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第1話
僕は、結構、雨が好きだったりする。
雨になるとお客さんは少ないし、お気に入りの曲を聴きながら、大好きな本もゆっくり読めるし。
誰にも、邪魔されない。
だから、雨が好きなんだ。
でも。
そういう幸せな時間は、いきなり奪われる。
プルルルル、プルルルル。
ベッドサイドの内線電話の………冷たい音が。
僕のお気に入りの曲を引き裂いて、本の世界から僕を引きずり出して。
一気に僕の本来の場所に引き戻すんだ。
「はい、華です」
『今からご新規さん入るけど、大丈夫?』
ご新規さん、かぁ。
………いい人、だったらいいなぁ。
「大丈夫です」
『じゃ、とおすよ』
「お願いします」
あーあ、幸せな時間が終わっちゃった………。
でも、もうちょっと。
もうちょっとだけ………。
聴いていたい、読んでいたい。
ガチャー。
う、早い。
僕は本をベッドに放り投げて、慌てて立ち上がった。
そして、大きめのシャツを整える。
「こんにちは、華といいます。よろしくお願いします」
ライトグリーンのメルヘンチックなドアから現れたご新規さんは、背の高いスーツを着た人で、緊張した顔で僕を見た。
あ、キレイな目。
ここだけの話、僕、奥二重のスッとした目の人が好きなんだ。
今、僕の目の前にいるお客さんの目は、僕のどストライクな目をしていて………。
胸が、キュンとなる。
「………よろしく、お願いします」
その人は目が小刻みに動いて、なんだか落ち着かない感じで。
初めてなのかな.....緊張してるみたいだ。
「あの、お名前、教えてもらっていいですか?」
「………雨宮、です」
「あ、あの。下のお名前……」
「あ!すみません!!………夜一です。雨宮夜一……。こういうの、初めてで………すみません」
「大丈夫ですよ、夜一さん。いきなりはお風呂はなんですから、まずはおしゃべりしながら、楽しく過ごしませんか?」
僕の言葉に、緊張感満載だった夜一さんは、ホッとしたように笑顔になったんだ。
一般には、ソープって言うんだ。
お客さんは表向き、お風呂に入りにきて、僕はそのお手伝いをする。
表向き、はね。
表向きは、そうなんだ。
お客さんのお風呂のお手伝いをしていたら、つい………みたいな。
そういうことをするのが、ソープなんだ。
よく「風呂に沈めるぞ」って、武闘派な金融屋さんとかがいうセリフあるでしょ?
まさしく、その風呂がソープのことで。
僕はこのソープで男の人を相手にして、お金を稼いでいる。
なんで、こんなことをしてるのかって?
まさしく「風呂に沈められた」んだ、僕は。
父親がかなりだらしなくってさ。
かなり俺様的な性格で勤め仕事には向いていないから、転職を繰り返す。
雇われるのが嫌いだから事業を始めても、その性格が禍して、あっという間に火の車になっちゃって。
さらに馬鹿だから、ヤバイところからお金を借りてしまって………。
とうとう、家にまで武闘派な金融屋さんが来るようになってしまった。
「金返せねぇんだったら、お前の家族を風呂に沈めるぞ、ゴラァ」って言った金融屋さんに、僕の父親は………。
「どうぞ、どうぞ。それで俺が助かるんなら、いくらでも連れて行ってください。お願いします」
って、言ったんだよ。
もう、ね。
父親の信じられない言葉に呆れ果てて、白目むいちゃったよ、本当。
父親の言葉どおり、母親と妹は武闘派さんの知り合いに連れて行かれてさ。
僕は兄とタコ部屋にでも行くんだろうなぁ、ってぼんやり考えてて、そしたら、
「お前は俺と一緒に来い」
って武闘派な金融屋………鷹見さんに引きずられるように、僕は、ここ、ソープに連れてこられたんだ。
鷹見さんに連れてこられたから、必然的に僕の〝初めて〟は鷹見さんになってしまった。
お風呂でせめられて、ベッドでもせめられて。
混乱して僕は泣き叫んで……。
今、思えば。
鷹見さんは、優しかったと思う。
泣き叫んでうるさい僕を殴ることもなく、この仕事に慣れさせるように、その手の仕様で僕を抱いていたから………。
ぶっきらぼうだけど、僕のことを考えてくれていたんだなぁ、って思ったんだ。
僕はこの仕事でお客さんをとってお金を稼いで、鷹見さんに父親の借金を返す。
たまに鷹見さんが僕に会いに来て、「華、今残り五合目だ」って言葉を僕にかけて、僕を抱く。
きっと。
僕が逃げないように………僕に未来をチラつかせて、希望を失わせないように。
ビジネスで僕を抱くんだ、鷹見さんは。
鷹見さんの言う借金の残額の「五合目」は、未来永劫、上昇することはなく、僕が使い物にならなくなるまで、借金の残額は「五合目」なんだろう。
それに気付いたら、なんだか、人生が勿体なく思えた。
ここに縛られて、ここから出られないんなら、ここで楽しく生きよう。
グジグジして、誰かを恨んで生きるなんて、勿体ないって。
お客さんに対してもそう。
こんなとこでスレたヤツなんで抱きたくないだろうから、僕はいつもまっさらな状態でお客さんに接する。
初心な感じで、媚びずに、楽しそうに、笑顔で……。
「華さん、この曲、好きなんですか?」
緊張から少しずつ解放された夜一さんが、ベッドに腰掛けて、小さく口を開いた。
僕が消し忘れて、部屋に微かに鳴り響いている「夜の踊り子」。
雨の日にいつも聞くこの曲は、僕の心の柔いとこに刺さっちゃってて………雨の日は、とくに。
ずっと、聴いていたいって、思うんだ。
「はい。雨の日には、本を読みながらいつも聴くんです」
「晴れた、日は?」
「晴れた日は、新宝島とかモスとか………最近はUSを聴います。意外と流行りにのっちゃうんです、僕」
僕の答えに夜一さんが、声を上げて笑った。
……よかった、慣れてくれたみたいで。
夜一さんの笑顔は、優しくて、穏やかで。
