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3-淫魔ヤンキー、淫魔先生のおうちへ
岬は凍りついた。
明日から五月の連休が始まる平日の放課後、夜の九時前だった。
ビル風の吹き渡る街角。
立ち止まった岬の視線の先には志摩がいた。
浮いた話など聞いたこともなかった担任教師は同年代と思しき女性にさも親しげに腕を組まれていた。
嘘だろ。
志摩センセェ、彼女いたのか……。
翌日にゴールデンウィークを控え、その日の生徒達は一足早い連休気分に浸かって朝っぱらから浮かれていた。
「誰か合コン開いてくれよ、彼女いないゴールデンウィークなんてつまんないよ」
「俺らも彼女いないけど楽しく集まってカラオケ行くから、お前来なくていーよ」
学校生活を共にするようになった友人らが予定を立てる中、岬は会話にも入らず上の空でいた。
「中村もカラオケ来るよな?」
「あー。行かねぇ。百合ちゃんの店の手伝いに行かなきゃなんねぇ」
父親の百合也は一人息子の岬に「百合ちゃん」と呼ぶよう強制していた。
母親を自称している手前もあるし、着飾っている女装家の身で「オヤジ」と呼ばれると心が萎えるらしい。
「えっ、ホストとして働くの?」
「あれ、中村ママってホステスとかがいるクラブ経営してるんじゃなかったっけ」
机に片頬杖を突いて虚空を眺めていた岬は怠そうに首を左右に振る。
「百合ちゃんはホストとホステスどっちもいるクラブのオーナーやってんだよ。そんで誰がホストなんかやるか、キッチンで盛りつけとか洗いモンだ」
百合也はホストとホステスが同じフロアで接客する、一風変わったクラブを経営しているオーナーママだった。
どのスタッフも秀でたルックスは当然ながら巧みな話術に一通りのマナーを申し分なく習得している。
評判がよく、毎夜多くの客が訪れ、飛び抜けて高級志向でない間口の広さから若年層にも人気があった。
何度かキッチンの手伝いだったり掃除だったりと出向いたことがある岬だが、正直なところ、百合也の店は苦手だった。
スタッフの過半数は淫魔筋であった。
なおかつ彼らは皆、優性 と呼ばれる枠組みに属していた。
「淫魔の性」と生まれ持った性別が一致している、つまりインキュバスの血を引くホスト、サキュバスの血を引くホステスというわけだ。
多くのドミナントは生まれつきの魅力を最大限活かして武器にし、プライドが高く、自信に満ち溢れている。
ドミナントと対の枠組みにあたる劣性 、つまりインキュバスの血を引く女、サキュバスの血を引く男が時に持て余す「性の混沌」に悩まされることもなかった。
悪い奴らじゃねぇんだけど……。
いずれ来たる第三次性徴期にオスとメスの生殖機能を併せ持つことになる、異例の共優性 に属するインサバスの岬の思考は得てしてレセシブ寄りだった。
ナルシスト兼エゴイストっぽいマイペースぶりで、とっつきにくくて、苦手なんだよな。
百合ちゃんもそーいう部分あるしよ。
志摩先生もドミナントだ。
でもアイツはそれっぽくないというか。
連休に入ると志摩センセェに会えなくなる。
慰めてくれる相手がそばにいなくなる……。
だからと言って自分の口から「会いたい」なんてお願いするのも癪に障り、岬は明日から始まる連休に一人悶々とするしかなかった。
連休中はどうするか、特に触れてこない志摩にも苛立ちが募るばかりで。
甘え過ぎだとわかっていても担任教師から何らかのお誘いがないかと期待してしまう欲深い自分が情けなかった。
ただの担任に期待し過ぎだよな……。
「じゃあ今日カラオケ行こうよ、中村も連れて!」
悶々としていた岬は頬杖をやっとやめて友達を見回した。
「連休中は手伝いで忙しーんだろ? それにLIN●してねーから連絡とりづらいし、今日の内に俺らと遊んどけよ」
「……L●NEめんどくせぇんだよ」
「せっかくだしカラオケからの晩飯コースにしよう!」
「どのファミレスにする!?」
自分を気遣ってくれるクラスメートに「ファミレスなんてどこも同じ味だろ」と毒を吐きつつも岬は照れ隠しに不自然なくらい俯くのだった。
結局、その日志摩からのお誘いはなかった。
所詮、教師と生徒だ。
岬は仕方ないと割り切った。
放課後早々、友達と共に学校から近い繁華街のカラオケへ、二時間満喫した後はファミレスで晩ごはんを食べ、朝からずっとテンションの高いクラスメートと別れて家路についた。
一人だけバス通学であり、賑わう繁華街を突っ切って停留所を目指していたら、視界の隅を過ぎった見覚えのある姿。
志摩だった。
女性を連れて歩いていた。
嘘だろ。
志摩センセェ、彼女いたのか……。
学校じゃない夜の街角。
スタイルのいい女性を連れて歩く志摩はいつもと違って見えた。
何の変哲もない手つかずのヘアスタイル、遊び心皆無なモノトーンのコーディネート、しゃれっ気に欠けた黒縁眼鏡。
死んだ魚の目と揶揄される双眸に色褪せた眼差し。
何もかもが同じなのに。
燦然と艶めく扇情的な街並みを背景にすると校舎にいるよりも野性的な精気を孕んで見えた。
視界の隅を過ぎった瞬間、志摩であると確信し、その姿に焦点を合わせた岬は棒立ちになった。
数人の通行人にぶつかられると我に返り、視界から消えかけていた姿を慌てて目で追った。
目で追うだけでは足りずに足でも追いかけた。
人通りの多い舗道で見失わないよう、気づかれないよう、注意して。
何やってるんだ、俺。
岬はスクールバッグの取っ手をきつく握り締めた。
人々の哄笑や車のクラクション、街に溢れるどのノイズよりも自分の鼓動が大きく聞こえる。
しつこく騒ぐ胸に呼吸すら苦しくなった。
一言くらい教えてくれたらよかったのに。
自分には彼女がいる、だからキスしない、単なる慰めにそんなモン必要ないって……。
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