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第1話
「いてっ!」
森田夏樹 は、何回目かわからないため息をついた。背中に背負ったリュックサックのせいで、シャツが張り付いている。
ちらりと後ろを見ると、妹の美穂 がくれたお守りとビジネスパーソンより頭一つ分大きい金髪の男性が、額や首筋をハンカチか何かで拭いているのが見えた。彫りが深くて、くりくりとした宝石のような瞳。まるでモデルみたいでカッコイイ。視線がかち合わないようにして見るのが、彼と会った日の習慣になっている。
ただでさえ身動きが取れず、昨晩から降り続いている雨のせいで、地下鉄を利用する客数が普段より多く、蒸し風呂のようだ。けれども、彼を見ているとどうでもよくなってしまう。
たった三駅で乗り換えが待っている事実にうんざりしながら、ふと足元を見ると、黒地に青系の細いストライプが何本も刺しゅうされたハンカチが落ちている。人ごみにもみくちゃにされながらなんとかして、それを拾う。
百貨店などで売っている高級なハンカチだろうと容易に推測できる手触り。もしかして、大切な人からの贈り物なのだろうか。
「降りま~す。降りる。降ろしてくれ‼」
やっとのことで降車した夏樹は、乗り換えよりも先に、落とし主を探すことにした。
(あれか?)
金髪のセミオーダーのスーツを腕にかけているあの金髪の男性が、プラットホームにいる駅員に何か話しているのを視界にとらえた。
「こんにちは。お兄さん、これ?」
なるべくはっきりと話しながら、さっき拾ったハンカチのゴミを手で払い、折り目に沿ってたたんだ。
「駅員さん、ありがとうございます」
低く滑らかな声から紡がれる言葉は、流ちょうだ。日本人よりもきれいな日本語を話している。頭から背筋までぴんと伸ばし、腰から礼をし、夏樹のほうへ歩を進める様子も堂々としている。やっぱりかっこよくて、ぼうっと見とれてしまった。
碧眼の縁までくっきり見えるほど大きく目を見開いた後、なんだコイツ可愛いじゃないかと思うほどの満面の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
ハンカチを持っている左手を痛いほど握りしめられ、上下に大きく振られた。
「痛い、痛いから離せ」
「sorry」
手をひとしきり撫でられた後、財布から数枚一万円札を取り出した。
「拾ってくれたお礼だ」
「要りません」
夏樹は、きっぱりと断った。確かに気持ちは揺らいだが、何か裏があるかもしれない。それに、「知らない人からお金や物はもらってはいけません」って学校や親から教わるだろ。
札束で動揺している夏樹を尻目に、「私は、ジェフリー・アクセルと言います。ジェフって呼んでくれ。君は?」と言い、革の名刺ケースから名刺を一枚取りだし、夏樹に渡した。
「俺は、夏樹 森田。よろしく」
そう言いながら、名刺を見てみると「代表取締役社長兼CEO」の肩書きが印字されている。住所と最寄り駅を見るに、夏樹が乗り換えしている駅を降りず、二駅離れたオフィス街に会社を構えているようだ。
「いい名前だ。ナツって呼んでいいかい?」
さわやかな笑顔が素敵だ。まるで、子どものように屈託なく感情を表している。
「どうぞ」
「ハンカチを拾ってくださったお礼に、何をしてほしいですか? 名刺に書いてある通り、ある程度の権限はあるからな」
ある程度じゃないだろ、と心の中で突っ込みを入れながら、ニヤリと笑った。
「じゃあさ、俺のインターンシップ先の企業になってください」
「オーケー。特別扱いはしない」
ちょっとさっきと言い分が違うのではないのか? 思いつつも、ハンカチと引き換えに、インターンシップに参加できる機会を得られた。その現実に、にんまりとした笑いが止まらなかった。
連絡先を交換した後、遅刻しないように小走りで学校に向かった。
「セーフ。まだ来てねえ、ラッキー」
学生証をカードリーダーにかざし、友人が取っておいてくれた席に座った。拭いても拭いても流れる汗を黄色のレースがついたフェイスタオルを見た友人が一言、「慌てすぎじゃね?」と声をかけてきた。間違えて美穂のものを持ってきてしまったらしい。
「いつもギリギリだな」
「落とし物を見つけて、落とし主がすぐ現れたから、渡してきたんだ」
「それだけじゃないんだろ? なんかにんまりしているもんな」
やっぱりバレていたか。
「実は社長だったんだよ」
「マジで! マジ? やっべーじゃん」
「そんでさ、一つ願い事叶えてやるっていわれたからさ、インターン先にしてくれって頼んだわけだ。こんで、幸田の授業は安パイ」
今時の大学講師にはない、規定数以上出席すると出席点50点をくれる。更に、学校経由でインターンシップの参加申し込みをすると、ボーダーラインである60点になるのだ。偏屈な頑固ジジイだと毎回思うが、単位には代えられない。
「くっそー、いいな。この野郎! 俺も社長の私物拾いてえよ」
前方のドアが開き、講師が入ってきた。
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