なんだか、僕までホッとする。
「ダン・ブラウンを……読まれるんですね、華さん」
「『天使と悪魔』、なかなか読み終わらなくて....『インフェルノ』も買ったんですけど、まだまだ道のりは長いんです........僕、読むの遅いから。もう何ヶ月って読んでるんです。
夜一さんは、普段、音楽は何を聴かれるんですか?」
僕は夜一さんの膝の上に固く結ばれた拳に、そっと手を重ねた。
夜一さんが、少し驚いた顔をして僕を見る。
「え、と………俺は、よく洋楽を聴いてて………。結構、コアな洋楽なんで、誰とも話が合わないんです」
「僕、聴いてみたいなぁ。………もし、夜一さんが良ければなんですけど………。もし、次に僕が夜一さんと会えたら………。夜一さんの好きな曲、僕に聴かせてもらえませんか?」
夜一さんの瞳はびっくりするくらい澄んでいて……。
僕は吸い寄せられるように夜一さんの膝の上にのると、その冷たい頬を両手で覆って、赤ちゃんみたいに柔らかそうな唇に深めのキスをした。
シャワーの湯気で、顔が火照ってくる。
と、同時に夜一さんにぎゅっと抱きしめられて、中を強く、深く、突かれるから。
体の中から熱く、火照っててくる感じがして、気持ちいい。
ぎゅっとしてくる感じとか、密着して感じられる夜一さんの動きとか、恋人みたいに愛してくれてるんじゃないか、って錯覚してしまう。
優しい顔なのに体はしっかりしていて、僕の痩せぼっちな体をすっぽり覆い尽くす。
ほかのお客さんとは、どこか違う。
僕の感じるところを知ってるみたいで……。
鷹見さんに、なんとなく似てるんだ。
「よ……夜一、さ……んぁ」
「華さんの中、気持ちいい……」
「夜一……さん……も、いい……」
「………っ!!………華……さん」
「……はぁ、あっ……夜一さ……」
お客さんに突かれてイッたのなんて、初めてだ。
強いて言うなら、鷹見さん以外初めてで。
僕は我ながら、びっくりしたんだ。
あれかな………タイプの人だからかな………?
僕が、必要以上に感じてしまっていたのかもしれない。
そんな感じは、ベッドの上でも続いて。
相性が、ピッタリ………なのか。
時間いっぱい2人で喘いで、イかされて………。
すごく………楽しくて、幸せだったんだ。
だから夜一さんが帰り支度をするのを見ると、なんだかさみしくなってしまった。
僕は大きめのシャツを羽織って、夜一さんに微笑む。
「今日は、ありがとうございました。夜一さん」
「こちらこそ、ありがとう。華さん」
夜一さんに、もう二度と会えなくても。
夜一さんの肌の感触とか、吐息とか、突いてる感じとか。
幸せで、楽しい思い出ができたから。
それで、良かったんだ、僕は。
夜一さんが、思いもよらない言葉を言うまでは………。
「華さん、また来ます。
あと、華さんの本当の名前を教えてくれませんか?
俺、華さんのことが、たまらなく好きになってしまったから」
そう言って、僕を強く抱きしめて………。
僕の頭は真っ白になってしまった。
「華。なんかいいこと、あったか?」
鷹見さんは、やっぱりすごいな。
僕の少しの変化も見逃さない。
いいこと………が、あったわけじゃない。
あったわけじゃないけど、僕の心に残っていたドキドキ感が、体を重ねた瞬間から鷹見さんに伝わってしまったのかもしれない。
僕は体を起こして、鷹見さんの顔を見た。
鷹見さんの鋭い涼しげな目が僕をとらえると、僕の頭に軽くその大きな手をのせる。
「いいことじゃないんだけどな。
でも、鷹見さんには隠し事なんてできないね。
なんでも、お見通しだ」
「見りゃわかるよ、お前のことなんか」
「この間きたお客さんが変わった人で………。
初めてなのに、すごく上手だったから」
危うく………「本当の名前を聞かれた」って、言いそうになってしまった。
夜一さんに………夜一さんにあんなこと言われたら、いくら僕でもグラつかないわけがない。
本当の僕を知ってもらいたい、っていう欲求とふってわいた純愛のような出会いと。
なんでこんな僕に興味を持ったかわからないけど、正直、嬉しかったんだ。
本当の自分を閉じ込めて〝華〟として、この狭い空間だけで生きている僕に、外へと通じるドアの鍵を渡してくれたみたいで。
思わず………僕の本当の名前を、言ってしまいそうになった。
「俺より、うまかったのか?なんか、妬けるな」
「何言ってるの?鷹見さんには、誰も敵わないよ?」
鷹見さんは微笑んだ。
そして、僕を押し倒すと僕の中に指を入れて、僕が一番感じるところを、指で弾く。
そのまま僕の胸を舐めるから、僕は情けない声を上げてよがってしまう。
「こんな………こと、するの…鷹……見さ…ん、だけ」
「やらしいな、華。風呂ん中でも相当だっただろ」
「鷹見さ…んぁ、僕を……こんなに……したの」
僕は鷹見さんの肩に手を回して言った。
だって、嘘じゃない。
本当のことをだ。
他のどのお客さんより僕を知っているから、気持ちいいのは当たり前だ。
「かわいいこと、言うようになったな、華」
鷹見さんは僕の中から指を抜くと、少しずつ、鷹見さんのを僕に入れてくる。
僕が鷹見さんを全部咥え込むと、鷹見さんは激しく僕を揺さぶり出した。
僕の中が一気に熱くなって、奥深くに伝わる刺激が僕をより一層、乱してくる。
だから僕は、思わず腰を浮かせてしまって、鷹見さんにしがみつく。
「あっ……いぁ…や………」
「華、今残り五合目だ。………頑張れよ」
「ん………鷹…見さ……やぁ………」
そのセリフ、いつもの鷹見さんのそのセリフ。
僕の耳はそのセリフをしっかり拾って、そして、鷹見さんに体を預ける。
知ってる、鷹見さん。
大丈夫、わかってるよ。
僕は鷹見さんからもここからも、逃れられない。
ここで楽しく生きる。
そう決めてるから、心配しないで。
鷹見さん。
