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『いい夫婦の日』side大和(1)

「じゃあ、戸締まりよろしくね」 「はいはい」  毎年のこととは言え、こうやって嬉しそうな表情を隠すことなく見せてくるので、息子である俺の方が恥ずかしくなる。 「寂しかったら、電話していいからね。明日の朝には帰ってくるからね」 「母さん、俺もう高校生なんだけど」 「でも、今年はおじいちゃん家じゃなくてお家に一人だし……!」  母さんが普段とは違うふわりと舞うような甘い香りをさせ、不安げな表情を一変させる。 「?」 「そうだ!伊織くん、呼びましょ!」 「は?」  俺が驚いて動きを止めている間に、普段家の中では決して見られない素早さで母さんはスマホを取り出すと、俺が止める間もなく電話をかけ始めた。 「あ、もしもし?伊織くん?」 「!?」  まるでクラスメイトに話しかけるような気軽さで母さんが伊織の名前を口にする。 「うん、うん、そうなの。それでね……」  通話を終えた母さんが赤く塗られた唇の端を持ち上げて、抵抗することさえできなかった俺を見て笑う。 「すぐ来てくれるって。よかったね、大和」 「……」  もう何を何から言えばいいのかわからなくなった俺は「……待ち合わせ、大丈夫?」とシューズボックスの上の置き時計に視線を移した。 「!!」  ドアを開けて飛び出しかけた母さんがゆるく巻かれた毛先を弾ませて振り返る。 「いってきます!」 「……いってらっしゃい」  俺の言葉に笑顔を向けてから駆け出した母さんの背中は、とても小さかった。  いつからだろう?  俺が母さんの身長を抜かしたのはいつだったっけ?  一緒にいるとその変化を見過ごしがちだけれど、変わらないものの方がきっと少ない。  昼間とは異なる低い気温に、俺はドアを閉めながらそんなことを考えていた。  俺の伊織に対する気持ちもいつから変わったのだろう……と。  ピンポーン。  母さんが出ていってから15分ほどで間の抜けたような軽い高音が家の中に響き渡る。 「はーい」  適当につっかけたサンダルの冷たさに足先が震える。  先ほど母さんを見送ったドアを開けると、深緑色のマフラーを首に巻いて、両手を黒のパーカーのポケットに突っ込んだ伊織が「大和って、一人で留守番できないの?」と意地悪く笑って立っていた。 「っ、……とりあえず入れよ」  言いたいことはたくさんあったが、俺はそれらの言葉を飲み込む。  小さな外灯の下、伊織の鼻先が赤くなっていたから。  マフラーに隠しきれない呼吸が、弾んでいたから。  いや、何よりも夜の冷たく暗い空気の中に伊織をとどめておきたくはなかったから——

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