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キオ 「星の話」その後
収容所内の工場で、本郷は軽作業に従事していた――研究所に入院していた三人の人造生命体は皆完治して退院して行き、そこでの本郷の役目は終わったので特例措置が解除されたのだ。現在は戦争犯罪人として、革命軍に身柄を拘束されている。
伝え聞くところによると、戦争は終結に近付いているらしい――革命軍は着々と進軍し、今では殆どの星がその統治下に入っている。大規模な人造兵の培養施設を持つ星も革命軍が制圧したので、政府軍は兵士の補充が行えなくなっているそうだ――降伏も時間の問題だろう。だが本郷にとっては、戦局の事など既にどうでも良くなっていた。政府が負けようがどうしようが関係ない――非道な行為を積み重ねてきた自分は、このままここで朽ち果てるのが似合いなのだ。
しかし毎日浴びるように飲んでいた安酒をいきなり断たれたのはきつかった。何かするべきことに没頭できている間はいいが、夜、寝床で目を瞑ると、瞼の内に――むごい目に遭わせ、殺してしまった哀れなあのネコの姿が浮かんできて、辛くてたまらなくなるのだ――
ある日の面会時間――身内が訪ねて来る受刑者は既にそれぞれ面会室に行っている。他所の星から来た自分には関係のないことだ――本郷が監房でぼんやり時間を潰していると、看守が呼びに来た。
「百六十八番、本郷受刑囚。面会室に来るように」
面会?誰だろう。この星で顔見知りになった人々には、収容所には来ないで欲しいと伝えてある。自分の役目は終ったのだ。もう存在を忘れてくれて構わないのに――そう思いながら本郷は看守に連れられて房を出た。
面会室の仕切りの向こうにいる相手を見て、本郷は、あ、と小さく声を上げた。研究所で治療したネコ――キオだった。
「キオくん……?どうして……?」
透明の仕切り板の向こうで、キオははにかんだような表情で頭を下げた。
「一人で来たの……?」
本郷が尋ねると、キオは頷いた。
「そう……なんでまた……」
こんな陰気なとこに来なくてもいいのに、と本郷はキオを見ながら思った――病でやつれていた姿が回復していくのを見守っていてわかったのだが――金褐色の毛並み、滑らかな白い肌と青く澄んだ瞳――キオはかなり美しい容姿を持ったネコなのだ。以前本郷の元にいた、あのみすぼらしいネコとは違って。
「本郷さんに、どうしても直接お礼が言いたかったんです……」
キオは小さな声で言った。
「研究所で……いろいろ親切にしてもらったから――」
「そんな、親切だなんて――」
本郷は答えた。
「礼なんかいいんだ、気にするな――俺の事は構わないでくれ。ここへも、もう来る必要はない――」
キオの顔が真っ直ぐ見られず、本郷は顔を伏せた。俺には――そんな風に言ってもらう資格は無いんだ――
それから数日して、本郷は小さな包みを受け取った。差出人はキオだった。中には、靴下や歯ブラシなどの日用品が入れられており、たどたどしい字で――しゅうようじょのひとに、さしいれできるものをおしえてもらいました。つかってください――と書かれた手紙が添えてあった。
来るなといわれたから、気を遣って郵送して寄越したのだろう……冷たい態度を取ったのに――と、本郷はその手紙を見つめながら思った。キオが選んでくれたのだろうか……本郷は靴下を手にとって履いてみた。それは、収容所内で貸し与えられる使い古した品よりも、ずっと柔らかく暖かかった。
それから間もなく政府軍が降伏し、ついに戦争が終わった。その時恩赦が決定され、本郷は突然釈放される事になってしまった。予想外の出来事に本郷は、期日が来た日もどうしたら良いかわからないまま収容所を出た。生きる目的など何も無いのだ――また路上生活に戻るか――しかし、その前に――
「それで……なんでうちに来ちゃうのよ」
店の奥の居間、差し向かいに座った本郷に津黒が呆れたように言った。
出所してきた本郷は、その足で津黒の古本屋を訪れたのだ――研究所に天城たちの見舞いに行くうち、津黒も本郷とは顔なじみになっていて、事情も知っていた。
「そりゃ本郷さんには音羽ちゃん始め友達が世話になったから、うちを頼ってくれてかまわないよ。だけど、話聞いた限りじゃとりあえず俺んとこより先に、それくれた遠野さんちのキオに礼しに行くべきなんじゃないの?その後ここへ泊まりに来ればいいんだから」
本郷が収容所にいた間に、寒い季節になっていた――すると、出所日に合わせてキオから、こんどは暖かい上着が届けられていた。本郷はそれを着て津黒の店まで来たのだった。
「いやその……そうしたいのは……やまやまなんだが……」