お風呂の小さな窓から外を見ると、しとしと、雨が降っているのが見えた。
さっきまで、晴れてたのになぁ。
今日は常連さんやご新規さんが朝からたくさんきて、でも、雨が降ってきたから………。
今日はもう、終わりかな。
お風呂掃除を終えた僕は、雨の日に聴くあの曲をかけて、読みかけの本を開く。
僕のささやかな幸せ。
これがあるから、僕はまだ、バランスを保っていられるのかもしれない。
今日は多かったからなぁ、お客さん。
少し………気持ちがすり減ってしまったんだ。
お客さんはみんな優しくていい人ばかりなんだけど、お客さんは全然悪くないんだけど。
こんな僕を指名してくれる、いい人ばかりだったんだけど。
初心な感じで、媚びずに、楽しそうに、笑顔を作ることは、簡単なことじゃなくて。
立て続けに入る指名に、ひと息つく暇もないくらい体を求められて、お客さんにも楽しんでもらうために自分も楽しく過ごしていたんだけど………。
さすがに今日は、正直、キツかった。
ーポタッ。
読んでいた本に、丸いシミが浮かび上がる。
あ、ダメだな。
なんで、泣いちゃうかな。
今、お客さんがきたら、イヤな気分になっちゃうじゃないか……。
慌てて涙を拭いた瞬間ー、
プルルルル、プルルルル。
ベッドサイドの内線電話の………冷たい音が。
僕の耳を貫いて、僕のスレた心に突き刺さる。
「はい、華です」
『常連さんがみえてるけど、大丈夫か?華』
「大丈夫です」
『今日は、多かったし……断ろうか、華?』
「大丈夫ですよ、とおしてください」
『無理するなよ』
「平気、大丈夫ですから。とおしてください、お客さん」
『………わかった。本当に無理するなよ』
「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫です。お客さん、お願いします」
僕は本をベッドサイドに置いて、お気に入りの曲を消した。
そして、立ち上がって、大きめのシャツを整える。
ガチャー。
ライトグリーンのメルヘンチックなドアが開いて、僕は条件反射的に笑顔を作って………。
………びっくりした。
夜一さん………だ。
「………お久しぶりです。夜一さん」
僕の声に夜一さんは、相変わらず瞳を小刻みに震わせて「華さん」って小さく言った。
「もう、来ないのかと思ってました」
「どうして?」
「………だって、僕はあの時、夜一さんを突き放したから」
あの時ー。
「華さんの本当の名前を教えてくれませんか?
俺、華さんのことが、たまらなく好きになってしまったから」って、夜一さんに言われて、嬉しかった………嬉しかったのに。
僕は夜一さんを傷つけるようなことを言った。
夜一さんに言われて、心が躍るくらい嬉しい言葉だったのに……。
夜一さんに、これ以上僕にハマって欲しくなかったんだ。
僕は夜一さんが考えているほど、いいヤツじゃないから。
「本当の名前は忘れました。
だから本気の恋愛はできないんですよ、僕は。
華、それ以外ないんです」
その瞬間の、夜一さんの見開いた目と悲しそうな顔が、今でも、胸に焼き付いて離れない。
だから、もう、夜一さんは二度と来ないと思っていたんだ。
夜一さんは僕の顔をジッと見つめて、力を込めて僕を抱きしめた。
「夜一……さ、くる……し」
「華さんを忘れることができなかったんです。あなたの声とか笑顔とか、日に日に鮮明に瞼の裏に焼きつくように現れて………会いたかった、華さん」
ノリで「華ちゃーん、会いたかったよー」なんて言ってくる常連さんはたくさんいる。
いるんだけど………いるんだけど。
「華さん………なんで、泣いてるんですか?」
「……泣いて、ません」
「泣いてます!!」
「……泣いてません」
夜一さんの視線を強く感じていた。
感じていたから、目を合わせることができない。
今、気付いた。
夜一さんが僕にハマったんじゃない。
僕が、夜一さんにハマっていたんだって。
ずっと、夜一さんに会いたかった。
ずっと、夜一さんに抱きしめられたかった。
お気に入りの曲と大好きな本と、夜一さんが。
いつの間にか、僕の〝幸せの一部〟になっていたから。
こんな………こんな、心がすり減った日に会いたくなかった。
弱い僕は、多分、夜一さんを全力で求めてしまうから。
「華さん」
夜一さんは囁くように僕の名前を呼ぶと、そのあったかい手を僕の頬に添えて、深くキスをした。
夜一さんの指が僕の濡れた体を滑るたび、僕は、今までに感じたことがないくらいビクビクしちゃって、ありえないくらい声が漏れてしまう。
夜一さんが好きでも。
夜一さんは恋人じゃなくて。
お客さん、だから。
ちゃんと僕の仕事をしなきゃいけないのに。
夜一さんに触れられたり、舐められたりすると、全身の力が抜けて、夜一さんに体を預けてしまう。
「夜一さん……ダメ。……僕、夜一さんを気持ちよく、させなきゃ……」
僕が跪こうとすると、夜一さんは僕の体を支えて阻止してきた。
「………しなくて、いいよ。華さん」
「ダメ……させて、夜一さん」
「今日は俺が華さんを気持ちよくさせるから、何もしないで」
「ダメ………だって」
「華さん、今日、疲れた顔してる」
……ドキッとした。
反動で、夜一さんの顔を見てしまう。
相変わらず澄んだ綺麗な瞳が、僕を射抜くように見つめるから………僕は、動けなくなった。
なんで、なんで、わかっちゃうのかな……。
鷹見......さん、みたい。
「今日は、俺に任せて」
「………夜一さん」
そう言って、夜一さんは僕の感じるところを、優しく、あったかく、せめてくるから。
頭がボーっとしてきて、体が沸騰するんじゃないかってくらい熱くなったんだ。
甘えて……いいのかな……。
夜一さんに委ねて、いいのかな.........。
「あぁっ……夜……一……さ……」
「華さん、俺には華さんの本当を見せて」
………僕の、本当?
