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服従

ドビュッシーのベルガマスク組曲。 それをプレリュードから順番に奏でる教え子を眺める。 彼は神がこの世に遣わした完璧な人間だ。 私は彼に性器がついていないのでは、とすら考えてしまう。 そんな邪念を抱いているとプレリュードが終わり、次は繊細に彼の指が鍵盤を踊る。 そしてピアニッシモへ切り替わる。その柔くとろけるような旋律がピタリと止んだ。 「先生、どうかしましたか?」 「いや、なにも」 「嘘つき」 そう言って彼は微笑を浮かべる。 彼の微笑は私のすべてを見透かすようだ。 「少し考え事をしてしまってね……さ、梅木くん止めないで、第3曲の月の光を最初から」 そう促せば彼の長い指が鍵盤に触れ、また美しく柔らかな旋律を奏でていく。 流れるように続き、そして消えるように終わりを迎えた音。 続いてスタッカートのアルペジオ。彼の紡ぐ1音1音がこの至福の瞬間を終わりへと導く足音だ。 音の幕引き。鍵盤の上から彼の手が膝へ降ろされる。 こちらを見る彼へ拍手をした。 「うん、美しいよ……」 それだけ告げると彼は私にふわりと笑った。 男子学生服を身にまとい、こちらに微笑む彼は美そのものである。 その美しさに対して沸き起こる欲情を、私は隠せているのだろうか。 「先生、今日も個人レッスンありがとうございます」 「いいんだよ、梅木くん」 帰る前に音楽室の窓を開けて空気を入れ換える。 窓を開けるとキィン、とバットが白球を捉えた音が響いた。 途端に騒がしくなる音楽室は、先程までの聖域のような神聖さは消えてただの学校にある音楽室に変わる。 「先生……」 音楽室に風が入り、はためく白いカーテンが彼を天使のように見せた。 運動部の音、屋上から響く吹奏楽部の合奏。 それらに混じり、ぱくぱくぱく……と、彼の唇が動いた。 その声は聞こえない。 彼の声をよく聴くために窓を閉める。 風がすとんと落ちた音楽室はまた静かになった。 「今、何て……」 「抱いてください。と言いました」 心臓を鷲掴みされたような感覚に冷や汗が流れた。 これは夢か。私の願望を彼が口にするなんてありえない。 「いけませんか?」 彼は一度目を伏せ、また私を見つめなおした。 「それは、できない」 「でも……先生が先に、僕に欲情したんですよ」 全身で鼓動が鳴り響く。 「先生に、抱いて欲しいのです。僕は先生にすべてを捧げたい」 「なんてことを……っ!」 一歩一歩近づく彼の上靴のゴム底が板張りの床を鳴らす。 その音が止むと、私の唇は彼によって塞がれた。 2拍の間をおき唇が離れ、視線が重なる。 「先生のすべても僕は欲しい。ああ……僕が先生を抱いた方が、早いかもしれませんね」 また、彼が美しく笑った。 「明日は先生が弾いてくださいね……僕のために」 「ああ……」 私は彼に服従した。 いや、彼と出逢ったその日から、私は彼に服従していたのだろう。 おわり

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