なって、ない?」
『茜さー、引きこもり過ぎて色々と拗らせてんだな。かわいそーに。早く番見つけてマトモに生きろよ?あっ、女と結婚したいんだっけ? Ωでもいいって思う女見つかるか知んねーけどとりあえず恋しろ恋!俺暇じゃねぇから切るぞ、じゃな』
スマホを持った手が、ぽす、とベッドに落ちる。
なってない・・・。俺はβになっていない。
αになることが叶わなくとも、せめてβになりたいと願い続けて来た人生だったのに。希望をくれた双子の弟にそれを奪い去られてしまうなんて・・・!
「ううう~・・・、嘘だぁ・・・」
絶望感で涙が出てくる。
俺はもう終わった。外へ出てどこぞのαどもに狙われてしまうか、一生この部屋に立て籠ったまま生きて行くかの二択しか無くなってしまった。
もう、生きる望みは無いも同然だ・・・
ベッドを降り覚束無い足取りで寝室を出る。キッチンへ行き包丁を握り締め頸動脈にあてさめざめと泣く。
目を閉じ覚悟を決めて大きく息を吸う。
・・・と、微かに醤油の匂いがして、キッチンカウンターの上にラップがかかった深めの中皿が置いてあるのに俺は気付く。
包丁を一旦置いて皿のラップを外してみると、甘辛いような香ばしい香りを漂わせた肉じゃがが盛られていた。
その横に走り書きのメモが置いてある。
『次に来るのは明後日だから それまでデリバリーしないで俺のメシ食ってろ 冷蔵庫にも入ってるからちゃんと食っとけよ』
綾木・・・作ってくれたのか。俺に・・・
綾木を、同級生たちを欺いていた俺なんかのために・・・。
それがあいつの仕事だと分かっているけれど。
一口大に切られているじゃがいもをひとかけ指で摘んで口へ運ぶ。
濃すぎず薄すぎずいい塩梅に味付けされた芋。
「・・・美味い」
綾木はαなのに、ヒートを起こした俺を襲おうとはしなかった。ヒートのΩを前にしたαはラット化すると聞いていたのに。ラット化とはΩの匂いにアテられたαが理性を失って欲望のままにΩを求めること、つまりは性欲をコントロール出来なくなったαのヒート状態のことだ。しかし綾木はそうならなかった。
それどころか、冷静に特効薬を使い俺を助けてくれた。
実際にΩ軽視の世の中であるし、ラット化したαにレイプ紛いに抱かれ望まぬ番にされてしまったΩが自ら命を断つという事も少なくはない。
俺は、αはΩの天敵だ、と思っていた。
けれど、そうじゃないのかもしれない。少なくとも綾木は。
年甲斐も無くベソをかきながら綾木が作ってくれた肉じゃがを摘んでいると、寝室からスマホの着信音が聞こえた。
画面を見ると、ハウスキーパー マム との表示。
「・・・もしもし」
『お世話になっております、久遠様。プロフェッショナルハウスキーパー マム の佐藤でございます。昨日の綾木の仕事ぶりはいかがでしたでしょうか?』
電話の向こうは明るく圧の強い佐藤さんだ。
「綾木・・・」
『やはり綾木ではご納得頂けないようでしたら担当のチェンジを承りますが』
「・・・・・・いえ。彼の仕事ぶりに満足しました。彼に任せてみようと思います」
例えαであっても綾木ならば大丈夫だ、という直感があった。たった一度助けられた、それだけで単純かもしれない。けれど、もう一度綾木に会って謝りたい。Ω性を隠しαだと嘘をついて、ずっとあいつの上に立っていた事を。
そして根拠の無い確信があった。
綾木ならば、俺がΩであろうと例えαやβであったとしても、孤独な俺の唯一の友人になってくれるのではないか、と。
思っていた。
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