どういう意味?
夜一さんは僕にどうしてそんなことを言うんだろう。
そうしているうちにも、夜一さんは僕に唇を重ねて舌を絡ませてきて、僕を下から激しく突き上げてくるから。
僕は夜一さんのもたらす快楽に、ズブズブに溺れてしまったんだ。
こんなに意識が飛びそうなくらい、感じたのは初めてだった。
いつもはお客さん優先で、お客さんを気持ちよくさせなきゃいけないから、こんな風に僕が乱れたら、かなりマズイ。
夜一さんに気が遠くなりそうなくらい喘がされた僕は、ベッドの上でぼんやり夜一さんの顔を見ていた。
「華さん、大丈夫?」
「大丈夫.......です。ごめんなさい、夜一さん」
「なんで謝るの?」
「僕、夜一さんに何もしてないから」
夜一さんは僕に向かって優しく笑うと、僕の頬にそっと手を重ねた。
そんなこと、しないでほしい。
そんなに優しくされたら、僕は、夜一さんに対する思いの丈を吐き出してしまいそうになる。
夜一さんが……好きだ、って。
でも。
この気持ちは、誰にも悟られてはいけない。
お店の人にも、お客さんにも、鷹見さんにも。
もちろん、夜一さんにも。
「そんなこと気にしないでいいよ、華さん。俺は華さんが気持ちよくなってくれたら、それだけでいいからさ」
「でも……」
「じゃあ、今度きたとき、お願いしていい?」
「………はい」
夜一さんは優しい顔のまま、僕にキスをした。
そしてまた、僕と夜一さんは深く絡まるんだ。
部屋の中まで雨の音が聞こえるくらい雨足が強くなった頃、夜一さんは帰っていった。
今まで明るかった部屋が外の雨の音を拾って、途端にくすんだように感じる。
僕はお気に入りの曲を流して、夜一さんの温もりと香りが残るベッドに体を投げ出した。
こうしていると、夜一さんがまだいるみたいで、すごく、幸せな気分になる。
夜一さんと、ちがうところで出会いたかったな。
誰のことも気にせず、何にも臆せず。
素直に夜一さんが好き、って言いたかった。
今の僕は、それすらもできない。
僕がその一言を発するだけで.......鷹見さんに迷惑をかける、夜一さんも困らせる。
あーあ、なんで……。
なんで、夜一さんを好きになっちゃったかな………。
なんで、夜一さんを幸せの一部にしちゃったかな……。
「………ーっ!!」
……何もしてないのに、夜一さんの笑顔がチラついて、苦しくなって、涙がでてきた。
今は……誰にも邪魔されずに、思い切り泣きたい。
夜一さんへの気持ちを僕の奥底に沈めて。
誰にも見つからないように。
誰にも触れさせることができないように……。
泣いて………もとの〝華〟に早く戻らなきゃ。
それが、誰も不幸にならない、誰も傷つかない方法なんだ。
「雨の日なら、結構、暇ですよ」
って、夜一さんに言ったら。
夜一さんは、だいたい、雨の日に来るようになった。
夜一さんは相変わらずストレートに僕に思いを伝えてくる。
その一方で、僕は、夜一さんへの思いを隠して、卑怯にも夜一さんの気持ちを利用して、僕の微かな欲求を満たしていたんだ。
「華、最近、雰囲気変わったな」
鷹見さんが、僕をまじまじと見つめて言った。
そして、僕を後ろから抱きしめる。
「そう?どんな風に?」
「なんつーか、儚くなったっつーか、色っぽくなったっつーか」
「……最近、お客さんが多いからじゃない?」
僕が後ろの鷹見さんを見上げると、鷹見さんは僕にキスをした。
………むさぼるように。
鷹見さんは、僕の舌を絡めとる。
「……ん」
ガッチリした筋肉質の左腕は僕をぎゅっと抱きしめて、大きな右手は僕の中の感じるところを指でせめるから......思わず、体が反り返った。
「……んぁ、鷹見…さん、激し……」
「激しいの好きだろ?」
「…ん、鷹見さんの……なら、好き」
「……っ!いつからそんな顔できるようになったんだよ、華」
「それは……鷹見さん……のせい」
鷹見さんは僕を壁に押し付けると、間髪入れずに僕の中にねじ込んで、激しく突き上げる。
「はぁ、っあぁ……や」
「いいか、華。夢なんか見るなよ。夢なんか見たら、ロクなことねぇからな」
「……わかってる。んぁ………そんなの、見たことないよ………」
わかってる、わかってるよ。
そんなこと。
僕は、夢なんか見てない。
誰かとどうこうしようとも、思わない。
気持ちを隠して、未来を諦めて。
今の一瞬、一瞬を楽しく生きるだけの僕に、夢を見る必要なんてないんだ。
「鷹……見さ……」
「なんだ、華」
「僕……疑われ……てる?」
「いや」
「ねぇ……もっと、もっと…強く……して」
僕の言葉に呼応するように、鷹見さんはより激しく僕の中に叩きつける。
………このまま、色々、忘れたい。
ここで働いていることも、色んな人に抱かれてることも。
夜一さんの存在すら、忘れてしまいたかった。
無に、なりたかったんだ。
今日は、朝から雨が降ってて。
夜一さんがくるんじゃないかなぁ、って思ってたんだ。
案の定、お客さんも少ないし。
僕はお風呂を洗ってから、お気に入りの曲を流して大好きな本を読む。
ガチャー。
突然、ドアが開いた。
「鷹見さん、どうしたの?」
ノックもなしに部屋に入ってきたのは、鷹見さんで……。
目つきがいつもと違う感じがして、僕は胸騒ぎがした。
「近くまで来たからな」
「そうなんだ」
お気に入りの曲を消して本をベッドサイドに置いたと同時に、僕は鷹見さんにベッドに押し倒された。
強い力で両手をベッドに抑えつけられて、僕の上にのっかる鷹見さんの目が熱っぽくて。
僕は、鷹見さんから目が離せなかったんだ。
「鷹見、さん?何?どうしたの?」
「妙な話を聞いたからな」
「妙な話?」
「客がお前に惚れてるって話」
「!!……誰が、そんなこと」
「なんだ、図星かよ」
「違う!!鷹見さん、違う!!」
ガチャー。
僕が必死で否定している時、また、ドアが開いて。
僕は思わず、ドアの方を見た。
………夜一さん!!
