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いやがらせ

「僕は蔵から掛け軸を運ぶから、実玖(みるく)はここのガラスを包んでおいて。古いガラスは割れやすいからこの薄い紙も内側に入れて」 「はい、やっておきます」  実玖はもう梱包には慣れていて、手際よく薄紙と新聞紙を並べ次々と包んでいく。  足の長いガラスの鉢には、かき氷や水菓子を盛ったら美味しそうだとか、プツプツと入っている気泡が実玖の苦手な炭酸の泡みたいだとか、ガラスでも手触りや質感がそれぞれ違うとか、色も違うことに気がついたりと、楽しみながら手を動かしていた。  薄い黄緑と桃色のグラデーションのガラス鉢をあちこちから眺め楽しんだ後、包もうと薄紙を手探りで引いたらビリッと破れた。  紙の上にはさび色の猫が乗っていた。 「お前、猫だな」 「……はい、前は猫でした」  実玖は猫相手に隠すことはないと思っているし、バレているのに否定をするのもおかしいと思っている。でも、強く言われると心がしぼむ。 「人間になるなんて猫の風上にも置けない!」  猫はさっと身構えた。お尻をモゾモゾ動かして、狙いを定めている。もちろん狙いは実玖だ。 「待ってください、わたくしは何も悪いことはしてませんし、あなたに迷惑もかけていないと思います」 「なんだと? 人間になるだけで猫の恥さらしだ!」  サビ猫は実玖に飛びかかって来たが実玖は咄嗟に背中を向けたので引っかかれることはなく、背中に猫が張り付いた状態になった。 「やめてください。伍塁様に借りた服が破れます」 「服なんか猫には必要ない! 俺とちゃんと勝負しろ!」  爪で背中にぶら下がった猫を落とすために体を大きく動かすと猫は飛んでいき畳の上にきれいに着地した。と、同時に飛びかかってきて実玖はまた振り払った。  今度は積み上げた木箱に猫がぶつかってガタガタと崩れ落ちた。 「暴れないでください。壊れてしまいます」  実玖が箱を気にして近づくと、その箱を蹴ってまた飛びかかってくる。 「痛い、本当にやめてください」  腕に刺さった爪の痛さに負けて思い切り振り払った猫は、外してあった襖にぶつかった。襖が倒れてきたのに驚き、慌てた猫は部屋中を走り回る。  実玖は止めようと手を出すが、新聞紙はグチャグチャに乱れ、薄紙はあちこち舞い上がり、箱は蹴飛ばされて部屋がめちゃくちゃになってしまった。  「何やってるんだ!」  猫を捕まえようとして膝をつき、しっぽを掴む瞬間に柏木が大声をあげて入ってきた。実玖はその声に驚き手を滑らせ畳に顔をぶつけて転んだ。  いつの間にか猫はどこかへ逃げていなくなってしまった。 「何散らかしてるんだ、割れ物を扱ってる時に猫と遊んでるんじゃねぇ」  実玖は違うと言おうとしたが、散らかった部屋を見て起き上がり、正座をして「すみません」と下を向いた。  また失敗した。伍塁様になんて言ったらいいんだろう。もう付いてこれなくなるかもしれない。実玖は唇を噛んで、拳も握って震えた。  伍塁が後から入ってきたが、実玖は柏木から出される威圧的な空気に何も言えずにいた。  しばらく黙って目をあちこちに動かしていた伍塁が、実玖に手を伸ばして声をかけた。 「実玖は悪くない。何も壊れてないし、あとはこれだけでしょ。実玖はサボってないし遊んでもいないよ」  後半は柏木に向かって言っていた。実玖は伸ばされた手をぼんやり見ていたが、伍塁にもう一度手を差し出されてその手を掴んで立ち上がった。 「お騒がせしてすみません」 「ホントだよ、ガキじゃないんだから」 「実玖は悪くないんだよ、ほらあの猫が実玖と遊びたかったんだ」  伍塁が顔で中庭を指すと、さび色の猫がいて「ギャーオーン」と、掠れた声で鳴いた。 「ザマアミロ」か……わたくしは伍塁様のそばで恩返ししたいだけなのに。誰とも目を合わせずに実玖は黙々と手を動かした。  伍塁が柏木に何度も「実玖は悪くないんだ」と言いながら一緒に残りの片付けをして仕事を終えた。  なんでニンゲンになる事を嫌う猫がいるんだろう。もし嫌いだとしても、どう生きようが自由じゃないか。嫌ならニンゲンにならなきゃいいだけではないか。  クロやフユが「ガラの悪い猫がいる」言っていたのは、ニンゲンをよく思わない猫が居るという事だったのかもしれないと気がついた。  考えれば考えるほど何も悪くないのに、気持ちは湯呑みの底に残るお茶の粉みたいにざらついた。  荷物を下ろして柏木が帰った後、片付けは明日にしようとなった。すぐに実玖はお風呂を沸かした。その間に伍塁は夕食の出前を頼んでいる。 「ちょっと時間かかりそうだから先にお風呂に入ってもいいかな」  裏口でホコリっぽいツナギを脱いだ伍塁はお湯がたまりつつある浴室に入っていった。実玖はまだ気分が落ち込んだまま、ふぅとため息をついた。  実玖もツナギを脱いで洗濯機に放り込むと浴室のすりガラス越しに伍塁の背中が見えた。  そうだお詫びをしよう! 実玖は腰にタオルを巻いて「失礼します」とガラス戸を開けた。 「伍塁様、お背中ながします」 「えっ?」 「大丈夫です、仕事のひとつです」 「いいよ、自分で洗えるし……」 「ご主人様の背中を流すのは当たり前のことです」 「仕事の範囲を……」 「越えてません」 「ちょっ……」 「あっ!」  伍塁が振り返った時に実玖がつんのめり、そのままドボンと浴槽に頭を突っ込んでしまった。 「実玖!!!」

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