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『誕生日*翌日』side伊織
「!」
握り返された倍以上の力で、俺は自分からその手を振り払った。
その瞬間の大和の表情 を見るのがこわくて、振り返った大和を追い越すように足を進めながら、必死で言葉を紡ぎ出す。
「もう十分温まったからさ、もう大丈夫だからさ。だから、ほら、早く並びに行こうぜ」
「……」
振り返ることはできない。
それでも、歩き出した俺の後ろを変わらずついてきてくれている気配だけはする。
「今日、ほんと寒いよな。最高気温、何度なんだろう?」
「……」
振り返らずに喋り続ける俺に、大和は何も言わない。
「あ、そういえばお昼どうする?何か食べたいものある?」
「……」
返事すらしてくれない大和に、それでも俺は話し続ける。立ち止まることも、その顔を確かめることもできないくせに、静かな時間が訪れるのがこわくて、泣き出しそうになる心に必死でフタをする。
「あ、やっぱりさっきよりも並んでるな。これは結構待ちそうだなぁ。あ、大和先に並んどいてよ。俺、ちょっと温かい飲み物でも買ってくるからさ。ほら、さっき大和が奢ってくれたから、今度は俺が大和の分も買ってくるから」
「……」
「それとも、大和が買ってくる?また大和の奢りになっちゃうよ?」
「……」
順番待ちのざわめきに加わるように、列の最後尾で足を止める。
俺よりもひと回り大きな大和のスニーカーが俺の隣に並ぶ。
「あ、じゃあ、大和よろしくね。俺、飲み物買ってくるから」
そう言って、並んだばかりの列からはみ出した俺に、聞き逃してしまいそうなほど小さな声で大和が「……ごめん」と言った。
「!」
その消えそうなほど微かな声に、俺はようやく大和を振り返る。
けれど、大和の顔は俺を避けるように遠くに向けられていて、20センチの身長差がその表情を隠していた。
俺が見上げても、大和が俺を振り返ることはなかった。
大和はもう何も言ってはくれない。
いや、俺が言わせないようにしたんだ。大和があの時、どうして握り返してくれたのか、その意味を確かめる前に、それを理解する前に、俺が逃げ出したんだ。
「……俺、行ってくるから」
そして俺はジェットコースターを楽しみにはしゃぐざわめきから足を遠ざけた。大和を一人残して。
「……っ、」
寒さではない、体の内側から集まる熱で鼻の頭が赤くなる。
今、泣いていいのは自分じゃない。
今、傷ついているのはきっと大和の方だ。
そう頭ではわかるのに、こみ上げる苦しさは収まらない。
どうして、あんなことをしてしまったのか、自分でもわからなかった。
こんな思いをするなら、こんなことになるなら、手なんか冷たいままでよかったのに。俺が繋いだりしなければ、大和だって、いつもと同じようにただ笑ってくれていたはずなのに。
——違う。
それは、単なるきっかけに過ぎない。本当はどこかで気づいていたじゃないか。
どんなに俺が変わっても受け入れてくれる大和に自分は甘えたのだ。自分が変わることを止めることはできないのに、そんな自分を受け止める大和は変わらないままでいてくれるのだと、そう勝手に決めつけて。それなのに、大和が変わろうとした途端、俺はその手を振り払った。散々、好き勝手やって甘えてきたくせに、いざ自分がそれを受け止める側に回ったら、こわくなった。居心地のよかった場所も、楽しいだけの時間も、壊れてしまう気がして、こわかった。
——そうやって自分を守ることに、自分の世界を守ることに必死で、俺は、一番大切に思っているはずの大和のことを、自分の手で傷つけたんだ。
「……ごめん、大和」
こんなところで言ってみても聞こえるはずはないとわかっているけれど。
そう零《こぼ》さずにはいられなかった。
「おぉー!すっごい進んでるじゃん」
「どこまで買いに行ったんだよ。時間かかりすぎだろう」
両手に持ったカップの中身を零さないように気をつけながら、俺は大和の隣で足を止める。
「いや、こんな進んでるとは思わなかったからさ。見つけるのに時間かかっちゃって」
「こっちはずっと並んでて、すげぇ体冷えてんだからな」
そう言って大きな体を縮める大和に俺はコーヒーの入ったカップを渡してやる。
「ごめんて。ほらコーヒーやるから」
大和はプラスチックの蓋を外すと、風に揺れる湯気を吸い込んでから口をつけた。
そして一口飲み込んですぐに、俺を振り返る。
「……ぬるいんだけど」
「え、あれ?ほんと?いやぁ、今日寒いからなぁ」
そう言って自分用に買ったココアを一口飲んでみると、息を吹きかける必要もないほど飲みやすい温度になっていた。
「確かにぬるいな」
少しだけ進んだ距離を埋めるように足を動かしながら俺が呟くと、大和も隣を歩きながらコーヒーをすする。
「じゃあ、お昼は伊織の奢りな」
「は?なんで?」
ぬるいけれど、それでも消えてはいない温かさを飲み込みながら、俺が大和を見上げると、大和は呆れたように小さく笑いながら「当たり前だろう。こんなんじゃ、ちっとも温まらないだろうが」と言って、カップを傾ける。
「いやいや、よく考えて。大和、俺、ってきたら順番的に次は大和が奢る番だろうが」
「いや、そんな順番聞いてないし」
「言ってないし」
「……」
「……」
お互いの視線が飲み物をすする音とともに重なる。
気づけば、前に立っていたカップルとの間にぽっかりと空間ができていた。
「あ、大和、前詰めないと」
そして、俺は空いている方の手で、大和のコートに覆われている腕にそっと触れる。
こわい。
本当はこわくて仕方ない。
これで、今度は大和が俺の手を振り払ったら、と思うと本当はこわかった。
だけど、こうでもしないと、いや、こんな些細なことでしか、今は伝えることができない。いや、伝わるかどうかさえもわからないけれど、これが今の俺の精一杯だった。
「……あ、ほんとだ。気づかなかったわ」
大和は俺の手を振り払うことはしなかった。
俺の手に押されるように、ゆっくりと歩きながら、冷めてしまったコーヒーを飲み込む。
見上げることしかできない俺には、その表情 を確かめることはできない。
「……」
拒まれなかっただけ、マシなのだ。
たとえ、今触れている腕の先、その大きな手がコートのポケットにしまわれたままであったとしても——
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