なんで!?
なんで、いるの?!
ドアノブを手に目を見開いて僕を見る夜一さんと、目があってしまった。
「華さん!!」
「夜一さん!!入らないで!!」
僕の声とほぼ同じく、鷹見さんが素早く動いて、夜一さんのお腹に重そうな拳を入れる。
本当、あっという間の出来事で。
次の瞬間には、背の高い夜一さんは苦しそうな表情をして、そのまま、床に倒れこんでしまった。
夜一さんに駆けよろうとした僕は、鷹見さんに羽交い締めにされて、またベッドに抑えつけられる。
「夜一さん!!」
「華……さん……」
「お前か、華に惚れてるって、奴は」
「違う!!鷹見さん、夜一さんじゃない!!」
「うるせぇな、だいたいわかってんだよ、華」
鷹見さんは自分のネクタイをスルッと外すと、それで僕の両手首を後ろ手に縛り上げた。
「鷹見さん!!やめてっ!!」
「なんだよ、俺と激しいことするのが好きなんだろ?華」
「やだっ!!離してっ!!」
僕は本気でやめて欲しかった。
鷹見さんにそんなことが通用するハズないって、わかってたんだけど、それでも、夜一さんには僕のそんな姿を見られたくなかったから……。
僕は必死で身をよじって抵抗したんだ。
鷹見さんは僕を抑えつけて、僕の中を指で必要以上に弾く。
「あっ……や…め、鷹…見……さ」
「なんだ?まだ足んねぇか?華」
「いやぁ!……や…だぁ………やぁ」
痛いのに………感じてて。
夜一さんがそこにいるから、やめて欲しくて。
夜一さんに、僕を見ないで欲しくて。
悲しくて………。
苦しくて……涙がでてきた。
夜一さんのいる方を見れない……夜一さんと目を合わせたくない。
もう、やだ......。
鷹見さんの指が抜けて、代わりに鷹見さんのが優しさのかけらもなく、僕の中にねじ込まれる。
「あぁ……やっ!!やめ!!」
鷹見さんは激しく僕を揺さぶりながら、僕の髪を掴んで強引にベッドから僕の顔を引き剥がした。
「あっ!!」
………夜一さんと、目があってしまった。
泣きながら喘ぐ僕を、夜一さんは軽蔑するかのような目で見ていて………。
心底。
この場から。
消えたいって、思ったんだ。
「………見……ないで…僕を……見ない……で」
「いい機会じゃねぇか?お前の淫乱なとこ、知ってもらえよ、華」
鷹見さんはそう言って、僕の髪を掴んだまま、僕の中の深いところを痛いくらい突き上げてきた。
僕は、ずっと泣いていた。
鷹見さんに深いところで 、何回もイカされて。
鷹見さんのを口に押し込まれて、白いのが口から溢れ出す。
その間、僕は、夜一さんの冷たい視線をずっと感じていた。
僕は鷹見さんにぐちゃぐちゃにされて………。
壊されそうなくらい、鷹見さんに抱かれて………。
気がついたら、夜一さんはいなくなっていて………。
全身が痛くて頭もはっきりしないのに。
僕のささやかな幸せとか、大事にしていた色んなものが、終わっちゃったんだ、って確信した。
鷹見さんは僕の両手首を縛っていたネクタイを外すと、今までの行為が嘘みたいな、優しい手つきで僕をそっと抱きしめる。
僕はまだ呼吸が整わなくて、体も痛くて、鷹見さんに体を預けた。
「………こうでもしなきゃ、あいつはお前を諦めないって思ったんだよ」
鷹見さんはその大きな手で僕の頬をそっと撫でた。
「華……。辛いことして、ごめんな」
そして、鷹見さんは僕に優しく唇を重ねる。
「好きなんだ、華………。初めて会った時から、お前が好きなんだよ」
………信じられない、言葉。
僕の耳を通して、その信じられない言葉は僕の頭に届いていた。
僕の頭は、キャパを超えていて、その言葉に対して何も考えられず、何も感情ももたずに。
ただ、呆然と。
呆然と。
僕は鷹見さんに抱かれていたんだ。
少し経って。
僕の幸せの一部がなくなった以外は、また前の生活に戻って、僕はまた、一瞬一瞬を楽しく過ごしていた。
ぼんやりした頭で聞いた鷹見さんの告白も、なんだか夢のような気がして、鷹見さんもあれ以来何も言わないから、僕もあえて何も聞かなかったんだ。
僕に会いに来る頻度が高くなって、鷹見さんに抱かれる回数は増えたけど、特に何もないから、前の関係のまま、鷹見さんと接していた。
なんていうか。
人を好きになるのが、怖くて。
これ以上、好きなモノを増やすのも、怖くて。
好きになる感情を胸の底に沈めて、シャットアウトしたんだ。
お風呂掃除をしていたら、お風呂の小さな窓から雨が降っているのが見えた。
………雨、か。
雨の日は好きだったんだけどな。
今は、なんの感情も湧かない。
ただ、お客さんが少ない日だなって、それだけ。
お気に入りの曲も、大好きな本も変えて。
特に感情も揺さぶられないまま、僕は雨の日を過ごす。
プルルルル、プルルルル。
ベッドサイドの内線電話の………冷たい音が、僕の耳に入ってくる。
「はい、華です」
『……常連さんがみえられてるけど』
「わかりました」
『華……今からあることは、俺と華の秘密だからな』
「え?どういうこと?」
『いいな、華』
一方的に電話を切られて、僕の頭は疑問符だらけだった。
ガチャー。
ライトグリーンのメルヘンチックなドアから現れたのは………。
「………夜…一さん」
背が高くて、キレイな目をした……。
相変わらず、優しい笑顔を浮かべた、夜一さんが、そこにたっていたんだ。
「なんで……きたの?」
僕の声は自分でもびっくりするくらい、かすれていた。
「華さんに会いに」
夜一さんは優しく笑ったまま僕の頬に触れると、全然変わらない、あの時のままの感じで、僕をぎゅっと抱きしめたんだ。
「………きたら、だめだよ」
「どうして?」
「僕は夜一さんが思ってるようなヤツじゃないって、分かったでしょ?
