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第1話
春木闇彦の家は、土間がある。
黒い粘土のようなものでできている土間は、畳12畳はあるかと思うような大きな土間で、
春になると、ここで電動のものだが、餅つきをする。その、餅が旨い。祐一は知っている。
土間の家のあるじ、闇彦先生は小説家である。
結構売れているのだが、田舎で過ごしたいといって、ド田舎の中古の襤褸平屋を買った。
的場祐一は、親戚の子だ。両親が死んだこともあって、根暗な少年だ。
可愛くない、ひねくれものですよ、
と、祐一を紹介する時、闇彦は言う。どちらかというと、可愛くなくて、ひねくれものは闇彦先生のほうだと思うのだが、あえて口を挟まない。先生の機嫌を損ねると、ご飯を作ってくれなくなるからだ。
ゴロゴロゴロ…
また、空で雷が鳴っている。雨が近い。
今年は雨が多い。洪水にならなければいいが。
ごほごほ、と祐一は咳をした。親を事故で無くしたうえに、生来体が弱い。
「君は、具合が悪いだろう?引っ込んでなさい」
様子を見に、土間のある玄関にやってきたら、しっしっと追い返されて、台所にあがった。
新しい編集になって、相手をしているうちは、先生は機嫌が悪い。
編集が新しくなったのは、出版会社の勝手であり、先生はその出版会社ではもう書かないという。
しかも、その編集が妙にネアカで先生を持ち上げるのが上手いため、いつも、玄関に編集が来るたびに、書くだの書かないだのの押し問答が激しいのだ。
朝ご飯を食べてなくて、腹の虫もゴロゴロと鳴る。
先生なんて死んでしまえ。
たまに思う。
親が死んだことで、こうして親戚の家にお世話にならなければならないことに対する恨みだ。
自分の世話をするのは、先生しかいないというのにね。
我ながら、身勝手だと思うが、親が死んだという事実は少年の心に大きな傷を作り性格をそういうことを思うようにゆがめてしまった。
両親は目の前で亡くなった。
交通事故だった。旅行から帰ってきて、家の前の大きな曲がり角で、威勢よく走ってきたスポーツカーが対向車線をはみ出して、両親の車は壁に激突して大破した。
両親とも即死だった。
そうしてから、葬式が済んで、親戚の家を盥回しにされるうちに、闇彦先生に預かることことで落ち着いたのだ。
ここ名池町は、小さな田舎町だ。
海抜が低く、津波が来ると一完の終わりだと言われている。
漁業が盛んで、町の南の方は浜来市のベッドタウンと化していて、東の方に行くと、巨大な商業施設があり、なにもないこの田舎の人々はそこに買い物に出かける。一転して、町の北の方に行くと、稲作が盛んで、夏になると青々とした稲のベッドが現れる。西の方は湾である。
静かな田舎町…かと思ったら、結構、町の人の気性も荒ければ運転も荒く、警察が狭い町の中をしょっちゅう取り締まりをしている。先生は、黒のベンツを持っていたが、ここに引っ越すときに身を隠すためにと、町の道が狭いために軽の自動車を買ってそれで僕を雨の日になると学校まで送ってくれる。
そんなことをつらつら考えて居る間に、編集さんは帰ってしまったのか、闇彦先生が台所に上がってきた。
「あの男はしつこいね」
先生はぶつぶつ言いながら、手にカップラーメンを二つ持った。
また、カップラーメンか…
文句の一つもいいたくなる、ここの所、お昼は毎回カップラーメンになっているからだ。
先生は好きかもしれないが、祐一はあまりカップラーメンのぼそぼそした感触が好きではなかった。
土間を上がると、北側に台所があって、西側に居間がある。東側が便所で今の時代にボットン便所だ。日の当たる南側が玄関である。家の前は別の家があって、そこが狭い通り道に黒い夏の影を落としている。
「先生、僕もう、カップラーメン、嫌です」
「なんだい、口答えか、可愛くない子供だな」
「だって仕方ないでしょう、僕みたいなのは心に傷のあるアダルトチルドレンみたいなものでしょう?戦争は、人を大人にする、と、どこかのドラマで言っていましたけど、僕も、両親が死んでから、一気に大人みたいになって、妙な感じですよ。大人が読むものを好んだり、性欲がすごく高まったり、おかしな具合です。それに、栄養不足は子供の健康に悪いですよ」
「君はね、子供っぽい口答えはやめるんだな、君のずるがしこさは僕が重々承知だ。
そんなことを云って、また魚勝の上の寿司をねだるんだろう」
「そんなことありません」
「いや、そんなことわかっている、そこのテーブルに座りなさい。
栄養不足だというのだな。だったら、今、サラダチキン入りのレタスのサラダを作ってあげるから」
両親がなくなってから、先生が料理を作ってくれる。
台所のシンクの中で、細い指先が、レタスを剥いていくのを見ながら、この人はなんでこんなに時折母親みたいに思えるのか、不思議であった。中肉中背の大人の闇彦さんは、終始険しい顔つきをしているが、厳しいことを云いながら、優しいところも多くあった。
まあ、大体、僕には厳しいんだけど。
先生は、暗い過去があるらしい。
先生の家は、素封家の名家であったらしいのだが、父親が不倫の末、母親を捨てて家を出てしまい、残された母親は自殺をしてしまった。先生の兄も、放蕩がすさまじく、闇彦先生を長い間苦しめていたという。学生の時にそんなことがあったらしく、先生は小説家になってから、東京の実家にはまだ帰っていない。
「先生は、なんで、東京に帰らないんですか?」
「…言いたくない」
「ずるいですよ、自分ばっかり嫌な事から逃げられて…」
「母親の…」
「え?」
「幽霊が出るからだよ」
「ええっ?本当ですか?」
「いや、本当は、菩提を弔うためにも、一度は帰りたいと思っているんだけどね、君は、変なことを心配しすぎる」
闇彦先生が釣り気味の目でぎろっと睨みつけてきた。
ぞっとして、すいません!と慌てて謝ると、にまっと笑って、
「まあ、僕も厳しいかもしれないけど、君は学生時代が終わるまで我慢することだな。僕もそうだったから」
と、笑うのであった。
続く
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