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第4章 最終話 第35話 好きなのは
今度は木が積み上げられトタンや合板が、何枚も重ねられた廃材の隙間にクロが入っていった。さすがにここは通れない、遠回りをしなくてはと思ったが、横にニンゲンでも通れそうな隙間を見つけた。
伍塁に買ってもらった服が汚れそうで迷ったが、伍塁だったらきっと「洗えば大丈夫」と言うだろう。思い切って膝をつき、猫のように進んだ。
先で待っていたクロは、実玖と目を合わせて
「猫らしくなってるにゃ、ヒゲがまたはえてくるかも、にゃっ」
と、笑った。
「やめてください、もう生えませんから」
実玖もクロの言葉に笑って立ち上がり、膝をはらいながらついて行く。
畑の真ん中を通り、狭くて崩れそうなコンクリートの長い階段まで来たら、実玖はここがどこだか思い出した。この上は、遠くに海が見える、猫が集まる広場だ。
「今ならまだ猫は集まらないから大丈夫」
クロはなにか気を使ってくれているようだ。
「わっ! 風が強い。遠くまで見えますね」
階段を登り終えると視界が開けた。広場だと思っていたが、ニンゲンになってみたらほんの数歩しかない。猫の額とはこういうことを言うのか。
木の脇に神様が祀られた祠がある。何神様かわからないが、実玖は頭を下げてから近くの石に座った。
斜めに掛けたバッグから水筒とちくわを取り出す。
「本当は猫はあまり食べてはいけないらしいですけど、伍塁様に貰って美味しくて嬉しかったのを思い出したので」
小さくちぎって手にのせてクロに差し出すと、クロは鼻先を動かしながら近づいてきた。
「体に良くないものは、美味いものが多いらしいにゃ」
うにゃうにゃ言いながらひとかけらずつ美味しそうに食べている。
実玖は遠くの街並みとくすんだ水色の海を目を細めて見ていた。胸の中が透き通り広く大きくなったようだ。
視界の端が動いてそれに目をやると、悠々と歩いてくる猫がいた。
「あ、大きな猫が歩いてきましたよ、もしかしてボス?」
「ほんとだ、フユさん、こんにちはー」
「おぅ。珍しい友達だな」
実玖のことを言っているのだろう。実玖は立派なサバトラとは初対面だ。
「はじめまして。実玖といいます」
いつものように、立ち上がって深く頭を下げる。フユと呼ばれた猫は堂々と正面までやってきた。
「俺はフユといいます。元野良の飼い猫です。よろしく」
と、太い声で礼儀正しく挨拶をした。実玖が元猫だということは多分わかっている。
「最近、ガラの悪い猫が増えてるらしいんで、気をつけて下さい。じゃあまた」
フユはゆっくり歩いて来たのとは違う方へ去っていった。
「見回りしてるんだよ、へんな猫が増えてるから」
「素晴らしいボスですね。とても懐が深そうです」
「キョウヨウのある猫なんだってさ」
「教養、ですか」
「なんかよくわかんないけどな」
クロは垂れ下がっているツルを手で弾いて遊んでいたが、次第に興奮して寝転がってじたばたしていた。
実玖は水筒のお茶を飲みながら、髪を引っ張る風を楽しんでいる。
「伍塁様と一緒にここに来て海を見たいな」
伍塁と来たら喜んでくれるだろうか。ここから海までどうやって行くのか教えてくれるだろうか。海に行ったことがないと言ったら、一緒に行ってくれるだろうか。
「きっと伍塁様なら、どこでも行こうって言いそうですね」
実玖は自分の独り言にふふっと笑った。
ポケットの中のスマホが震えたのに気づき、画面を見ると
『今からお寿司を買って帰るよ』
という、伍塁からのメッセージだった。実玖は立ち上がって服を整えた。
「そろそろ帰りましょう」
伍塁のメッセージが嬉しくて、早く家に帰りたくなってしまい、クロと別れニンゲンが歩ける道を通り、家を目指ざした。
ヒゲが生えたことで、未差やハーブ、猫のクロ、そして伍塁に教えてもらったことがある。
時には時間を忘れて、思うがままに、好きなことをする。それが遊ぶことなんだと。
まだ実玖には「好きなこと」が伍塁以外によくわからないが、そのうちわかるだろう。詰め込むことばかり考えてたけれど、もっと自分の中を広げることが出来るのだと思う。
「お休みは楽しめた?」
伍塁は醤油にシャコの端をつけて口に運んだ。
伍塁がたくさん買ってきた寿司は、回る寿司とは少し違うようだ。ご飯が小さくて酢の味が強く、色もやや濃い。
「はい、階段を上って海の見える広場まで散歩に行きました」
実玖もトリ貝を摘んで頬張った。歯ごたえが面白くて口の中で動いているようだ。
「あー懐かしいな、そこはみんなが『ぼた』って呼ぶけど、その意味を誰に聞いてもわからないんだ。ボタ山がある土地でもないし、神様も謎。また調べてみようかな」
「今度、伍塁様も一緒に行きましょう。遠くに見える海が綺麗でした」
「いいね、いつ行こう? 明日?」
「いいですけど、お仕事はないのですか?」
「僕は仕事はそんなに頑張らない。約束がなければ自由だよ。実玖が楽しかったところに行くほうが大事」
首を傾げて垂れた前髪越しに見える、細めた目が優しい。実玖は無いはずの耳がピンとしたような感じがした。
伍塁に「元気になってよかった」と言われて、猫と出かけたことを話そうか、やめておこうか迷う。でも、ひとつくらい秘密や悩みがある方が、ニンゲンらしいかもしれないから、話すのはやめておこう。
同時にイカの寿司に手を伸ばした伍塁と見つめ合い、一瞬の間の後に笑い合った。
[伍塁様には見せられない 了]
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