色んな人と肌を重ねて、お金のためになんでもする。
それが僕の全てなんだ。
夜一さんの気持ちにも答えられない。
だから、もう、僕をほっといて」
泣かない、って。
何があっても泣かない、って決めてたのに。
夜一さんに抱きしめられていると、夜一さんの声を聞いていると。
どうしても、涙があふれて止まらない。
………諦めていたのに。
………もう、好きじゃないって思ってたのに。
僕はまだ、夜一さんが好きなんだ。
夜一さんに抱きしめられると、僕はまた期待をしてしまう。
夜一さんに優しくされると、僕はまた弱くなってしまう。
……ダメだ、優しさに甘えちゃダメだ。
僕は、その体を押した。
優しく抱きしめてる感じなのに、僕が押しても夜一さんの体はビクともしなくて、イライラして、逃れるようにその腕の中で暴れたんだ。
「華さん!」
「帰って!帰ってよ!」
「なんで?!華さん!俺の話を聞いて!」
「話なんて聞きたくない!……聞きたくないよ。これ以上、僕を、苦しくさせないで……お願いだから」
「……華さん」
夜一さんの腕の力が抜けた感じがして、僕は夜一さんの体をありったけの力で押した。
押して、夜一さんの体が壁についたところで、感情がいっぱいいっぱいになってしまって……。
僕は限界だったんだ。
「……やだ、もう……やだ!!」
子どもが駄々をこねてるみたいに、僕は夜一さんを叩いて、そのままの勢いで夜一さんをドアの外に追い出して鍵をかけた。
『華さん!!』
ドアの向こう側で僕の名前を呼ぶ夜一さんの声が何回も何回も、何十回も、聞こえて。
そうしているうちに静かになって、僕は1人になった。
全身の力が抜けて、気力もなくなって。
僕は、ベッドに崩れるようにもたれかかった。
「う……う、わぁーっ!!」
恥ずかしげもなく、僕は声を上げて泣いた。
悲しいとか、ツラいとか、苦しいとか、そんな自分本位の感情じゃなくて。
これで良かったんだ、って自分を懸命に正当化しようとすればするほど、夜一さんをまた傷付けたって事実に、僕は耐えきれなかった。
こんなに声を上げて泣いたのって、こんなに子どもみたいに泣いたのって、ガキの頃以来で。
ずっと、ずっと。
僕は、ただ声を上げて泣いていたんだ。
「華、たまには外でメシでも食おうか」
いつものように僕を抱いたあと、僕の体の輪郭をゆっくりなぞって言った鷹見さんの言葉に、僕はびっくりしすぎて絶句してしまった。
「なんか食いたいものとか、あるか?」
「……どうしたの?急に」
「たまにはいいだろ?で、何が食いたいんだ?」
「別に、特にないよ」
「はっきりしろよ!ったく!じゃあ、なんでもいいんだな?!」
「うん」
「あとで文句言うなよ。わかったら、さっさと支度しろ」
………外食なんて、最後にいつしたかって記憶すらないよ。
住み込んでる部屋に向かう途中、「華!たらたらすんなよ」って鷹見さんの声が聞こえて、僕は弾かれるように走り出したんだ。
着替えて再び鷹見さんの前に現れた僕を見て、鷹見さんは、頭を抱えてため息をついた。
しょうがないよ、だって、僕、服持ってないし。
ボーダーのよれた長袖Tシャツに元はブルージーンズだったケミカルウォッシュのジーンズ、それにくたびれたローカットスニーカーのどこがいけないんだよ。
仕事ではいつも大きめのシャツを1枚着てるだけだし、1年に一回、服を買えばいいほうで。
本だって、古本屋さんで買うくらいだし。
唯一の娯楽といえば、スマホで音楽をダウンロードするくらいでさ。
「華……。俺ぁ、お前から全部搾り取ってるわけじゃねぇだろ?
