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第169 終幕を迎えて 2
「それで、今日はどうしたんだ? レフラも何か用があったんだろ?」
礼を伝えて、シャガトの中の心残りは消えたのか。顔を上げたシャガトの表情は、サッパリとしていた。
「……伝えたい、ことがあって……」
「なんだ?」
「……もう、知っているとは思うが、私達跳び族には、他種族と争い勝つような力はない。でも、地を駆ける力や身の軽さなど、他種族よりは秀でている所もある」
「あぁ、そうだな」
「だから、力に拘らずに、色々な可能性を模索して欲しい。戦闘には向いていなくても、自然と共に生きてきた私達だからこそ、できる事を探して欲しい……」
「もちろんだ! 今回は新しい約定で、復興までの間は、ムニフェルムの花の利益の3割と引き換えに、黒族からも人を出して頂けることになったんだ! 今はまだ模索している段階だが、これをきっかけに、新しい跳び族の在り方を探していくさ」
任せておけ、と言うように、大きくシャガトが頷いた。
新しい在り方を探す、と進み続けるシャガトなのだ。イシュカが言うように、きっと上手く皆を導いてくれるだろう。そんな安心感があった。
「それにしても、今回の約定で、だいぶ跳び族を配慮して貰えているとは思っていたが。やっぱりレフラが、ギガイ様へ掛け合ってくれていたんだな?」
「……いや、私じゃない……さっきの言葉にしても、シャガトへ伝えて欲しいとお願いされたことを、私は伝えただけだから」
「……えっ……?」
「…………きっと貴方なら、上手く皆を導いてくれる、からって……」
「それは、だれだ……」
「……跳び族が、新しい道を進めるように、ギガイ様へ助力を請うたのも、その者なんだ」
「……なぁ、レフラ……それは、だれだ……?」
「……シャガト……貴方なら、分かるだろう……?」
「…………」
部屋の中に沈黙が落ちていく。さっきまでシャガトから感じていた、明るく覇気のある雰囲気は、すっかりなりを潜めていた。
「……ふざける、なよ……なんだ、よ……いま、さら……」
それからどのくらい経ったのか、両手に顔を埋めたシャガトから、絞り出すような声が、聞こえてくる。
「…………な、んで、いまなんだよ……俺は、ずっと、ずっと…………」
言葉が途切れて、シャガトが低く唸りながら、深呼吸を繰り返す。感情を堪えようとするシャガトの手に、レフラが指をソッと添えた。
「……ここには、貴方が背負うべき、跳び族の者は居ない……」
レフラの言葉と指の感触に促されたのか、シャガトが掌から顔を上げた。
「……レフラ……お前が、居るだろ……」
「違う。私は、もうギガイ様の御饌だから。跳び族のレフラは、もう居ない」
種族が何であれ、供物として献上されるように嫁いだ時に、レフラの全てはギガイのものとなっている。だから、シャガトがレフラに対して何も求めきれないように、負う責任も何も無かった。
「……そうか……」
「あぁ……ここを出れば、貴方は跳び族の長として、生きていく。だから、シャガト……貴方個人の想いは、ここで、全て捨てていって……」
この部屋を出れば、もうそれは許されない。
逆を言えば、ここに居る今だけは、跳び族の新しい長ではなく、ただのシャガトとして居ることが許された。
立場として、求められる振る舞いや、考え方が存在する。御饌としてずっと生きてきたレフラには、そのことは身に染みて分かっている。だからこその言葉だった。
「……俺は、アイツが許せない……」
「あぁ」
「俺は、さんざん言ったんだ。それなのに、こんな事をしでかして、アイツは本当にバカなんだ!」
「そうか」
「アイツのせいで、大勢の仲間が死んだんだ。生きている者達だって、簡単に癒やせない傷を抱えて生きている」
「……そうだね」
「……だから、絶対に許せない……許せないんだ……」
「…………」
「……それなのに、俺は……俺は……アイツを…………憎めないんだ……」
ぶつかり合う感情はただでさえ苦しいのに、立場としても許されない為か。『憎めない』という一言を吐き出すのに、シャガトは何度も呼吸を整えて、絞り出したようだった。
「……そうか……」
だけど、イシュカの右腕として、ずっと行動を共にしてきたシャガトなのだ。心に内に渦巻く想いは多かったというところか。閊えていたものが外れた途端、言葉は詰まりながらも続いていく。
「……あの時、あぁすれば、アイツは、とか……もしも、アイツが、一緒にこうやって、いてくれたら……とか……思っちまう……どこかで、やり直せたんじゃないか、と……そうすれば、アイツも死なずにすんだんじゃないか、と……考えちまう……。傷付いた皆の前で……考えて良いことじゃないのに、だ……」
「そうだね……罪を犯した者を悼む事は、その被害者を思ったら難しい、からね……。でも、私は、割り切れない想いがあるのなら ”今だけは跳び族のレフラとして、死んだ兄弟の為に泣いても良い” とギガイ様に仰って頂けた。その事にだいぶ救われたんだ……」
「……ギガイ様が……」
「あぁ。だから、シャガトが今だけこんな風に吐き出しても、ここでは、誰も責めたりしない。さっきも言ったように、ここには貴方が背負うべき跳び族は居ない」
「……そう、か……」
詰まった声で、そう言ったシャガトがもう1度、掌に顔を埋めた。その肩が震えて、掌の隙間から滴が零れて、机の上を濡らしていた。
「……アイ、ツは、ほん、とうにバカだ、よな……」
「そうだね……」
「でも、一族を、まも、りたいと、本気で、おもって、居たん、だ……」
「最後に護ったのは、アイツだよ」
あの石牢でイシュカが願って、ギガイがそれを聞き届けた。その想いを元に交わされた約定は、これからの跳び族をきっと支えて護ってくれる。
「……シャガト、どうか貴方だけは、それを知っていて欲しい」
他の誰かに、分かって欲しいとは望みはしない。ただ、シャガトだけは、レフラと同じだったはずなのだ。レフラのように、あの腹違いの弟と、共に一族を護るのだと、想っていた者だった。
「あぁ、わか、った……俺だけ、は、覚えておく……」
そして、限られた一瞬だけ、同じようにその死を悼んでいる者だった。
「ありがとう」
レフラは、ゆっくりと目を閉じて、全ての想いを仕舞い込んだ。
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