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だからキミをください。

   靴を脱いで玄関を上がった。  (いつき)の家は広い。なんでもお父さんが有名な演奏家なんだそうで、リビングの隣の防音室の真ん中にはどでかいグランドピアノが鎮座している。訪れたのは何回目なのか忘れたけれど、この家が散らかっているところを未だに目にした事がない。  樹の母親もオペラ歌手で、しょっちゅう二人で演奏旅行に出かけるようだ。今回はスペインだと聞いた。   「良かったー。璃都(りと)が教えてくれなかったら、危うくスルーしちゃうところだったよー」  満面の笑みの樹は、よっこらせ、と両手に持った重いスーパーの袋をどさっとテーブルに置き、買ったものを冷蔵庫に詰めていった。  ハイスペな両親からこの天然アホ狸が生まれただなんてにわかに信じがたい。だって普通、忘れるか? 恋人である俺の誕生日を。しかも教えたの二週間前だったけど。 「ふふ。璃都ってば、なんかソワソワしてると思ったんだよね。祝って欲しいんだったら、ハッキリそう言えばいいのに」 「仕方なくっ、言っただけで! 別にお祝いして欲しかったわけじゃないぞ!」  俺は耳の裏が熱くなるのを感じながら、手を洗って準備をする。  樹が「お祝いにケーキを作ろうよ」と誘ってくれたのだ。まぁ、お祝いされる本人が自分の為にケーキを作るっていうのもおかしな話だけど。  しっとりふわふわのスポンジケーキを一から作るのには躊躇したから、すでに出来上がっているものを購入してきた。これに生クリームと苺をのせれば簡単にケーキの完成だ。いくら樹でもこれなら失敗しない。 「いいか樹。こっちのボールに氷水を入れておくから、もう一つのボールに生クリームを入れるんだ。水が入らないように注意するんだぞ。少しでも入ると分離してうまく泡立たなくなるからな」 「あー、はいはい。分かってるって」 「分かってない!」  樹はうんざりしたような目で俺を一瞥した後、冷蔵庫から生クリームのパックを取り出した。  樹にうんざりされようが、口うるさく言うのには訳がある。樹はたまにやらかすのだ。誰も想像できないような事も……  グラニュー糖を加えたところまでは順調だった。樹が意気揚々と電動ミキサーを持ってその白い液体の中に勢いよく突っこんだ瞬間……  ガガガガガガッ 「うわーーっ!!」 「樹っ! 飛び散ってるからっ! クリームがっ!」  高速回転したミキサーの先端がボールの淵に当たっているせいで、生クリームがあちらこちらに飛び散っている。  エプロンなんてものを付けていなかった俺たちの制服はまだら模様になった。  ミキサーを樹の手から奪って電源スイッチを切る。  ボールの中のクリームはほとんど残っていなくて、テーブルの上や床、そして樹の顔にまで散布されていた。  樹は、自分のほっぺからツーっと垂れてきた液体を赤い舌でぺろっと舐めあげた。 「ん、ごめん」 「……!」  白い液体まみれになっているガラス玉の瞳の樹を目の当たりにして、俺は息を飲んだ。  どく、どく、と心臓が激しく鼓動する。  樹とはずっと友達だった。けれど六年目にしてようやく、恋人になれたのだ。しかしまだ、セックスどころかキスさえもしてない。こいつを怖がらせたくはないし、何よりすごく大切で大事だ。迂闊に手は出せない。  けれど今、俺はいけないことを言いそうになっている。  樹が、欲しいと。  そんな俺の気持ちなんてお構いなしに、樹は俺の頬にも付いていた生クリームを人差し指の腹で拭って、俺の目の前に持ってきた。 「璃都も舐めてみればー? 甘くて美味しいよ」 「……やめろよっ!」  羞恥から、咄嗟にその手を振り払ってしまった。  樹はばちんと弾かれた手を茫然と見つめた後、アヒルかって思うくらいに唇を尖らせた。 「少しくらい、優しくしてよ」 「……あ、ごめん、違うんだ」 「ごめんね。ここ片付けたらもう一回生クリーム買ってくるから」  樹はツンとしたまま、渋々片付けを始めた。  膝を折って床に飛び散った液体を拭いている。  また誤解させてしまった。本当は違う。俺は樹が好きだ。大好きなんだ。  俺もしゃがみ込み、樹と同じ目線になる。  しばらく視線を逸らしたままの樹だったけど、居心地の悪さからか、ふっと視線を合わせてくれたので俺は言った。 「あの、樹。本当に、好き」  心臓がさらに激しく鼓動する。  樹は何も言わないけれど、唇をぎゅっと噛んで恥ずかしさに耐えているようだった。俺は構わず続ける。 「あの、ケーキはいらないから、その代わりに」 「……代わりに?」 「……くそ、絶対分かってるくせに言わせようとしてんじゃねぇぞ……!」  俺は樹のお世話係、兼恋人。  この度、一八歳になりました。  ☆end☆

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