着るものには困らないくらいのマージンをやってるじゃねぇか」
「だって、貯金してるし」
「貯金?!」
「コンビニで貯金できるでしょ?」
「そうじゃねぇだろ。なんで貯金なんか……」
「いつかさ、兄妹に会える時がきたら、渡そうと思って。お金」
「華、お前なぁ」
「お金で苦労してるからさ、僕たち。
兄妹にはこれ以上、お金で苦労して欲しくないんだ。
それでね、僕っていう兄弟がいたっていうのを、思い出して欲しいんだ」
兄妹に会えたとしても、僕はもう、一緒に暮らせない。
僕がどんな方法でこのお金を稼いだかっていうのも、知られたくない。
だから、一目会えたらそれでいいし、会えた時にそのお金を渡したい。
もう、お金で泣いて欲しくない。
「いい天気だね。お日様の下を歩くのって久しぶりだ………。外食、誘ってくれてありがとう、鷹見さん」
僕はいつも深夜か空が白み出した頃しか外に出ないから、明るい空の下を歩くのが本当に嬉しくて、ついつい足取り軽く、歩いちゃったんだ。
僕たちはしばらく歩いて、お店からもだいぶ離れた雰囲気のある〝料亭〟っぽいところについた。
鷹見さん、ちゃんと言ってよ。
言ったからって、僕の現状は変わらないけどさ。
心構えってもんがある。
鷹見さんは慣れた感じで門をくぐって、洗練された所作で料亭に入る。
僕はというと、挙動不審にキョロキョロしちゃってさ。
人生、何がおこるか、本当、わかんないな。
借りてきた猫みたいに鷹見さんのあとをくっついて歩いてたら、長い廊下を歩いた先の1番奥の部屋に通された。
「鷹見さん!ちゃんと言ってよ!僕………」
鷹見さんに突っかかりながら、部屋に入って………。
思わず、息を飲んだ。
だって、だって、信じられない人がいて……。
僕を見て、優しく笑ってて。
「夜……一さん………。なんで……?」
僕の頭は真っ白になってしまって、その場に立ち尽くしてしまったんだ。
✳︎
華さんが辛そうな顔して泣きながら、俺を部屋から追い出して鍵をかけてしまった。
「華さん!!」
俺が何回も何回も、ドア越しに叫んでも何の応答もないから、俺はひたすら華さんを呼び続けたんだ。
「おい、お前ぇ、性懲りもなく何してやがる」
背後から響く低い声に、俺は思わず振り返った。
あ、こいつ!!
俺を殴ったやつ!!
華さんを縛って、言うことを聞かせて、ここに止まらせている張本人を前に、俺は、血が逆流する感覚に陥った。
陥ったんだ。
陥ったんだけど………ちょっと、まてよ?
これは、ひょっとしてチャンスなんじゃないか?
って、変に冷静になったんだ。
そう考えていた矢先、華さんのいる部屋から泣き声が聞こえた。
子どもみたいに………。
声を上げて………華さんが泣いてて……。
俺と俺を殴ったやつは、思わず、顔を見合わせた。
その華さんの泣き声で、俺は腹をくくった。
「すみません!!はじめてじゃないですが、はじめまして!!俺、雨宮って言います!!ちょっと、俺に付き合ってください!!」
俺はそいつの腕を強引にホールドすると、そのまま出口に向かって歩き出す。
「おっ?!おいっ!!お前ぇ、何すんだ!!」
「暴れないでください!!俺、こうみえてもブラジリアン柔術してます!!このまま、腕キメますよ!!」
「おっ!?………おう、わかったよ。わかったから、にいちゃん冷静になろうぜ」
「俺はかなり冷静です!!
冷静ですから、俺と一緒に飲みましょう!!」
「はぁ?!」
「言うことを聞いてください!!聞かないと……」
「わかった!!わかったから!!」
よく、考えると。
かなりありえないんだけど。
俺はヤクザ崩れの腕を掴んで、「一緒に飲みましょう!!」を連呼しながら、一心不乱に歩いていたんだ。
「苦手なヤツと腹を割って話すには、まず酒に強く慣れ!」って言う父親の格言に、俺は今、かなり助けられている。
酒に飲まれない体質に産んでくれてありがとう、父さん、母さん。
「真面目なだけかと思ったら、お前ぇ、結構おもしれぇんだなぁ」
「バカ真面目なんですよ、俺。高校の時なんか、〝一直線、雨宮〟って、あだ名つけられてましたから」
鷹見って名乗ったヤクザ崩れは、俺の話に顔を崩して笑う。
「だから、華さんに対しても真っ直ぐなんです。これだけは、あなたにも負けません」
「華はお前みたいなボンボンが相手出来るようなヤツじゃねぇよ」
「借金………あと、どれくらいなんですか?」
一瞬、鷹見の顔つきが変わった気がした。
「華が、言ったのか?」
「華さんがそんなこと言うわけないじゃないですか。………本当の名前すら、教えてくれないのに」
あの時。
本当の名前を教えて、って言った俺に、華さんはすごく切なそうな顔をした。
その瞬間、華さんを守ってあげたいって思ったんだ、俺は。
そして、その表情を見て、自らここに来たわけじゃないってピンと来た。
止むに止まれぬ、借金とかそういう事情で、ここにこらざるをえなかったんだって。
華さんを抱いてる時だってそう。
気持ち良さそうに喘いでいるのに、抱かれていることを忘れているかのように、ふっと、泣きそうな顔をする。
考えてることが知りたくて。
抱えてる辛さを取り除きたくて。
だから、名前でも、中身でも、華さんの本当が知りたかったんだ。
「借金の残額聞いて、どうすんだよ」
「貯金とか多少あるんです、俺。足りなかったら、給料から半分持ってってもらっても構いません。ボーナスなら全額持ってってもらってもいいです。華さんの近くにいなくてもいい。少しでもいいから、華さんの人生にからんでいたいんです、俺」
「あまちゃんだな」
鷹見は、日本酒を口に含みなが言った。
「でも、華がお前ぇを好きになった理由がわかったよ」
「え?」
「華、雨宮のことが好きだよ」
✳︎
華は初めて会ったときから、俺の心を揺さぶってきたんだ。
俺らが華ん家に乗り込んだ時も、恐怖でガチガチに震えてる親兄弟を尻目に、怖がりもせず、ただ、ジッと俺たちを見ていた。
目の前の現実を静かに受け止めて。
真っ直ぐな目をしていて、綺麗な顔をしていて。
抱いたら、どんな顔すんのかなってさ。
だから、父親の借金にかこつけて、無理矢理風呂に沈めて抱いてやったんだ。
はじめは、手ェつけられないくらい泣き叫んでたんだよ、華は。
そのうち慣れて俺を信頼して、笑顔まで見せてくれるようになってよ。
俺に喘いで感じて、なのにスレた感じなんかおくびにも出さずに、素直に笑う。
俺は、そんな華にハマっちまったんだ。
華を近くに置いておきたくて、借金の残額をごまして、ガチガチに外堀をうめて。
俺しか見えないようにして、華に惚れてもらいたかった。
だから、華に惚れたヤツができた時、すぐ分かった。
ムカついたな、本当。
なんで、俺じゃねぇんだよ、って。
両方とも諦めさせるために、華の惚れたヤツの前で華を犯した。
華を縛り上げて、これでもかっていうくらい、華を壊してもいいっていうくらい、激しく抱いたんだ。
あんな、華の顔、初めて見た。
泣きながら、苦しそうな顔してんのに、ひたすら目の前のヤツのことを思いながら犯されてて。
ガラにもねぇ………。
こんなに、後悔したのは初めてだったんだ。
ヤツの代わりになりたかったんだな、俺は。
でも、ダメだったんだよ。
いくら俺に抱かれて、俺を頼るように笑っていても、華の腹の底には、目の前のバカ真面目だけが取り柄のようなこいつがいて。
華を俺のものにしても、一生かかっても心までは手に入んねぇなって、思ったんだ。
✳︎
「なんで……夜一さんが、ここにいるわけ?」
あまりのことに僕は混乱して、腰が抜けたみたいにその場にへたり込んでしまった。
そんな情けない僕に、鷹見さんはしゃがんで目線を合わせる。
「華……もう、帰んなくていいぞ」
……え?