津黒がグラスに注ごうとしたビールを、本郷は片手を上げて断わった。
「すまん、もう結構だ。収監中に――すっかり飲めなくなってて」
「健康になったじゃん」
津黒は笑った。
「キオに冷たいこと言っちゃったのが気まずいんだろうけど、俺の個人的な経験から言うと、それはあんまり気にしないで良いと思うな。何しろあいつら――」
ガラス戸越しの、本を読みながら店番している音羽の後姿を指し示して津黒はひそひそと言った。
「人造生命体ってやつはさ、人を恨むっていうことが得意じゃないみたいなんだよね……」
「……どういうことだい?」
津黒が本郷に、今度は茶を淹れながら言う。
「人に対して根に持つとか、仕返しするとか、そういうことはしないんだよ――いや、できねえのかもな?元が人間には逆らわないように作られてるらしいから」
「逆らわないように――確かにそうだ……」
培養技術には詳しい本郷は、それを聞いて頷いた。
「でもそれわかるとさ、大事にしてやんなきゃ、って気になるよ……連中、自分が人から不幸な目に遭わされててもなかなか自覚できないんだから、こっちが守ってやんないと……。ま、うちの場合、腕っ節は明らかにあっちが強いから、守るっつっても――アレなんだけどね?」
自分でグラスに注いだビールを傾けながら、小さく肩を竦めて津黒は笑った。
「不幸を……自覚できない……そうなのか……」
本郷はうつむき、呟いた。
津黒に促されて、本郷は古書店を出た。書いてもらった地図を見ながら晋の食堂を探す――店は簡単に見つかった。
日が沈みかかっている――本郷が近付いた時、丁度スイッチが入れられたらしく店の看板の電気がぽっと灯った。キッチンとおの、と書かれた素朴なロゴが薄暮の中にほんのり暖かく浮かび上がる。それを眺めながら、本郷は食堂の扉を押し開けた。
「いらっしゃい!――あれっ?本郷さんだ!」
店にいたノアが元気に声をかけてきた。
「そうか、今日だったんだね!キオー!」
「あ、いや、待っ――」
心の準備ができる前にノアはキオを呼んでしまった。厨房を手伝っていたらしいキオが、暖簾をかき分けて顔を出した。
「本郷さん!良かった、サイズ合ってた……。着てくれて、ありがとうございます」
上着を送ってくれたことの礼をするより前に、安堵したような様子のキオにそう言われてしまった。躊躇する間に事が先んじて進んでしまう――自分の間抜けぶりに呆れ本郷は苦笑した。
本郷の前に立ったキオは、細い身体にはやや大きすぎるエプロンをかけ、収容所に来た時と同じはにかんだ笑顔を浮かべている――津黒の言った通り、冷たくされたことは気にしていないようだ。
「キオ、くん――」
本郷はようやく口を開いた。キオは青い目で本郷の顔を見上げた。
「あのう、これ――ほんとにありがとう……」
上着を示して言った。
「あと、靴下なんかの差し入れも……助かったよ」
「いえ……」
キオは恥ずかしそうに答えた。
「やっぱりその上着にして良かった。本郷さん、背が高いからよく似合ってます……」
「そうかい……?ありがとう。軽いのにすごくあったかいよ……高かったんじゃないのかい?」
ノアが脇から口を挟んだ。
「ほんとはちょっと、予算オーバーだったんだよね。小遣いで足りなかった分おっちゃんから借りてるから、今キオ、こきつかわれてるんだよ」
「ノア~!人聞きの悪いこと言うんじゃな~い!」
厨房の晋が怒鳴っている。会話を聞いていたカウンターの客が笑った。
「言うねえノアちゃん。いい跡継ぎができて、将来安泰だここ」
「これ、お金借りてまで……俺に買ってくれたのかい?どうして……」
本郷が驚いて尋ねると、キオは少し顔を赤くし、小さな声で恥ずかしそうに答えた。
「……そうしたかったから……」
聞いて本郷は胸が詰まった。今の言葉、それは――死を間近にした彼のネコが言ったことと同じ――本郷のために。本郷を想って。
「ありがとう……」
本郷は片手で顔を覆った。こらえ切れず、涙が滲む――なんと思いあがっていたことだろう。俺の罪を――許すとか許さないとか、キオにとってもあの子にとっても、そんな事はきっとどうでも良いのだ――ネコ達が持つ慈愛の深さ――これは断じて、俺たち培養技術者などが設計して作れるものではない。彼ら自身が――持って産まれたものなのだ。
「本郷さん……?」
キオが心配げに言った。
「ごめん、大丈夫だよ……ありがとうキオくん――出所できて嬉しいんだ。俺、明日から、一生懸命生きていくよ――」
その後本郷は、以前の功績を買われ再び研究所で働き出し――やがてキオとともに暮らすようになるのだが――それはまた、未来の話である――
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