どういうこと……?
「終わったんだよ、全部。それにもう、お前は華じゃねぇ。本当のお前に戻んな」
混乱している上に、さらに鷹見さんに混乱することを言われて……。
終わったって、借金のこと……?
華じゃないって……。
もう、お客さんを取らなくていいの.......?
いろんなことが一気に襲ってきて、僕は、いつの間にか泣いていたんだ。
「あいつに感謝するんだな」
鷹見さんは僕の肩に優しく手を置くと、部屋から静かに出て行った。
鷹見さん……。
きっと、僕はもう、鷹見さんに二度と会えない。
ちょっと、待ってよ。
僕は、鷹見さんにちゃんとお礼も言えてないのに。
今すぐ追いかけて、鷹見さんの手を握りたかった。
そして、ありがとう、って言いたかったのに……。
僕の足はガクガクして立たないし、嗚咽がひどくて言葉がでない。
「……たかっ…み、さ」
「鷹見さん、いい人だね」
夜一さんが僕の肩をそっと抱き寄せた。
それが、火のついた導火線だったんだ。
胸の奥底に沈めた夜一さんへの気持ちが、速くなる血流にのって一気に上昇して、花火みたいに爆発して。
僕は夜一さんにしがみついた。
「夜……一…ぇっ……さん」
「俺の腹に一発ぶち込んだ時は、めっちゃ腹たったけどさ」
夜一さんの言葉に一瞬、思考が止まっちゃって。
気付いたら、2人しておでこをくっつけて笑ってたんだ。
「僕、千に花って書いて〝ちはな〟って言うんだ」
自分の本当の名前を言うのはかなり久しぶりで、少し緊張した。
「〝花鳥風月〟なんだよ、父親以外の僕の家族。母親が千鳥で、兄が千風、それで妹が千月。変わってるでしょ?」
僕と夜一さんは料亭をでて、夜一さんの家に向かった。
僕が1日の大半を過ごしていた殺風景な部屋とは大違いで、あったかくてホッとする、そんな家だったから、僕はまた、泣きそうになったんだ。
「素敵な名前」
夜一さんはそう言って優しく僕にキスをする。
「夜一さんは?夜一さんの名前の由来は何?」
「聞いたら、笑うよ?」
「何?教えて」
「父親がアラビアン・ナイトが好きでさ。兄貴は千に夜って書いて〝かずや〟って名前なのに、俺の時になって何故か一捻り加えちゃって、それで、夜一なんだ。
おかげで、与作に間違われるし………。面白いでしょ?」
僕は首をふる。
「素敵だよ。僕は大好き」
夜一さんの体に手を回すと、僕を引き寄せて直に肌を密着させる。
近づいた唇が吸い寄せられるように、重なり合って、深く舌が絡み合う。
なんか、へんな感じ。
いつもは、お客さんを楽しませてることを考えて、肌を重ねていたのに……。
もう、何も考えなくていい。
ただ、ひたすらに、本能のままに感じて、よがって、夜一さんを求めればいいんだ。
「あ……ん…そこ………やぁ」
夜一さんの指が僕の中の1番弱い部分を煽るから、腰が浮いて、足に力がはいる。
「千花、入れるよ」
千花……。
千花って、呼んでくれた。
その一言だけで、嬉しくて。
中に入れられて、奥深くをかき乱されるだけで。
僕は本当に自由になったんだって実感して、夜一
さんにしがみついて、泣いちゃったんだ。
久しぶりに聞いた「夜の踊り子」。
気持ち良さの余韻に浸って、僕は夜一さんに体を預けていて、夜一さんは後ろから僕の体をそっと抱く。
「先輩にからかわれたんだよ、〝お前、風俗行ったことないのか〟ってさ。頭にきちゃって、勢いで入ったとこが男性専用で。俺何やってんだって、凹んでさ。もう、後には引けないから、半ばヤケクソで部屋に入ったら、千花がにっこり笑って立っていて……。俺、一目惚れだったんだ、千花に。まさか、今、こんな風に一緒に過ごせるなんて夢にも思ってなかったけど。俺、今、千花がここにいて、すごく幸せだよ」
「僕も………僕も、すごく幸せ」
僕らの出会いはいつも雨の日で。
雨が巡り合わせてくれたんだけど………。
でも、鷹見さんがいなかったら、一生出会わなかったわけで。
色んな偶然と必然が折り重なって、初めて、僕たちが出会う奇跡が起きたんだ。
どのピースがかけても、きっとこんな風には出会わなかったんだと思う。
一期一会……。
すごいな、雨と、人とが、交錯して。
奇跡を生まれるんだ。
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